私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

愛について思うことども(5)

2025-03-20 22:14:41 | 日記
  私は1926年の生まれ、福岡からカナダのエドモントンという都市に移住したのは1968年でした。移住してからしばらく経った頃、バンクーバー生まれの若い女性ピアニストのお広めパーティーに招かれたことがありました。ガーデン・パーティー風に、好みの飲み物をピックアップして談笑するような形でしたが、その中に、二人とも70歳前後と思われる紳士ペアがおいででした。私はそのお二人から目が離せませんでした。同性のお二人の間の静かな愛情表現に強く心を打たれてしまったからです。何とも美しく思われたのです。初めての経験でした。

 1945年の敗戦後、主に満州鉄道(国策会社)の株の配当を生活収入としていた私の家族は貧困に陥り、1945年6月9、10日の福岡大空襲の後、福岡市郊外の陋屋に住んで、百姓仕事をして生き延びました。近所には僅かな住民しか住んでいませんでしたが、一番近いところに私どもが「豚屋さん」と呼んでいた養豚場がありました。数十頭の豚を飼育して、それを屠殺し、福岡市の南の春日原というところにあった大きな進駐米軍基地に豚肉を納めていました。私は、その養豚場の糞尿溜めからドロドロの糞尿をもらって我が家の田畠に運んで肥料として使っていました。豚屋さんの主人は、無口でしたが、いわゆる「竹を割ったような」性格の快男児でした。その主人と、これまた無口の私の父が、いつの間にか、親しい仲になったのです。
 ある夕方、ご主人が「春日原から美味しいものを貰ってきたから、食べなさい」と言って大きなお鍋を我が家に持ってきてくれました。満州生活の長かった私の父は「これは米軍のシェフが支那料理のパーポーハンの真似をした料理だな」と言いました。豚屋さんのご主人は「これは米兵が食べ残した残飯ではありません。台所の大鍋に残っていたのを掬い上げてきたのだから、安心して食べなさい。美味しいよ」と笑顔いっぱいに勧めてくれました。なんと美味しかったこと!
 ご主人は、その頃の言葉で言えば、部落の人でした。私の父は、親の遺産を分けてもらう代わりに(十一人の兄弟姉妹がありました)、旅費を出してもらって、まず朝鮮半島にわたり、北上して、元の満州国の首都長春で産科婦人科医院を開業しました。そこで私は生まれました。こんな父親を持った私は本当に幸せでした。

藤永茂(2025年3月20日)

現世界最大の事件『アフリカ大陸大革命』(6)

2025-03-05 22:54:11 | 日記
 世界はいよいよ大動乱の時を迎えようとしています。もし、世界が、核戦争を経験することなく、この大動乱を切り抜けることができるならば、権力が、好き勝手に惨殺をし続けてきた、我々、普通の人間たちが、笑いながら、そして、泣きながら、何でもない日々の暮らしを営める世界が実現するでしょう。

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アフリカ革命が始まる

この日頃、しきりにアルベール・カミュを読んでいます。『反抗的人間』(新潮社、カミュ全集6)の第一章の始めに、奴隷の反抗についての考察が展開されています。「反抗的人間とはなにか?否(ノン)と言う人間である。」(17頁)、「奴隷が主人の屈辱的命令を拒否するときには、同時に奴隷たる身分そのものをも拒否する」、「はじめは、人間の止むに止まれぬ抵抗であったものが、全人間そのものとなり、次には、抵抗と一体となり、抵抗そのものと化してしまう」(18頁)とあります。長らくヨーロッパの奴隷であったアフリカの真の「反抗」が、真のアフリカ革命が始まりました。以下に訳出する記事の著者ジェラルド・ペレイラはよく知られらガイアナ人の論客であり、運動家です。
マリ、ブルキナ・ファッソ、ニジェールがアフリカ革命の最前線に
Gerald A. Perreia(著者)
 

軍の支持を叫ぶニジェールの大群衆
 


ニジェールのアブドゥラフマーン・チアニ将軍
 

ブルキナ・ファソのイブラヒム・トラオレ将軍
 
2023年8月19日、ニジェールのニアメで: ボランティア活動の一環として、数千人の若者が自国防衛のためのボランティア登録の列に並ぶ。大統領警護部隊を率いるアブドゥラフマーン・チアニ将軍は、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体、Economic Community of West African States)や無指名の欧米諸国に対し、介入しないよう繰り返し警告している。「我々はECOWASやその他の冒険者に対し、祖国を守るという固い決意を改めて表明する」。
「ある種の狂気がなければ、根本的な変革はできない。この場合、それは規範の拒否から来るものであり、古い定型に背を向ける勇気であり、未来を発明する勇気である。今日、私たちが極めて明晰に行動できるようになるには、前日の狂人たちが必要だった。私はそのような狂人の一人になりたい。私たちは未来を発明する勇気を持たなければならない」。
- トーマス・サンカラ
歴史は偉大な教師である。歴史から学ばなければ、過ちを繰り返す運命にある。クワメ・ンクルマ(エンクルマ)、セクウ・トゥーレ、モディボ・ケイタ、マリアン・ングアビといったポスト・コロニアル初期のアフリカの指導者たちは、経済的独立と真の独立のための継続的な闘いについて語った。ウォルター・ロドニーが「書類鞄入りの独立」、あるいは、私が「旗と賛歌による独立」と呼ぶような、インチキ独立の罠を熟知していたこれらの指導者たちは、それぞれの民族解放闘争を完遂するために国民を動員し、組織化した。しかし、欧米帝国主義とその手先、あるいは中国の革命指導者毛沢東が「帝国主義の走狗」と呼んだ連中に、これらの先見者たちは打倒されるか暗殺された。歴史を通じて多くの征服者がそうであったように、帝国主義者たちは、彼らの極悪非道なアジェンダを達成するために、反動的な政権や西側の軍事戦力の支援を得た。それは、アフリカを永久的な依存と隷属の状態に保ち、アフリカ大陸の強姦と略奪を続けるためである。
フランツ・ファノンの代表作である『アフリカ革命に向けて』におけるこの見解は、1964年に発表された当時と同様、今日でも重要な意味を持ち続けている。ファノンは、「アフリカの敵の大きな成功は、アフリカ人自身を妥協服従させたことである。そうしたアフリカ人達はルムンバの殺害に直接関わった。傀儡政権の首長を務め、傀儡的独立の只中で、連日、自国民の大反対に直面し、コンゴの真の独立が自分たちを危険にさらすと確信するのに時間はかからなかった」と書いている。
現在時点2023年に飛び移ろう。ECOWAS議長であるナイジェリアのボラ・ティヌブ大統領は、妥協服従したアフリカ人であることを確証するかのように、西アフリカにおけるクーデターの傾向が「憂慮すべきレベル」に達していることに懸念を表明している。もちろん、ティヌブ大統領は、ネオコロニアリズム側についたアフリカ人指導者として掃き捨てられる次の番が自分に回ってくるのではと心配しているのだ。
世界が多極化するなか、アフリカ全土で民衆が立ち上がり、数十年にわたる新植民地支配、搾取、偽りの独立に挑戦している。政治レベルで何が起ころうとも、大衆が立ち上がるときこそ、真に意味のある変革が起こる。歴史を作るのは大衆なのだ。大衆はただその瞬間を待ち構えている、そして、転換点は、その瞬間はもうここにある。
アフリカ、カリブ海諸国、南米、そしてグローバル・サウス全体において、草の根の人々は、世界的に何が起こっているのかについて、アカデミズムの象牙の塔にいる多くの人々よりもはっきり分かっていることが多い。ガイアナの最貧地域では、自分の住んでいる地域から遠くへ旅行したこともなく、本や、場合によってはインターネットにさえアクセスしたことのない人々が、なぜムアンマル・カダフィが殺されたのかについて非常に明確に知っている。一方、世界的に有名なガイアナの経済学者で従属理論家のクライヴ・トーマスは、「カダフィは去らなければならない!」という帝国主義的な語り口を繰り返していた。大衆にとって、知識は書物や他人の話から得るものではなく、つまり、実体のないものではない。体験的な次元を欠いた知識は抽象的なものとなり、南半球の人々が被っている甚大な痛みや、私たちが体験している不公正が私たちの生活のあらゆる側面に与えている壊滅的な影響(私たちや私たちの愛する人たちが生きていけるかどうかさえも含めて)を正当に理解することを妨げる。

したがって、この地球上で毎日何百万人もの人々を苦しめている苦しみを本当に理解しているのは、苦しんでいる人たち自身なのである。ガイアナで言うところの「感じる者は知っている」のである。それを受け入れ、自らそれと闘うことを余儀なくされた人たちこそが、最終的に変化をもたらすのだ。8月7日、スタジアムを埋め尽くし、ニジェールの領空を閉鎖し、降伏を拒否したニジェールの革命家たちを支援した人々である。私がこの記事を書いている間にも、ニジェールを守るために署名をしている何千人もの人々である。ナイジェリアやガーナで、ニジェールへの軍事介入に反対している人々は、これが帝国主義者、特にアメリカとフランスによって企てられた代理戦争であることをはっきりと理解しているからだ。アメリカやフランスに住み、象牙の塔からコメントしているハイチの活動家たちが、良心に目覚めたハイチの路上生活者たちを犯罪者扱いし、いまや互いに戦うのではなく、抑圧者と戦っていると主張する西側のシナリオにひっかかっている一方で、ジミー・シュリジエを理解し、支持しているハイチの人々がいる。

  “民衆が立ち上がると帝国主義は恐れわななく” トーマス・サンカラ
植民地支配後のアフリカの革命的指導者たちの邪魔をした裏切り者たちの政治的後継者たちは、ブルキナ・ファソのイブラヒム・トラオレ、マリのアシミ・ゴイタ、ニジェールのアブドゥラフマーン・ティアニといった新世代のアフリカの革命的指導者たちの邪魔をし、殺す方法を画策している、 リベラル・デモクラシーとは、西欧の植民地的な押しつけであり、民主主義という幻想であり、アフリカ大陸を混乱、持続的な貧困、慢性的な依存という新植民地支配の特徴の中に陥れた罠である。ブルキナ・ファソ、マリ、ニジェールの革命的クーデター指導者たちが断ち切ろうと決意しているのは、この奴隷化の鎖である。イムラン・カーンがパキスタンで断ち切ろうとしているのも、同じ鎖である。
「帝国主義とは搾取のシステムであり、領土を征服するために銃を持ってやってくるという残忍な形でだけ起こるものではない。帝国主義はしばしば、融資、食糧援助、恐喝など、より微妙な形で生起する。私たちは、地球上の一握りの人間が全人類を支配することを可能にするこのシステムと戦っているのある」。
- トーマス・サンカラ
クワメ・ンクルマの言葉を借りよう: 「新植民地主義は、帝国主義の強さの表れではなく、むしろその最後のおぞましい喘ぎである」。帝国は、たとえ公然とそれを認めようとしないとしても、その支配が終焉を迎えていることを知っている。帝国の権力と影響力は、1年前には想像もできなかったほど急速に衰えている。公の場では、アメリカと西ヨーロッパはいつものように傲慢で威勢よく世界の舞台を闊歩しているが、ドアの影ではパニック状態にある。
ECOWAS(Economic Community of West African States)の傘下にあるこの新しい妥協服従したアフリカ人たちは、もちろんフランスとアメリカの支援を受けながら、ニジェールへの軍事介入を推し進め続けている。西側企業のメディアは、クーデター指導者たちが国民の圧倒的な支持を得ているにもかかわらず、ニジェールに「民主主義」を取り戻すと騒ぎ続けている。BBCは何度も同じことを繰り返している。アメリカとEUはニジェールの「政治的混乱」に対する外交的解決策を見つけることに全力を注いでいる、と。混乱に陥っているのは帝国主義者たちであり、クーデター指導者やロシアがどれほど支持され、帝国主義者たちにどれほど憎悪が向けられているかに気づいているからである。
ECOWASは新植民地主義的な組織であり、帝国主義者と結託して既存の政治的・経済的体制を今のままに維持しようとしている。白人至上主義の黒い顔なのだ。ブルキナ・ファソ、マリ、ニジェールのクーデター指導者たちは、このことをよく知っている。この3カ国はすべてECOWASに加盟している。しかし、彼らが排除した親欧米の操り人形とは異なり、これらの革命家たちは見せかけの独立やインチキな自由民主主義を超えることを決意している。ナイジェリアのような無益な新植民地国家は、侵略を口にするよりも、国民の苦しみに目を向けるべきだ。NATOがリビアを空爆して塵と化したとき、この「帝国主義の走狗」たちは何処にいたのだ。実のところ、アフリカの指導者を自称する臆病者たちの中には、リビアを破壊するという押しつけられた決定に従った者もいる。良いニュースは、彼らがアフリカ革命の上昇気流に押し流されてしまうのは時間の問題だということだ。
ECOWASがニジェールに課した最初の期限が切れたとき、なぜフランスとアメリカの支援を受けた侵攻が実現しなかったのか。その理由は、当時も、そして現在も、ニジェール軍だけでなく、真の独立と真の主権がもたらす尊厳をすでに味わったニジェールの人々も相手にしなければならないことを、彼らは悟っていたからである。加えて、妥協服従したアフリカ人たちは、自分たちの恥知らずで裏切り者の振る舞いが今以上に露呈し、それが自国により大きな不穏状態をもたらすことを恐れているのである。
ニジェールのクーデター指導者たちは、フランスの新植民地支配者を追い出すだけでなく、金やウランといった貴重な原材料の供給を差し止めるという制裁措置をとるという、勇気ある、そして、必要不可欠な一歩を踏み出した。これは帝国主義世界に衝撃を与えた。ニジェール産のウランの一部はフランスの原子力発電所で使用されているため、ウランの供給差し止めはフランス政府にとって特に恐ろしいことである。フランス政府は、ニジェールで50年近くウランを採掘している多国籍鉱山会社オラノ(旧アレバ)の大株主である。世界原子力協会(WNA)によると、ニジェールは世界第7位のウラン生産国であり、アフリカで最も品質の高いウラン鉱石を保有している。オラノ社はすでにいくつかの鉱山を枯渇させたが、ニジェールのイモウレン鉱山に狙いを定め、同国にとどまる決意を固めている。世界最大級のウラン鉱床として知られるこの鉱山を、オラノ社はウェブサイト上で「未来の鉱山、イモウレン・プロジェクト」と呼んでいる。
これだけの資源がありながら、ニジェールは依然として世界最貧国のひとつである。フランスでは電球の3個に1個がニジェールのウランのおかげで点灯しているが、ニジェールでは人口の90%近くが電気にアクセスできない。これが彼らがニジェールで取り戻したい民主主義なのだろうか?
フランスの18の発電所にある56基の原子炉を運転するためには、毎年平均約8000トンのウランが必要である。このウランは主に3カ国から調達している: カザフスタン(27%)、ニジェール(20%)、ウズベキスタン(19%)である。ニジェールのウラン生産量は、カザフスタン(43%)、カナダ(15%)、ナミビア(11%)、オーストラリア(10%)に次いで世界全体の5%に過ぎず、フランスはニジェールのウランがなくても何とかなるとはいえ、フランスと西側世界全体にとって最も憂慮すべきは、ニジェールが築きつつある前例である。1973年にムアンマル・カダフィがリビアの石油会社を国有化し、世界的な石油供給危機を招き、その結果、欧米の主要都市で自動車が使えない日が続くなど絶望的な事態に陥った時以来、帝国主義者たちはひどく恐れているのだ。フランソワ・ミッテランが1957年に大胆にも認めたように、「アフリカなしでは、フランスは21世紀に歴史を残せない」のである。
アフリカは世界の真のスーパーパワー
以前の記事でも書いたように、アメリカと西ヨーロッパが、自由で独立して、資源を搾取されなくなった統一アフリカほど恐れるものはない。植民地支配が始まってから今日に至るまで、何百年もの間、捕虜や奴隷にされたアフリカ人たちを無償で働かせ、アフリカの資源を略奪してきた結果、西欧諸国の発展が可能になったことを決して忘れてはならない。彼らは、アフリカが統一され独立すれば、世界的なパワーバランスが完全に変わることを知っている。アフリカが欧米諸国へのすべての原材料の供給をたった1週間でも止めれば、欧米諸国は機能停止に陥ることは、十分に証拠立てられた事実である。
2007年、ギニアのコナクリで、カダフィは数千人の喝采を浴びる群衆を前に、簡潔な見解を述べた: 「ペプシコーラやコカコーラについて尋ねると、人々はすぐにアメリカやヨーロッパの飲み物だと言う。これは真実ではない。コーラはアフリカ産だ。彼らは私たちから安い原料を奪い、それを飲み物にして、私たちに高値で売りつけているのだ。我々は自分たちで生産し、彼らに売りつけるべきなのだ」。
革命指導者イブラヒム・トラオレは、ブルキナ・ファソで原材料の製造と加工を拡大するプロジェクトを実施しながら、まさにこの点を指摘している。これはもちろん、どの国であれ、持続的な貧困と依存から解放されるための闘いにおける基本的なステップである。原材料の輸出を止め、最終製品を地元で生産するようになって初めて、国民の経済的自由と繁栄を達成することができるのだ。
歴史の重要な岐路にある今、アフリカはようやくその計り知れない力に気づきつつある。 というのも、世界的な出来事によってパワーバランスが変化し、中国とロシアが、アフリカが世界の舞台で正当な地位を占めることを後押ししているからである。この瞬間を逃したり、奪われたりすることは許されない。私たちの力に気づくことは、主に心理的な転換であり、精神的な監禁状態から解放されることなのだ。ウラン、金、銅、コバルト、コルタン(携帯電話、ゲーム機、ノートパソコン用)、プラチナ、ダイヤモンド、ボーキサイト、そして特に大量の石油埋蔵量など、現代の産業/ハイテク経済を動かすのに必要な既知の天然資源は、ほとんどすべてアフリカにある。 アザニア(南アフリカ)だけで世界の金埋蔵量の半分がある。コンゴ民主共和国には世界のコバルト埋蔵量の半分、コルタン埋蔵量の80%がある。世界のアルミニウム鉱石の4分の1は西アフリカの海岸地帯で発見され、アフリカ大陸は埋蔵する石油で溢れている。
アフリカと世界中のアフリカ人にとって、今が、決定的な瞬間である。  アフリカが持つパワーの一端を垣間見ているのだ。イブラヒム・トラオレ、アシミ・ゴイタ、アブドゥラフマーン・ティアニは、ガーベイ、ンクルマ、サンカラ、カダフィ、そして植民地主義、新植民地主義、帝国主義の束縛から解放されたアフリカを構想した偉大なアフリカの自由戦士たちの思想を体現している。
我々は、イブラヒム・トラオレ、アシミ・ゴイタ、アブドゥラフマーン・ティアニ達が古くからある帝国主義の武器庫に立ち向かうとき、彼らを支援するために結集しなければならない。彼らを悪者扱いする通常の全面的キャンペーンはすでに開始されており、彼らの心理作戦はすべて、洗練された欺瞞のプログラムに基づいている。もしそれが失敗すれば、皇帝は誰の目にも明らかなように裸であるという現在の世界的な認識からすれば、次の手は、過去に彼らが行ったように、ナイジェリアのティヌブ大統領のような、我々の中の新植民地支配者を利用した軍事介入になるだろう。
妥協服従したアフリカ人は様々な形で現れる。ボラ・ティヌブは明らかなケースで、帝国主義者と公然と手を組んでいるため、すぐに見破られる。しかし、ケニアのウィリアム・ルト大統領のように、概念的に収監された状態にあり、したがって妥協してしまったアフリカの指導者たちの演説に、もっとよく分かっていて良いはずの多くの人々が興奮しているのを私は見てきた。ルト大統領は演説が上手で、バラク・オバマの演説と同じように、彼の演説は期待に満ちている。実際、ルト大統領が最近語った自由で独立したアフリカというビジョンは、革命的としか言いようがないものだ。私は悲観論者になりたくはないが、口がうまいのと断固とした行動は別物であり、悲しいかな、ルト大統領に関しては矛盾が多く、どうしても前者のカテゴリーに入ってしまう。
ルト大統領は新たな財政的取り決めを求めているが、現在の財政モデルが基盤としている新自由主義的資本主義的取り決めの解体については何も言っていない。何故か? 彼の中道右派政党である統一民主同盟が信奉するイデオロギーが新自由主義資本主義だからだ。彼は、不公平な取り決めの中で公正な金融取り決めを行おうとしているのだ。これはまったく不可能な事。彼は "アフロセントリック"という言葉を使っているが、イデオロギー的な概念としてではなく、"アフリカン"と言う代りとして使っているのは確かだ。彼は、私たちの祖先を植民地化し奴隷にし、今日に至るまでアフリカを荒廃させているシステムの枠の中で、母国アフリカの改善を求めているのだ。この同じシステムが、先に述べた真の指導者たちを排除し、新しい公正な経済・金融秩序をもたらそうとする彼らの試みをことごとく挫折させたのだ。そして、マリ、ブルキナ・ファソ、ニジェールの革命指導者たちに反旗を翻しているのは、この同じシステムの擁護者と執行者たちである。ここに、彼の演説を空疎なレトリックに過ぎなくしている矛盾がある。
「我々」が「彼等」にサンクションを加える時が来た
アフリカは今こそ、植民地主義と新植民地主義の名残を断ち切る時なのだ。西側諸国が、自決を求める我々の要求に従うまで、西側諸国への戦略的資源の流入を止めなければならないのであれば、そうすればよい。今こそ、我々が神から与えられた権利を尊重することを拒否する西側資本に制裁を加える時なのだ。西側の対ロシア制裁が完全に裏目に出て、経済的に強くなったロシアと、今や経済破綻の危機に瀕している孤立した西側諸国という結果を招いたことは、振り子がすでに振れていることを世界に示した。西側の覇権は終わったのだ。
アフリカは、遂に、対等なパートナーとして世界のテーブルにつき、自国民の繁栄を求めるのに、これほど良い立場にあることは今までに一度もなかった。世界的な汎アフリカ運動とアフリカ人大衆は、今こそその時だと叫んでいる。 我々は、この夢を実現するために戦い、死んでいった先人たちに、それだけの大きな借りがあるのだ。この動きに参加しないアフリカの指導者たちは、邪魔にならないように退場してもらわなければならない。ECOWASによるニジェール侵攻を許してはならない。
私たちの目の前で起こっているグローバル・シフトは最近の現象ではなく、何十年も前から積み重ねられてきたものだ。アメリカと西ヨーロッパは長い間、閉ざされた扉の影ではパニック状態にあった。反ロシア、反中国のプロパガンダを世界中に浴びせればうまくいくと考えていたのだが、見事に失敗した。グローバル・サウス、特にアフリカの人々の経験は、もちろん西側のプロパガンダに全く反している。欧米による何世紀にもわたる搾取と大量虐殺政策を経験した彼らは、アフリカや南半球のどこにも植民地を持たなかったロシアと中国が、欧米の支配と南アフリカのアパルトヘイトから解放されるための闘いを支援したという事実を決して忘れてはいない。
2007年の『フィナンシャル・タイムズ』紙に掲載された記事で、著者のW.ウォリスとG.ダイヤーは次のように書いている:「欧米列強が本当に懸念しているのは、アフリカ諸国がIMF・世界銀行の融資という懲罰的な条件や、欧米への他の形の金融依存から自らを解放するために、中国との取引を選ぶことである。アフリカ第二の石油産出国であるアンゴラは現在、IMFからの融資を完全に拒否するほど強い立場にある。あるコンサルタントが言うように、石油収入があれば、IMFも世界銀行も必要ない。アンゴラは中国とアメリカとを戦わせる事ことができるのだ」。
もう一つの記事、『アフリカの石油資源をめぐる中国とアメリカの新たな冷戦、ダルフール?問題は石油だ、馬鹿を言うんじゃない』と題された別の記事で、著者のウィリアム・イングダールはこう指摘している:「今日、中国は原油の30%をアフリカから調達している。そのため、ワシントンを激怒させた一連の異常な外交的イニシアチブの説明がつく。中国は、アフリカの莫大な原材料を手に入れるために、無条件でドル債権を利用している。中国が簡単な条件で道路や学校を建設してくれるなら、誰がIMFの苦い薬を必要とするだろうか?このことはアフリカにとって何を意味するのだろうか?どの貿易相手国も厳しい駆け引きをしているが、中には他国よりも良い取引をしている国もあり、さらにアフリカの自決権を尊重してくれている国もあるという事だ」。
ブラック・パワー – アフリカン・パワー
今こそ、ンクルマとカダフィの壮大な「アフリカ合州国」構想の実現に全力を注ぐ時である。この原稿を書いている今、アルジェリアがニジェールでの軍事作戦のために自国の領空を使用するというフランスの要請を拒否したというニュースに心を躍らせている。アルジェリアのアブデルマジド・テブウン大統領は、「軍事介入はサヘル地域全体に火をつける可能性があり、アルジェリアは近隣諸国に対して武力行使はしない」と述べた。私たちがこのレベルの団結と力を達成することができて初めて、世界の中で正当な位置を占めることができる。ようやく、私たちは自分たちのやり方で、自分たちの利益のために、世界の他の国々と関わることができるようになるのだ。10億人の人口に支えられたアフリカは、無視できない要求を突きつけることができるだろう。
2009年、アディスアベバで開かれたAUの会議で、カダフィは西ヨーロッパとアメリカのアフリカに対する態度についてコメントし、次のように述べた:「もし彼等が我々と公平に暮らしたくないのであれば、地球は我々の惑星であることを知るべきであり、彼等は他の惑星に行けばよい」
私たちが求めているのは公平で公正なものであり、不公平で不公正なものだけが恐れるべきものなのだ。
帝国主義はアフリカでしか埋葬できない...
2011年のある記事で、私はセクウ・トゥーレの「帝国主義はアフリカにおいて葬り去られる」という大胆な主張をタイトルにした。欧米の論者には楽観的に過ぎると映ったかもしれないし、実際、現実に即しておらず、むしろ帝国主義の力に押しつぶされつつあると主張する論者もいた。しかし、革命的な汎アフリカの視点から見れば、それは避けられないことなのだ。帝国主義はアフリカでしか打ち負かすことができない。世界的に、とりわけ中南米全域で革命的反撃が行われているが、アフリカが自由になって初めて、帝国主義は最終的に葬り去られるのである。帝国主義者の存在とその宇宙時代なるものを支えているのはアフリカなのだから。
その責任は、大陸とディアスポラにおける革命的な汎アフリカ組織/運動にあり、敵の計画をあらゆる時点で阻止できる明確な分析と戦略を提供することである。私たちは、アメリカと西ヨーロッパの帝国主義、彼らが作り出し、資金を提供し、助長しているいわゆる「ジハード主義者」(別名NATOの歩兵達)、そして彼等がまき散らしている混乱と大破壊、そして彼等の新植民地政権いう邪悪な災いを排除しなければならない。不作為につながる優柔不断な態度をとる余地も時間もない。アフリカにおける帝国主義をきっぱりと葬り去らなければ、我々はきっと崩壊する。
リビア・ジャマーヒリーヤが破壊され、ムアンマル・カダフィが暗殺された後、アフリカのベテラン自由戦士であり、ナミビアの元大統領であるサム・ヌジョマは、アフリカ連合の弱さを極めて厳しく批判し、「リビア空爆を阻止するための軍事的動員を惨めにも怠ってしまったし、アフリカ連合はリビアの領土保全を守るために戦力を動員すべきだった」と述べた。彼は次のようにアドバイスした: 「アフリカ人は、西側諸国が最もよく理解する言葉である戦争を語るべきだ。帝国主義者は、戦うこと以外の言葉を理解しない。私たちは彼らと戦うことで、彼らを大陸から追い出した。もし我々がナミビアやジンバブエなどで戦わなかったら、今日の自由はなかっただろう」。確かに、マリ、ブルキナ・ファソ、ニジェールの勇気ある革命家たちは、サム・ヌジョマの呼びかけに応じて、先頭に立っている。我々は彼等に敬意を表し、あらゆる面で支援することを誓う。全アフリカ人民革命党(AAPRP)が2023年のアフリカ解放記念日のテーマを「新植民地主義を粉砕せよ、アフリカの人々は革命の準備ができている」としたのは偶然ではない。

最後に、クワメ・ンクルマの不滅の言葉を引用する:
「我々は目覚めた。我々はもう眠らない。今日、これから、世界には新しいアフリカ人が誕生する」。
上掲の記事の著者については英語原文をそのままコピーします:
Gerald A. Perreira is a writer, educator, theologian and political activist. He is chairperson of Organization for the Victory of the People (OVP) https://www.ovpguyana.org/ based in Guyana and an executive member of the Caribbean Pan African Network (CPAN). He lived in the Libyan Jamahiriya for many years and was a founding member of the World Mathaba, based in Tripoli, Libya. He can be reached at mojadi94@gmail.com .
Other Articles by the Author on Internationalist 360° and Libya 360° Archives
(以上で翻訳終わり)
上の記事の終わりの方に、アルジェリアが「アルジェリアは近隣諸国に対して武力行使はしない」としてニジェール攻撃に参加しないことを表明したと書いてありますが、次回に紹介する記事によると、アルジェリアから、西欧排撃の激烈な雄叫びが挙がっています。アルジェリアはカミュと切っても切れない結びつきがあります。 
藤永茂(2023年8月30日)

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トランプの出現で、新しいデタントが実現することを願って止みません。

藤永茂(2025年3月6日)
















現世界最大の事件『アフリカ大陸大革命』(5)

2025-03-05 19:47:23 | 日記
 本日2025年3月5日のお昼、米国議会でのトランプ大統領の施政演説を視聴しました。感想を一言で言えば、「終わりの始まり(the biginning of the end)を見た」となります。勿論、私の想いなどに大した一般的意味などありませんが、私個人としては、「人間というものは、もっとましなものだ」という信念を堅持しつつ、死を迎えたいと思っています。私と想いを共にする北米先住民(アメリカン・インディアン)の老人たちも数多くいるに違いありません。

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この人を見よ(ecce homo エッケ ホモ)

 私はキリスト教の信者でもなく、ニーチェをよく理解してもいませんが、あえてこの言葉を使ってトーマス・サンカラという人物を皆さんに紹介したいと思いました。私はこの人が大変好きなものですから、過去に何度か取り上げたことがあります。世にはこういう政治家、国家指導者もいるのです。
 最近、竹村正人さんから、
トーマス・サンカラの暗殺について、ついに判決が下されたようです。
という私にとって貴重なコメントを頂きました。竹村さんは、以前に、私の疎漏な文章を訂正して下さったこともあります。トーマス・サンカラは盟友であったはずのコンパオレという同僚によって殺されました。
 トーマス・サンカラについてはネット上に豊富な情報があります。この度のコンパオレに対する終身刑判決についても、例えば、読売の記事もあります:
 このトーマス・サンカラの暗殺事件については、次の二つのブログ記事で論じました。和文ですから読んでください。
サンカラ革命とブルキナファソ(1)
サンカラ革命とブルキナファソ(2)
この中に吉田太郎さんの愛情溢れる「トーマス・サンカラ物語」が含まれています。これで3回もお世話になります。
 上の『サンカラ革命とブルキナファソ(1)』の結語として、私は
「米欧のマスメディア、したがって、日本のマスメディアも報じませんでしたが、10月3日のコンパオレ追放の巨大デモに参加した多くの若者たち(サンカラの死後に生まれた)がサンカラにちなんだ柄のT-シャツを着ていたそうです。これは軽い事実ではありません。今度のブルキナファソでの政変が、アフリカについてだけではなく、世界史的な意義を担う可能性を示唆しているからです。真正な意味での「アフリカの春」の到来を意味しているかも知れないからです。」
と書きました。今回、竹村正人さんが知らせて下さったコンパオレの終身刑判決は真正な「アフリカの春」がゆっくりと、しかし、確実に、訪れ始めていることを意味しているのかも知れません。
藤永茂(2022年4月19日)

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3年前になされたこの期待は、今や力強い現実となって、我々の眼前で展開を始めています。

藤永茂(2025年3月5日)

現世界最大の事件『アフリカ大陸大革命』(4)

2025-03-04 20:27:17 | 日記
 トランプとゼレンスキーとの派手な喧嘩騒ぎで北半球はますます大騒ぎですが、ガザの人々の言語道断の苦しみを思うと居ても立っても居られない気持ちになります。今この世界を牛耳っている政治家たちはまともな人間ではありません。

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サンカラとブルキナ・ファソ(2)

前回に続いて、6月20日にPambazuka News というウェブサイトに出た Amber Murrey という人の次の記事の抄訳を試みます。

『革命と女性の解放:サンカラの講演についての省察、25年後(The revolution and the emancipation of women: A reflection on Sankara’s speech, 25 years later)』
http://www.pambazuka.org/en/category/features/83074

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歴史的背景
(藤永註)この部分は、前々回のこのブログに掲載させて頂いた吉田太郎さんのトーマス・サンカラ物語を読んで頂いた方がはるかに良いので訳出はしません。
ただ、サンカラの暗殺がブルキナ・ファッソの旧支配層の意向だけで行なわれたのではなく、国外からの関与があったのは動かせないところで、それを反映して、2008年4月、国連の人権委員会は、サンカラの遺族を支持する人権団体の度重なる要請を拒否して、サンカラの暗殺についての報告を出さない決定をして、今日に及んでいることを付記しておきます。事情の詳細は下のトマ・サンカラ・ウェブサトにあります。
http://thomassankara.net/spip.php?article876&lang=en
(註終り)
サンカラとジェンダー
 1987年3月8日、「国際女性の日」を祝うために、首都ワガドゥグゥに集まった数千人の女性集会での講演でトマ・サンカラは革命指導者として独特な態度をとり、女性抑圧の問題を微に入り細にわたって取り上げた。彼は女性抑圧の歴史的起源とその抑圧の行為が彼の時代にまで続いてきた有様を説いた。以下は彼の言葉である。:

‘自由と言う爽快な生気に鼓吹されて、昨日までは辱められ罪人扱いされてきたブルキナの男たちは、名誉と威厳というこの世で最も貴重な刻印を受けたのだ。この瞬間から、幸福は手に届くものになった。毎日、我々はその幸福に向かって邁進している。この闘争の最初の果実に酔いしれ、それそのものが我々の既に成し遂げた偉大な前進の証しになっている。しかし、男たちのこの自己中心の幸福は幻覚である。決定的に欠落しているものがある:女性たちだ。彼女たちは、これまで、この喜ばしい行列行進から除外されている。革命が約束したものは男性たちには既に現実になっている。しかし、女性たちにとっては未だ風説に過ぎない。そして、しかも、わが革命が本物かどうかとその将来は女性にかかっているのである。我々の決定的な部分が今のような隷属状態?あれこれの搾取のシステムによって課せられた隷属状態に留めおかれている限り、決定的あるいは永続的なものは我が国で何も達成され得ないということだ。今日のブルキナ社会において女性問題を提起することは、彼女らが一千年にわたって隷属させられて来た奴隷システムの廃止を提起することを意味する。その第一歩は、このシステムがどのように作動するのか、そのあらゆる巧妙さを含めて把握し、その上で、女性の全面開放に導く行動計画を考え出すことだ。我々は、今日のブルキナの女性のための闘争が、世界中のすべての女性の闘争の一部であり、さらにそれを超えて、我がアフリカ大陸の全面的再興のための闘争の一部であることを理解しなければならない。女性の状態は、したがって、ここかしこを問わず、あらゆる所で、人類の問題の中心に位置するのである。’

 彼の言葉は、女性の戦いに対する深甚な理解と行動の上の連帯を表している。それを、彼は、すべての人間にかかわる戦いとして提起しているのである。彼は、アフリカ女性の抑圧の根源を、ヨーロッパの植民地政策の歴史的プロセスと資本主義的搾取の下での不平等な社会関係にあると考える。最も特筆すべきは、革命運動への女性たちの平等な動員参加の重要性を彼が強調したことである。彼は、ブルキナの女性たちを、消極的な犠牲者としてではなく、尊敬される平等な参加者として、国家の革命とその福祉安寧のための革命運動への参加に駆り立てた。彼は、アフリカの社会でアフリカの女性が中心的地位を占めるべきことを自ら進んで承認し、他のブルキナの男性たちにもそうすることを要求した。

 カメルーンの反植民地主義的歴史家であるモンゴ・ベティのインタビューで、サンカラは言った:‘我々は男性と女性の平等のために戦っている¬¬?機械的な数の上での平等ではなくて、法の前で、特に賃金労働に関連して、女性を男性と平等にしようとしているのだ。女性の解放には、女性が教育を受けることと経済的な力を得ることが必要である。そうして初めて、女性が、すべてのレベルで、男性と同じ足場に立ち、同じ責任、同じ権利と義務を背負って働ける。・・・’この事は、革命政府は多数の女性を擁していたが、政府行政での女性代表の数字上の増加がそのまま男女平等の指標になるとは、サンカラは考えていなかったことを意味している。彼は、心の底から、草の根の組織化の大切さを信じ、その変化は人民そのもののエネルギーと行動から立ち上げるべきものと信じていた。
 彼は姉妹たちにお互いにもっといたわり合い、相手を裁くよりも、よりよく理解するように励ました。彼は女性に結婚するように圧力をかけることに疑問を呈し、独身でいるより結婚することがより自然ということはないと言った。彼は、資本主義システムの抑圧的な男女差別性を批判した。そのシステムでは女性(とりわけ養育すべき子供を持った女性)が理想的な労働力を形成する。何故なら、家族を養う必要が彼女らを搾取的な労働慣行に従順で支配され易いようにするからだ。サンカラはこのシステムを‘暴力のサイクル’と名づけて、男性と女性が平等の権利を享受できる新しい社会を建設することによってのみ、不平等は根絶できると強調した。労働の権利と生産の手段においての男女公平に彼が焦点を置いたことは、彼がブルキナの家庭主婦たちと力を合わせて設立した「団結の日」に象徴されていた。その日には、男たちが家庭の主婦の役を担い、市場に買い物に出かけ、家族の農地で働き、家庭内の仕事の責任をとることになっていた。
(藤永註)このAmber Murrey の論考はまだ続きますが、抄訳はここで終ります。
上の、最後の部分は、前に申しましたように、YouTube の映画『トマ・サンカラ 清廉の士 その1』のの8:40 から 12:30 あたりまでの4分間をご覧になると、サンカラの肉声とブルキナの女性たちの反応に接することが出来ます。
 「革命政府は多数の女性を擁していたが、政府行政での女性代表の数字上の増加がそのまま男女平等の指標になるとは、サンカラは考えていなかった」ことは大変重要なポイントです。サンカラの洞察の正しさは、現在のアメリカの権力層の最高層に組み込まれた多数の才女たちの垂れ流す害毒を見ていると、痛いほど良く分かります。
 1997年マドレーヌ・オールブライト(白人女性)は米国最初の女性国務長官(第65代目)になりましたが、そのあと、コリン.パウエル(黒人男性軍人)、コンドリーザ・ライス(黒人女性)、ヒラリー・クリントン(白人女性)と続き、この15年間、白人男性は一度もこの顕職についていません。ちょうど今から一年ほど前、このブログの『現代アメリカの五人の悪女』(1)で、 「ここでの悪女は"bad girls"ではなく"evil women"です。"bad girls"と言う言葉が含みうる愛嬌など微塵もありません。多くの無辜の人々を死出の旅に送っている魔女たちです。マドレーヌ・オールブライト,サマンサ・パワー、ヒラリー・クリントン,コンドリーザ・ライス,スーザン・ライスの五人、はじめの三人は白人、あとの二人は黒人です。」と書きました。それからの一年間、ヒラリー・クリントン、サマンサ・パワー、それに米国国連大使の黒人猛女スーザン・ライスは、“人道主義的介入”という稀代の欺瞞の旗のもとで、アフリカと中東の無数の女性たちを殺戮し、悲惨のただ中に追い落として来ました。彼女らの罪状を示す資料が私の手許に山積しつつあります。しかし、その紹介は別の機会に行ないましょう。今日は、日本中がオリンピックという製造された狂気(manufactured madness)に見舞われている時にふさわしく、オリンピック開会式の演出を話題にしましょう。
 各国選手団の入場行進のNHKの実況放送の中で、今度のオリンピックは204の参加国すべての選手団が女性選手を含むという画期的な大会であることが強調されて、サウジ・アラビアの選手団の中の二人の女性選手の顔が大写しになりました。私は即座にその蔭にある作為を感じ取りましたが、そのあとで、米欧のメディアがこれを称賛して“女性の権利のための画期的事件”と報じていることを知り、更には、もっと深い裏の話にも行き当たりました。カナダのグローバル・リサーチという非営利の研究報道機関のウェブサイトから得た情報です。
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=32092
それによると、サウジ・アラビア国内では女性のスポーツ活動ははっきりと禁止されていて、女性が使えるスポーツ施設もスポーツ団体もなく、今度参加した二人の女性(一人は柔道、もう一人は陸上)は共に、国外で訓練を受けたのだそうです。しかも、このサウジ・アラビアからの女性選手二人と、カタールからの女性選手三人は,他の一万人を超える参加者すべてに課せられた選考基準の枠の外からの参加だそうです。ここまで聞かされると、私の鈍い鼻も、嗅ぎ付けないわけには参りません。専制政体保持のためには自国民を虐殺して顧みないと米国や英国が宣伝してやまないシリアは、10人の選手の4人が女性、そのシリアを潰した次の目標であるイランは53人の選手のうち8人が女性です。サウジ・アラビアとカタールは、アフリカ大陸で最も高い女性解放度を誇っていたカダフィのリビアを壊滅させた米欧に進んで軍事協力をしたアラブの国です。この二国は、現在も、シリアをリビアと同じ運命に追い込むための米欧の“人道主義的介入戦争”に全面的に協力しています。その最中のオリンピック、ここでサウジ・アラビアとカタールの国内での女性抑圧が選手団入場行進で世界中の目にあらわになってはまずいと、ヒラリー・クリントンやサマンサ・パワーあたりが先手を打ったとしても私は驚きません。いや、いかにもありそうな配慮です。ただ、すべてが演出、すべてがプロパガンダ、すべてがマニピュレーション(人心操作)の世の中であるにしても、これ位の見え透いた小細工で世界に充ち満ちた億万の愚民たちを欺き通せると考える米欧の傲慢不遜さには我慢がなりません。
 オリンピックの演出といえば、ひとつ読者にお願いがあります。五輪旗を運ぶ6人の中にダニエル・バレンボイムを見てびっくりした私でしたが、私の耳には、NHKの解説者が「イスラエルの音楽指揮者ダニエル・バレンボイム」と言ったように聞こえました。少なくとも「イスラエルの・・・」とは確かに聞こえたように思ったので、つねづね音楽界の最近事情を追っていない私は、「まさかバレンボイムがメータの後釜に?」と愕然としてインターネットを覗きに走り、そんなニュースはないことを確かめて胸を撫でおろしました。バレンボイムはアルゼンチンの国籍もイスラエルの国籍も持っているようですから、彼をイスラエル人と紹介しても間違いではありませんが、それでは五輪旗を持った理由が分からなくなってしまいます。NHKの解説者があの朝何と言ったのか、もしはっきりご存じの方がおいででしたら、ご教示いただければ幸甚です。
 サンカラの話を終る前にもう一言。上掲のYouTube の映画『トマ・サンカラ 清廉の士』の中に注目すべき人物が登場しています:Jean Ziegler (ジャン・ジグレール),大柄の白人のお爺さんです。ほんの5年ほど前にこの人の著書『世界の半分が飢えるのはなぜ?』(たかおまゆみ訳/勝俣誠監訳)を読んでいましたのに、すっかり忘れていました。情けないことですが、ここまでボケが進みました。この本の最終部の4章にサンカラのことが見事に描かれています。この優れた本をもっと早い機会に紹介すべきでした。機会があれば是非お読み下さい。

藤永 茂(2012年8月1日)

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上の記事の中に引いてあるトーマス・サンカラの映画はもうアクセスできないようですが、ネットで
The Real Reason They Killed  Thomas Sankara
と入れて探すと、いくつかのサンカラの伝記的動画が出てきますのでどうかご覧ください。

藤永茂(2025年3月4日)

現世界最大の事件『アフリカ大陸大革命』(3)

2025-03-04 20:19:34 | 日記
 トランプとゼレンスキーとの派手な喧嘩騒ぎで北半球はますます大騒ぎですが、ガザの人々の言語道断の苦しみを思うと居ても立っても居られない気持ちになります。今この世界を牛耳っている政治家たちはまともな人間ではありません。

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サンカラとブルキナ・ファソ(2)

前回に続いて、6月20日にPambazuka News というウェブサイトに出た Amber Murrey という人の次の記事の抄訳を試みます。

『革命と女性の解放:サンカラの講演についての省察、25年後(The revolution and the emancipation of women: A reflection on Sankara’s speech, 25 years later)』
http://www.pambazuka.org/en/category/features/83074

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歴史的背景
(藤永註)この部分は、前々回のこのブログに掲載させて頂いた吉田太郎さんのトーマス・サンカラ物語を読んで頂いた方がはるかに良いので訳出はしません。
ただ、サンカラの暗殺がブルキナ・ファッソの旧支配層の意向だけで行なわれたのではなく、国外からの関与があったのは動かせないところで、それを反映して、2008年4月、国連の人権委員会は、サンカラの遺族を支持する人権団体の度重なる要請を拒否して、サンカラの暗殺についての報告を出さない決定をして、今日に及んでいることを付記しておきます。事情の詳細は下のトマ・サンカラ・ウェブサトにあります。
http://thomassankara.net/spip.php?article876&lang=en
(註終り)
サンカラとジェンダー
 1987年3月8日、「国際女性の日」を祝うために、首都ワガドゥグゥに集まった数千人の女性集会での講演でトマ・サンカラは革命指導者として独特な態度をとり、女性抑圧の問題を微に入り細にわたって取り上げた。彼は女性抑圧の歴史的起源とその抑圧の行為が彼の時代にまで続いてきた有様を説いた。以下は彼の言葉である。:

‘自由と言う爽快な生気に鼓吹されて、昨日までは辱められ罪人扱いされてきたブルキナの男たちは、名誉と威厳というこの世で最も貴重な刻印を受けたのだ。この瞬間から、幸福は手に届くものになった。毎日、我々はその幸福に向かって邁進している。この闘争の最初の果実に酔いしれ、それそのものが我々の既に成し遂げた偉大な前進の証しになっている。しかし、男たちのこの自己中心の幸福は幻覚である。決定的に欠落しているものがある:女性たちだ。彼女たちは、これまで、この喜ばしい行列行進から除外されている。革命が約束したものは男性たちには既に現実になっている。しかし、女性たちにとっては未だ風説に過ぎない。そして、しかも、わが革命が本物かどうかとその将来は女性にかかっているのである。我々の決定的な部分が今のような隷属状態?あれこれの搾取のシステムによって課せられた隷属状態に留めおかれている限り、決定的あるいは永続的なものは我が国で何も達成され得ないということだ。今日のブルキナ社会において女性問題を提起することは、彼女らが一千年にわたって隷属させられて来た奴隷システムの廃止を提起することを意味する。その第一歩は、このシステムがどのように作動するのか、そのあらゆる巧妙さを含めて把握し、その上で、女性の全面開放に導く行動計画を考え出すことだ。我々は、今日のブルキナの女性のための闘争が、世界中のすべての女性の闘争の一部であり、さらにそれを超えて、我がアフリカ大陸の全面的再興のための闘争の一部であることを理解しなければならない。女性の状態は、したがって、ここかしこを問わず、あらゆる所で、人類の問題の中心に位置するのである。’

 彼の言葉は、女性の戦いに対する深甚な理解と行動の上の連帯を表している。それを、彼は、すべての人間にかかわる戦いとして提起しているのである。彼は、アフリカ女性の抑圧の根源を、ヨーロッパの植民地政策の歴史的プロセスと資本主義的搾取の下での不平等な社会関係にあると考える。最も特筆すべきは、革命運動への女性たちの平等な動員参加の重要性を彼が強調したことである。彼は、ブルキナの女性たちを、消極的な犠牲者としてではなく、尊敬される平等な参加者として、国家の革命とその福祉安寧のための革命運動への参加に駆り立てた。彼は、アフリカの社会でアフリカの女性が中心的地位を占めるべきことを自ら進んで承認し、他のブルキナの男性たちにもそうすることを要求した。

 カメルーンの反植民地主義的歴史家であるモンゴ・ベティのインタビューで、サンカラは言った:‘我々は男性と女性の平等のために戦っている¬¬?機械的な数の上での平等ではなくて、法の前で、特に賃金労働に関連して、女性を男性と平等にしようとしているのだ。女性の解放には、女性が教育を受けることと経済的な力を得ることが必要である。そうして初めて、女性が、すべてのレベルで、男性と同じ足場に立ち、同じ責任、同じ権利と義務を背負って働ける。・・・’この事は、革命政府は多数の女性を擁していたが、政府行政での女性代表の数字上の増加がそのまま男女平等の指標になるとは、サンカラは考えていなかったことを意味している。彼は、心の底から、草の根の組織化の大切さを信じ、その変化は人民そのもののエネルギーと行動から立ち上げるべきものと信じていた。
 彼は姉妹たちにお互いにもっといたわり合い、相手を裁くよりも、よりよく理解するように励ました。彼は女性に結婚するように圧力をかけることに疑問を呈し、独身でいるより結婚することがより自然ということはないと言った。彼は、資本主義システムの抑圧的な男女差別性を批判した。そのシステムでは女性(とりわけ養育すべき子供を持った女性)が理想的な労働力を形成する。何故なら、家族を養う必要が彼女らを搾取的な労働慣行に従順で支配され易いようにするからだ。サンカラはこのシステムを‘暴力のサイクル’と名づけて、男性と女性が平等の権利を享受できる新しい社会を建設することによってのみ、不平等は根絶できると強調した。労働の権利と生産の手段においての男女公平に彼が焦点を置いたことは、彼がブルキナの家庭主婦たちと力を合わせて設立した「団結の日」に象徴されていた。その日には、男たちが家庭の主婦の役を担い、市場に買い物に出かけ、家族の農地で働き、家庭内の仕事の責任をとることになっていた。
(藤永註)このAmber Murrey の論考はまだ続きますが、抄訳はここで終ります。
上の、最後の部分は、前に申しましたように、YouTube の映画『トマ・サンカラ 清廉の士 その1』のの8:40 から 12:30 あたりまでの4分間をご覧になると、サンカラの肉声とブルキナの女性たちの反応に接することが出来ます。
 「革命政府は多数の女性を擁していたが、政府行政での女性代表の数字上の増加がそのまま男女平等の指標になるとは、サンカラは考えていなかった」ことは大変重要なポイントです。サンカラの洞察の正しさは、現在のアメリカの権力層の最高層に組み込まれた多数の才女たちの垂れ流す害毒を見ていると、痛いほど良く分かります。
 1997年マドレーヌ・オールブライト(白人女性)は米国最初の女性国務長官(第65代目)になりましたが、そのあと、コリン.パウエル(黒人男性軍人)、コンドリーザ・ライス(黒人女性)、ヒラリー・クリントン(白人女性)と続き、この15年間、白人男性は一度もこの顕職についていません。ちょうど今から一年ほど前、このブログの『現代アメリカの五人の悪女』(1)で、 「ここでの悪女は"bad girls"ではなく"evil women"です。"bad girls"と言う言葉が含みうる愛嬌など微塵もありません。多くの無辜の人々を死出の旅に送っている魔女たちです。マドレーヌ・オールブライト,サマンサ・パワー、ヒラリー・クリントン,コンドリーザ・ライス,スーザン・ライスの五人、はじめの三人は白人、あとの二人は黒人です。」と書きました。それからの一年間、ヒラリー・クリントン、サマンサ・パワー、それに米国国連大使の黒人猛女スーザン・ライスは、“人道主義的介入”という稀代の欺瞞の旗のもとで、アフリカと中東の無数の女性たちを殺戮し、悲惨のただ中に追い落として来ました。彼女らの罪状を示す資料が私の手許に山積しつつあります。しかし、その紹介は別の機会に行ないましょう。今日は、日本中がオリンピックという製造された狂気(manufactured madness)に見舞われている時にふさわしく、オリンピック開会式の演出を話題にしましょう。
 各国選手団の入場行進のNHKの実況放送の中で、今度のオリンピックは204の参加国すべての選手団が女性選手を含むという画期的な大会であることが強調されて、サウジ・アラビアの選手団の中の二人の女性選手の顔が大写しになりました。私は即座にその蔭にある作為を感じ取りましたが、そのあとで、米欧のメディアがこれを称賛して“女性の権利のための画期的事件”と報じていることを知り、更には、もっと深い裏の話にも行き当たりました。カナダのグローバル・リサーチという非営利の研究報道機関のウェブサイトから得た情報です。
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=32092
それによると、サウジ・アラビア国内では女性のスポーツ活動ははっきりと禁止されていて、女性が使えるスポーツ施設もスポーツ団体もなく、今度参加した二人の女性(一人は柔道、もう一人は陸上)は共に、国外で訓練を受けたのだそうです。しかも、このサウジ・アラビアからの女性選手二人と、カタールからの女性選手三人は,他の一万人を超える参加者すべてに課せられた選考基準の枠の外からの参加だそうです。ここまで聞かされると、私の鈍い鼻も、嗅ぎ付けないわけには参りません。専制政体保持のためには自国民を虐殺して顧みないと米国や英国が宣伝してやまないシリアは、10人の選手の4人が女性、そのシリアを潰した次の目標であるイランは53人の選手のうち8人が女性です。サウジ・アラビアとカタールは、アフリカ大陸で最も高い女性解放度を誇っていたカダフィのリビアを壊滅させた米欧に進んで軍事協力をしたアラブの国です。この二国は、現在も、シリアをリビアと同じ運命に追い込むための米欧の“人道主義的介入戦争”に全面的に協力しています。その最中のオリンピック、ここでサウジ・アラビアとカタールの国内での女性抑圧が選手団入場行進で世界中の目にあらわになってはまずいと、ヒラリー・クリントンやサマンサ・パワーあたりが先手を打ったとしても私は驚きません。いや、いかにもありそうな配慮です。ただ、すべてが演出、すべてがプロパガンダ、すべてがマニピュレーション(人心操作)の世の中であるにしても、これ位の見え透いた小細工で世界に充ち満ちた億万の愚民たちを欺き通せると考える米欧の傲慢不遜さには我慢がなりません。
 オリンピックの演出といえば、ひとつ読者にお願いがあります。五輪旗を運ぶ6人の中にダニエル・バレンボイムを見てびっくりした私でしたが、私の耳には、NHKの解説者が「イスラエルの音楽指揮者ダニエル・バレンボイム」と言ったように聞こえました。少なくとも「イスラエルの・・・」とは確かに聞こえたように思ったので、つねづね音楽界の最近事情を追っていない私は、「まさかバレンボイムがメータの後釜に?」と愕然としてインターネットを覗きに走り、そんなニュースはないことを確かめて胸を撫でおろしました。バレンボイムはアルゼンチンの国籍もイスラエルの国籍も持っているようですから、彼をイスラエル人と紹介しても間違いではありませんが、それでは五輪旗を持った理由が分からなくなってしまいます。NHKの解説者があの朝何と言ったのか、もしはっきりご存じの方がおいででしたら、ご教示いただければ幸甚です。
 サンカラの話を終る前にもう一言。上掲のYouTube の映画『トマ・サンカラ 清廉の士』の中に注目すべき人物が登場しています:Jean Ziegler (ジャン・ジグレール),大柄の白人のお爺さんです。ほんの5年ほど前にこの人の著書『世界の半分が飢えるのはなぜ?』(たかおまゆみ訳/勝俣誠監訳)を読んでいましたのに、すっかり忘れていました。情けないことですが、ここまでボケが進みました。この本の最終部の4章にサンカラのことが見事に描かれています。この優れた本をもっと早い機会に紹介すべきでした。機会があれば是非お読み下さい。

藤永 茂(2012年8月1日)

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上の記事の中に引いてあるトーマス・サンカラの映画はもうアクセスできないようですが、次の44分の映画はその代わりをしてくれます。 

どうかご覧ください。


藤永茂(2025年3月4日)