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ラテンアメリカは燃えている「不屈の民」

  

 権力を振りかざす右翼政権に反対し抗議するデモ・集会でラテンアメリカが燃えています。チリのビクトル・ハラ・シンフォニックによる「不屈の民」の演奏と観衆の歌声。このような抗議集会があるのかと、映像を見て 激しい感動に突き動かされています。

 今ラテンアメリカで起きていることを欧米・日本のマスコミは伝えてくれません。日本では民主派という名のもとに行われた香港のデモ・暴動を、香港警察の弾圧と決めつけて連日好意的に報道しています。ラテンアメリカで行われている真の民主的な抗議行動にはふれません。

 チリでは、ごく普通の人々が反新自由主義を訴えた平和的デモ隊に、軍や警察が発砲し市民が死亡、負傷、失明する事態がおきています。

 ボリビアでは軍事クーデターで追放されたモラレス大統領を支持するデモを行っていたコチャバンバで、市民の群衆にボリビアの治安部隊が攻撃し、9人の先住民族の人々が殺されました。

 コロンビアでは反新自由主義の抗議活動の中で、10月29日の5人の先住民活動家の殺害されました。先住民や労働組合員、左派系の国会議員・政治家に対する多くの虐殺を政府は行っています。毎年100人以上の人達が殺されているのです。政府は税制改革や公共サービス料金の値上げに反対するデモ隊を「過激派」扱いして、戒厳令で弾圧しようとしています。

 チリ・ボリビア。コロンビアいずれも政府による、死者まで出る弾圧です。

 チリでは2018年、右派のセバスティアン・ピニェーラが4年ぶりに大統領に返り咲きました。第二次ピニェーラ政権ではより右傾化色を強めたことで、国民の反発を招き、2019年にはピノチェト軍事独裁政権時以来最大となる大規模な100万人の反政府デモが起きています。軍隊や警察は平和的なデモに発砲しデモ隊の目を狙って、200人が失明、2,009人が怪我を負い、少なくとも5.629人が逮捕されて、政府の公式の死亡者リストでは23人が死亡しています。国立人権研究所は拷問、権力の乱用、暴行および軍人による市民の拘束に関する沢山の報告を受けているとのことです。

  

 【1973年チリの軍事クーデター】以下ウイキより

 画像の曲「不屈の民」は、初めてチリの普通選挙で選ばれた民主派のアジェンデ政権下で、1973年6月に作曲され、録音された曲です。(原題 El pueblo unido jamás será vencido 団結した人々は決して負けないだろう エル プェブロ ウニド ハマス セラ ベンシド)

 「不屈の民」録音して3か月後、1973年9月11日にアメリカCIAをバックにしたピノチェト将軍の軍事クーデターによって、アジェンデ政権(1970年11月4日アジェンデ大統領就任)は倒されました。クーデター直後に戒厳令が敷かれ、ビクトル・ハラ(チリの歌手・詩人「平和に生きる権利」https://youtu.be/S6JUAxBoa-8))を初めとする人民連合系の市民が多数サンティアゴ・スタジアムに集められ、ひどい拷問を受け容赦なく虐殺されました。クーデター後一日で確認された遺体は2,700体に上っています。

 ピノチェト政権はアメリカ政府、CIA、政財界、チリ国内の右翼保守層や軍部の支援を受けながら、その後1990年3月までの16年間に亘って軍事政権を率いて強権政治を行い、「独裁者」と呼ばれました。ピノチェト政権下では、多くの左派系の人々が誘拐され行方不明になりました。2004年のチリ政府公式報告書では、1973年9月24日には2000人から1万人の死者と報告されています。また、誘拐・投獄に伴う拷問も広く行われ、新たに建設された強制収容所に送られたりと何らかの形で、人権侵害を受けた人々は10万人とも推定され、政治的、経済的な理由での亡命者は当時のチリ総人口の約10%の100万人に達しました。最も有名なのは死のキャラバンと呼ばれるヘリコプターを使った処刑部隊であり、何人もの囚人や民間人がチリの海・湖・川・アンデスの山頂にヘリコプターから突き落とされました。

 

  以下の文章は安藤慶一著「アメリカのチリクーデター」より抜粋しました。

 著名な音楽家のビクトル・ハラも犠牲者のひとりだった。チリ・スタジアムで処刑された後、彼の妻が遺体を見たときには、両手を打ち砕かれ、顔はずたずたに切り裂かれており、銃弾による傷が44か所も見つかったという。生前に彼が録音していたマスターテープも破棄された。言わば文化的抹殺である。こうすることで、アジェンデが最後の演説で言った「種」を絶やすことができるとピノチェトは考えたのだろう。 

 おびただしい数(約20万と言われている)の国外避難者はこの中に含まれていない。幸運にも死を逃れた者たちも、拷問を逃れる幸運には恵まれなかった。チリ政治投獄拷問委員会の報告によると、少なくとも2万8千名が肉体的および精神的拷問を受けた。これら拷問犠牲者の大多数は、20才から30才までの若い男性だった。主として、社会党員、共産党員、労働組合員の他、非合法化された諸組織のメンバーである。

 犠牲者は男性ばかりではなかった。女性には、精神的にも肉体的にもこたえる特殊な屈辱が与えられた。何年も経過してから、3,000名を超える女性が自身の強姦体験について証言した。性的暴力に伴う屈辱を考慮すると、まだまだ多くの女性が沈黙を守っていると考えらられる。

 ちなみにクーデター勃発当時のチリの総人口は1000万ほどである。(抜粋終わり)

  

 長い恐怖のピノチェト軍事独裁政権が続きました。

 現在のピニェーラ大統領は国民に向けて「もうチリ・クーデターを清算し(忘れて)、新しい未来へ向かって行こう」と声明を出しましたが、犠牲者の家族やいまだに拷問・強姦の傷跡が癒えない人々はその残虐非道な行為を許せるわけがないと思います。

 

 

 

 

 チリのフォルクローレ・グループ、「インティ・イリマニ」の”不屈の民”です。インティ・イリマニは歌を通じて社会変革を目指した「ヌエバ・カンシオン運動」を代表するグループで、1973年の軍事クーデターの際にはヨーロッパ巡業中で逮捕は免れたものの、1988年まで祖国には帰ることができず、イタリアでの亡命生活を余儀なくされました。

  

 掛け合いの エル プェブロ ウニド ハマス セラ ベンシド       

          エル プェブロ ウニド ハマス セラ ベンシド

      エル プェブロ ウニド ハマス セラ ベンシド

を一緒に歌っています。

 

  民主主義とは、国民の福祉、教育、医療、住宅を国が保証すること。不正義に対する抵抗が可能であり、成就の機会があることです。

 

 

 

 

 

 

 

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