私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

『しかたなかったと言うてはいかんのです』

2021-09-09 22:47:14 | 日記・エッセイ・コラム

 9月4日の夜、NHKのBSで『しかたなかったと言うてはいかんのです』というタイトルのドラマが放映されました。初回の放映は8月13日だったようですが、気が付きませんでした。このドラマは「九州大学生体解剖事件」として知られる実際に起こった出来事に基づいています。この事件についてはウィキペディアに詳しい記事があります:

https://ja.wikipedia.org/wiki/九州大学生体解剖事件

このドラマに出演した、いずれも福岡県出身の俳優妻夫木聡さんと蒼井優さん、二人とも台本を読むまで事件を知らなかったそうです。

 事件は終戦の日も近い1945年の晩春に起こりました。3月末から始まった凄惨な沖縄戦は6月末まで続き、米軍と日本軍の戦火に巻き込まれ、集団自決の悲劇も含めて、10万人以上の沖縄県民間人が亡くなりました。5月5日早朝、米空軍爆撃機B-29 多数が福岡市を含む北部九州に飛来して爆撃を行い、これを迎え撃った日本空軍の戦闘機によって、2機のB-29が撃墜され、搭乗員たちは阿蘇山地域にパラシュートで降下しましたが、その2名は地元住民によって殺されました。生き残った捕虜11人のうち、機長一名は東京に送られ、残りの10人は西部軍司令部が裁判なしに死刑に処することにしましたが、そのうちの8名が福岡市の九州(帝国)大学の医学部に連れてこられて、石山福二郎主任外科部長(教授)の主導の下で、生きたまま解剖研究の対象にされました。実施の期間は5月17日から6月2日と記録されています。

 6月19日から6月20日にかけて、福岡市はB-29による大空襲に見舞われ、市民千人以上が死にました。私の一家は助かりましたが、親友のお姉さんが焼夷弾の直撃を受けて亡くなりました。この空襲で母親を失った陸軍将校が、その復讐の想いに駆られて、生体解剖を免れて生き残っていた2名を含む8名の米軍捕虜を、空襲直後の6月20日、市内の女学校校庭で斬首の刑に処しました。「西部軍事件」です。

 長崎原爆投下の前日、8月8日午前、福岡市から南に伸びる西鉄大牟田線の電車の上りと下りの2車両が、飛来した米空軍戦闘機からの機銃掃射を受け、約100人が射殺されました。車内は血の海であったと伝えられています。

 さる9月4日の夜、NHKの終戦ドラマ『しかたなかったと言うてはいかんのです』を見はじめた私は、1分も立たないうちにテレビをオフにしてしまいました。ドラマでは九州帝国大学ではなく「西部大学」となっていましたが、九州帝国大学物理学科に入学して終戦を迎えた人間として、「九州大学生体解剖事件」についての記憶は長く重く、ドラマを視聴し通す苦痛に耐えられない予感がして、テレビを切ってしまいました。記憶の始点は遠藤周作の小説『海と毒薬』でした。私はこの小説に、また、この作者に複雑な思いを持ち続けています。私は信仰者ではありませんが宗教には、とりわけ、キリスト教には強い関心を持っています。先日にも言及したトーマス・マートンとアルベール・カミュへの関心もその一部です。この二人の影響のもとで、私は個々の人間の罪の意識の問題よりも集団としての人間たちが行う戦争という罪悪の方により強い問題意識を抱いています。

 2008年11月29日、九州大学医学部で日本生命倫理学会第20回年次大会が開催され、九州大学医学部の笹栗俊之教授が組織されたシンポジウ『戦争と研究倫理』に、私も参加させて戴きました。そこで東野利夫さんが「いわゆる『九大生体解剖事件』の真相と歴史的教訓」という表題で講演をされました。東野利夫さんは、私と同じ1926年生まれ、医学生として生体解剖に立ち会い、事件現場で起きたことの詳細を世に伝える仕事に最大の貢献をした方です。事件当時、私は九大理学部物理学科の一年生になったばかりでしたから、東野さんは補助員的な身分で生体解剖に参加されたのであったろうと思います。東野さんには幾多の著書がありますが、最終の著書のタイトルは『戦争とは敵も味方もなく、悲惨と愚劣以外の何物でもない』(2017年)でした。2021年4月13日に95歳で亡くなりました。

 シンポジウム『戦争と研究倫理』では私も『原爆と科学者の倫理』と題する講演をさせて戴きました。講演では、戦争という状況下で、科学者は何をすべきか、やろうと思えば何ができるか、という問題に、まぶしすぎるような答えを私たちに与えてくれた物理学者ジョセフ・ロートブラットの物語を致しました。その時の私の講演原稿から引用します:

「ロートブラットはポーランドの首都ワルシャワで1908年に生まれました。1938年ワルシャワ大學で博士号を得て、翌年には英国のリバプール大学のジェームズ・チャドウィックに招かれて、その研究グループに入ります。チャドウィックは中性子(ニュートロン)の発見者で、1935年、ノーベル物理学賞を受賞していました。1944年の始め、チャドウィックは英国の原爆開発チームの長として米国のロスアラモス研究所に移りましたが、ロートブラットもその一員としてロスアラモスに入り、チャドウィックの家に寄宿していました。ロートブラットは妻と娘をワルシャワに残したままでした。1944年3月のある夜、マンハッタン計画の総指揮官グローブス将軍がチャドウィック家の夕食に招かれてやって来ました。その夕食の席でグローブスが、まるで分かりきった事の様に、「原爆を作っている本当の目的はソヴィエトを制圧することだ」と発言したのに、ロートブラットは強いショックを受けます。当時、ソ連軍はヨーロッパの東部戦線で多大の出血犠牲を払ってナチス・ドイツ軍と死闘を続けていた“味方”であったのですから。ナチス・ドイツを打倒するために原爆製造に参加していたロートブラットにとってグローブスの発言は大変なショックでした。1944年の暮れ、ドイツでは原爆の開発は進んでいないことが確認された時、ロートブラットはロスアラモスを去って英国に帰りたいとチャドウィックに申し出ました。事は一筋縄では行かず、紆余曲折があったのは勿論ですが、チャドウィックの努力が実を結び、その年1944年のクリスマス・イーヴにロートブラットは英国に向かって旅立ちました。開けて1945年5月7日ドイツ降伏、7月6日ニューメキシコ州中部で世界最初の原爆炸裂、8月6日広島、9日長崎、15日日本降伏、と歴史は進みました。やがてわかった事ですが、彼がポーランドに残した妻と娘はアウシュヴィッツで亡くなっていました。 

 英国に戻ったロートブラットは学問の方向を原子核物理学プロパーから放射線医学に変更し、1950年、ロンドン大学のホスピタル・メディカル・カレッジの物理学教授に就任します。1954年3月1日のビキニの水爆実験の死の灰が第五福竜丸に降りかかりましたが、その死の灰の中にウラン237をいち早く検出したことでもロートブラットは知られています。彼は核兵器と戦争の絶滅を目指す運動に身を捧げ、バートランド・ラッセルを助けてパグウォッシュ会議の書記長を17年にわたって勤めることになります。彼の極めて多岐にわたる核兵器廃絶運動については、インターネット上に豊富な資料がありますのでご覧ください。1955年、ロートブラットはノーベル平和賞を受賞しましたが、受賞講演の中でヒポクラテスの宣誓に言及しています:「今や、ヒポクラテスの宣誓の様な形で、科学者が倫理的に振舞うためのガイドラインを明文化すべき時がきた。これは今から科学者としての生涯を始めようとしている若い科学者たちに特に有益であろう。」

 しかし、科学技術の職業に従事する人々が非倫理的行為を行わないように、ヒポクラテスの宣誓のような誓いを立てさせるというアイディアの有効性を、私は強く疑います。とりわけ、戦争という事態の下では、よほど強靭な精神の持ち主でなければ、そうした宣誓が要求する立場を取れないと考えるからです。ロスアラモス研究所には博士号持った所員が数百人は居たでしょうが、ジョセフ・ロートブラットのような勇気ある人物は彼一人しか出ませんでした。

 では、倫理に反する戦時研究に巻き込まれないようにするには、どうすれば良いか? この重要な問題に対する最善の解答も、実は、ロートブラットによって与えられています。1985年、原爆投下40周年記念の年に彼が書いた記念論文の最後の段落に次のようなことが書いてあります:「40年たった今も、一つの疑念がしっこく私の心につきまとっている。あの時犯した誤りを繰り返さないように我々は十分に学んだであろうか? 私は自分自身についてさえ確信が持てない。絶対的な平和主義者ではない私は、もしあの時と同じような状況になったら、自分が前と同じように振る舞う事はないと保証をしかねるのだ。我々の道徳観念は、一度軍事行動が始まれば、ポイと投げ捨てられてしまうように思われる。だから最も重要なことは、そうした状況になることを許さないようにすることである。我々の一番の努力は核戦争の阻止に集中されなければならない。何故ならば、そうした戦争では、道義だけではなく文明の組織全体が消滅するであろうからだ。究極的には、しかし、我々はあらゆる種類の戦争をなくしてしまうことを目指すべきであろう。」(講演原稿からの引用終わり)

 危機的状況にしっかりと取り囲まれてしまった後で、倫理的行動に徹することは私たち凡人にとってはとても難しいことです。誰もがジョセフ・ロートブラットになれるわけではありませんし、それを自らに期待すること他人に要求することも誤りであると、私は、考えます。現在の米中対立の状況、特に台湾の問題を思う時、私たちは、戦争を阻止するために、日本政府に対して、米国に対して、中国に対して、今こそ、私たちが持っている勇気の限りを奮って、直言し反省を促すべきであると考えます。今ならば、まだ出来ます。

 NHK制作の終戦ドラマ『しかたなかったと言うてはいかんのです』に話を戻しましょう。

「生体解剖」を行なったとして、石山福二郎教授はじめ5名の関係者が横浜の軍事法廷で戦犯として絞首刑の判決を受けましたが、石山教授は獄中で自殺し、九大関係者として石山教授に次ぐ地位にあった鳥巣太郎助教授は、その後、恩赦によって釈放されました。

西日本新聞の記事:

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/783471/

によれば、ドラマは鳥巣太郎氏の生涯の「事実に基づくフィクション」です。鳥巣氏は「(戦争中だから)しかたなかったと言うてはいかんのです」と、軍や教授の命令に逆らえず医の倫理を踏み外したことを晩年まで悔い続けていたそうです。

 

藤永茂(2021年9月9日)

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なめとこ山の熊

2021-08-25 11:37:35 | 日記・エッセイ・コラム

 身の回りの片付けをしていたら、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』の本が出て来ました。大昔に何度も読んだ大好きな話です。私と同じ気持ちの方々も沢山おいでになることでしょう。何しろ、「なめとこ山の熊のことならもしろい」というのが書き出しの文章で、この触れ込みに嘘はありません。読んでみたことない人は是非お読み下さい、面白い、良いお話ですから。

 人間は他の人間を殺します。人間でない動物も他の生命体を殺します。『なめとこ山の熊』の話の主人公である淵沢小十郎は、熊を殺してその皮と胆(きも)を売って暮らしを立てていました。筋を話すと読む楽しみを損ないますのでここで止めておきます。

 今度読んでみて大層驚いたことがあります。少し読み進んでからは、涙がポロポロ出て止まらなくなったのです。どうにもならない。驚きました。

 歳を取ると概して涙もろくなるといいます。わが身を省みても確かにその傾向が認められます。心が弱くなって感傷的になり易いのでしょうか。若い頃、ポール・ヴァレリーに傾倒していた時期があって、彼の「感傷は精神のポルノグラフィーである」という御託宣を知ってからは、なるだけ感傷にふけることがないように努力してきたように思います。私が大正生まれの古い男であることとも関係があるかも知れません。

 しかし、今度、宮沢賢治の『なめとこ山の熊』を読みながら、止めどなく溢れ出た涙は、単なる老人の感傷の涙ではなく、宮沢賢治の深く大きな仏心に触れた真実の感動の故のものであったと思えて仕方がありません。しかし、一方では、やはり、この涙は、人間の人間に対する飽くなき残忍性をあまりにも長い間見せつけられて、とうとう心が折れてしまった老人の感傷的な涙に過ぎないのかも、という怖れもぬぐい切れません。

藤永茂(2021年8月25日)

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戦争 科学者たちの罪と勇気

2021-08-18 20:49:18 | 日記・エッセイ・コラム

 去る8月16日、NHKのBSプレミアムで上記のタイトルの番組がありました。学ぶ所の多い内容でしたが、原子爆弾に関する映像の表示で、この番組に限らず、殆ど全ての場合に、誤った印象を与え続けている場面が二つありますので、この機会に、改めてはっきりと訂正をして置きたいと考えます。

 その一つは「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーが、その晩年、原爆製造の罪を悔いて「われは死となれり、世界の破壊者となれり」と悲痛な面持ちで語る映像です。この言葉はヒンズー教の主神ヴィシュヌが発したのであり、それは、同胞殺戮の戦闘への参加をためらう王子アジュナを励ますための発言でした。

 これについては、このブログの前回で紹介した拙著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(ちくま学芸文庫)の末尾の「文庫版あとがき」で説明しましたが、以下にその一部を引用します:

**********

 ヴィシュヌの「われは死・・・・」云々の話をオッペンハイマーが何時どこで他人に初めて語ったのか、はっきり確かめられていない。それが最初のキノコ雲の下でなかったことはほぼ確かである。最もよく知られ、引用されているのは、彼の死の二年前の一九六五年に米国の放送会社NBCが制作したテレビドキュメンタリーに収録された老オッペンハイマーの回想的発言である。音楽家坂本龍一の作品『オッペンハイマーのアリア』でも巧みに利用されている。

「僅かな人々が笑い声をたて、僅かな人々は泣いた。殆どの人々は黙っていた。私は、ヒンズー教の聖典バガヴァド・ギータの一行を思い出した。

 ヴィシュヌは、王子がその義務を果たすように説得を試み、王子を威圧するために、自らは、多数の腕を持つ姿に変身して、「今や我は死となれり、世界の破壊者となれり」と語る。私たちの誰もが、あれこれ何らかの形で、そうした考えを抱いたものと私は推察する」

*********(引用終わり)

 このあと、参考のため、オッペンハイマーの発言のトランスクリプトとして標準的な英文も掲げてあります:

A few people laughed, a few people cried. Most people were silent. I remembered the line from the Hindu scripture, the Bhagavad-Gita; Vishnue is trying to persuade the prince that he should do his duty, and to impress him, takes on his multi-armed form and says, “Now I am become death, the destroyer of worlds.” I suppose we all thought that, one way or another.

 テレビの画面からは、a few people よりも few people と聞こえるようにも思われます。坂本龍一の作品では、たしか、そんな風に和訳してあったように記憶しています。

 しかし、オッペンハイマーが聖典バガヴァド・ギータからヴィシュヌの言葉として告げる「今や我は死となれり、世界の破壊者となれり」には、拙著で議論されてない重要な問題があります。村上勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』(岩波文庫)の97頁あたりから少し写させて貰います:

**********

 あなたは全世界を遍く呑み込みつつ、燃え上がる口で舐めつくす。あなたの恐ろしい光は、その輝きで全世界を満たして熱する。ヴィシュヌよ。(三〇)

 私に告げて下さい。恐ろしい姿をしたあなたは誰なのか。あなたに敬礼します。最高の神よ。お願いです。本初なるあなたを知りたいと思います。私はあなたの活動(の目的)を理解しないので。(三一)

 聖バガヴァッドは告げた。――

 わたしは世界を滅亡させる強大なるカーラ(時間)である。諸世界を回収する(帰滅させる)ために、ここに活動を開始した。たといあなたがいないでも、敵軍にいるすべての戦士たちは生存しないであろう。(三二)

 それ故、立ち上れ。名声を得よ。敵を征服して、繁栄する王国を享受せよ。彼らはまさに私によって、前もって殺されているのだ。あなたは単なる機会(道具)となれ。アルジュナ。(三二)

**********(引用終わり)

 この原典からの翻訳に従えば、アルジュナ(オッペンハイマー)は「時(死)」の働きを成就するための単なる道具となり、名声を得たことになります。この問題は、時を改めて、よく考えてみたいと思います。

 さて、NHKの「映像の世紀」番組の原子爆弾関係の映像のもう一つの問題点は、アインシュタインがハンガリー人物理学者レオ・シラードの用意した「アインシュタインの手紙」に署名する場面を撮影した動画です。これについては、拙著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(ちくま学芸文庫)の273頁に注をつけてあります。今の言葉で言えば、これは“やらせ”なのです。戦後に原子爆弾についての記念的記録映画を制作する企画が持ち上がった時、レオ・シラードの要求でこの“歴史的”場面が挿入されたのでした。視聴者は実写記録と思って観ているでしょう。そのこと自体は大した問題ではありません。しかし、レオ・シラードを強く批判する立場をとっている私としては、見過ごす訳には参りません。

『核抑止と核廃絶(2)』(2010年4月28日)のブログ記事:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/m/201004

で、核廃絶の運動を抑えて核抑止の政策を推し進めた人物の一人としてのレオ・シラードを論じました。NHK番組『戦争 科学者たちの罪と勇気』にも登場する「ラッセル・アインシュタイン宣言」(1955年)が主張した核廃絶の考えにレオ・シラードは反対し、「核抑止」の政策が世界を支配したのでした。

 レオ・シラードには『THE VOICE OF THE DOLPHINS』(1961年)という奇書があります。日本語訳も出ていて『イルカ放送』となっています。

この本が出版された時、私はシカゴ大学物理学教室のロバート・マリケン教授のもとで研究に従事していました。前回のブログ記事『物理学者は罪を知ったか?』に書いた通りです。当時シラードは大学のファカルティ・クラブの宿泊施設の一室に住んでいて、マリケンの知人の一人でした。マリケン教授は、ある日、「これ面白いよ」と言って、出版直後の『イルカ放送』を私にくれました。もう60年も前の懐かしい貴重な思い出です。

 レオ・シラードを「原爆の父」と呼ぶ論者もいます。ウラン原子核の中性子による連鎖反応でエネルギーが得られる可能性に逸早く気づいた彼は、1934年にそのプロセスについての特許を米国特許局に申請し、1936年に特許権を獲得していました。『THE VOICE OF THE DOLPHINS』は、核兵器、核戦争についてのシラードの考えに関する極めて興味深い著作です。本気で取り上げれば、科学史の学位論文の一つや二つは出来上がること請け合いの内容と私は考えます。

 

藤永茂(2021年8月18日)

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物理学者は罪を知ったか?

2021-08-12 14:18:39 | 日記・エッセイ・コラム

 永井隆著『長崎の鐘』の「原子爆弾の力」の節に次の文章があります:

**********

ただ一発でこれだけの生命を奪い、これだけの破壊を逞しゅうした爆弾は 一体何物であろう。婦長さんが走ってきて手渡した一枚の紙片は、昨夜敵機 の撒いたビラだった。眼をすべらせていた私は思わず叫んだ。 あっ、原子爆弾! 私の心はもう一度、昨日と同じ衝撃を受けた。原子爆弾の完成! 日本は 敗れた! なるほどそうだ。この威力は原子爆弾でなければならぬ。昨日からの観察 の結果は、予想されていた原子爆弾の現象と一々符節を合わすものだ。つい にこの困難な研究を完成したのであったか。科学の勝利、祖国の敗北。物理学者の歓喜、日本人の悲嘆。私は複雑な思いに胸をかき乱されつつ、酸鼻を 極むる原子野を徘徊した。

**********

科学の勝利、祖国の敗北。物理 学者の歓喜、日本人の悲嘆。・・・これらは、私にとって、読み過ごすことの容易でない言葉です。

 去る8月7日のNHKのETV特集「日本の原爆開発」で、仁科芳雄の残した未公開書簡に基づいた日本での原子力開発についての重要な史実が報じられていました。仁科芳雄は1923年から5年間半、当時の原子物理学と原子核物理学の研究の世界的中心であったデンマークのニールス・ボーア研究所で研鑽を重ね、日本に帰国後、理化学研究所内の指導的地位に就き、原子核や宇宙線の謎の解明に邁進します。ウィキペディア「仁科芳雄」には“日本の現代物理学の父”とあります。1937年には米国のローレンスが発明し建設したばかりのサイクトロン(核粒子加速装置)を理研で、民間会社からの寄付に依存しながら、建設し、小型の装置でしたが原子核物理の研究成果を着々と挙げ、勢いに乗った仁科芳雄は60インチの大型サイクロトロンの建設を進めます。この大きさは当時世界最大で、ローレンスのカリフォルニア大学と理研だけが製作を進めていたのです。しかし日中戦争の進行下で民間企業からの援助は枯渇し、仁科はやむなく金回りの良い日本陸軍に資金援助を求めました。

 1938年の末、中性子をウラン原子核に当てると核が二つに分裂して、その際、多量のエネルギーが放出されることが発見されました。しかし、泣き所は、天然のウランの大部分は核分裂しにくい「ウラン238」で、中性子を当てると分裂する「ウラン235」は0.7%しか含まれていないことでした。

 1937年7月7日の盧溝橋事件によって日中戦争が本格化し、米国は日本に対して石油輸入の封鎖に踏み切ります。米国が、今、シリア、キューバ、ベネズエラに対してやっている封鎖と本質的に同じことです。祖国の危機を憂いた仁科芳雄は核分裂現象を日本のエネルギー問題の緩和に利用しようと考えます。今の言葉で言えば原子力の平和利用です。しかし、核分裂のエネルギーの軍事的利用の可能性に気づいた陸軍はその研究を仁科芳雄に求めます。仁科の「に」をとって「二号研究」というコードネームが選ばれました。大型サイクロトロンの建設の経験などを通じて「米国と戦争して全く勝ち目はない」ことを確信し、親しい友人にもその思いを漏らしていた仁科芳雄でしたが、彼は嫌々ながら「二号研究」に従事したとは、私は思いません。1945年3月10日の東京大空襲によって理化学研究所は壊滅しますが、彼は金沢その他に場所を移して「二号研究」を続けようとしました。しかし、この研究は「ウラン235」の濃縮分離という初期段階で行き詰まっていました。米国が原子爆弾の製造に成功し、8月6日、それを投下して広島を壊滅したことを確認した仁科芳雄は「二号研究」が何らの成果も挙げ得なかったことを慙愧して「我々は文字通り切腹をしなければならない」と言ったと伝えられています。私にはその気持ちが分かります。

 日本海軍は京都大学の物理学者荒勝文策(あらかつぶんさく)に核分裂を利用する原子爆弾の開発を依頼します。分裂(fission)のFをとって「F研究」と名づけられました。荒勝文策は実験物理学者の鑑ともいうべき優秀真摯な人物でした。荒勝の「F研究」も仁科の「二号研究」と同じく「ウラン235」の濃縮分離という難関に阻まれたままヒロシマを迎えました。

 1996年出版の拙著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(朝日選書)で、私は物理学者の犯した罪の問題を取り上げました。今回(8月10日)、筑摩書房の渡辺英明さんと元朝日新聞社の山田豊さんのご尽力で、その改訂版が「ちくま学芸文庫」の一冊として出版されました。ウェブサイト「webちくま」に紹介されていますので、覗いてくだされば幸いです。拙著の「序」の全文が「ためし読み」として掲載されていますが、以下にその前半をコピーます:

1 オッペンハイマーを知っているか?

『ジュラシック・パーク』という映画がある。これまでに数百万の人が見た映画だろう。その中にロバート・オッペンハイマーの肖像写真が大写しになる所がある。恐竜パークを管理するコンピューターのモニター・スクリーンの向かって左側に貼りつけられている。オッペンハイマーの顔のすぐ上には原爆のキノコ雲のマンガも貼ってある。そのコンピューターを操作する男ネドリーにとっては、オッペンハイマーがアイドルであることを、この映画の監督スピルバーグはきわめて意識的に示そうとしているのである。ここに、オッペンハイマーとは私たちにとって何かという問題が見事にまとまった形で顔を出している。

 このネドリーという男の性格、思考パターン、行動は『ジュラシック・パーク』の恐怖物語の展開にとって要の位置を占める。コンピューター技術者としては有能で不可欠の人物だが、自分の欲望に歯止めがなく、金次第でどのような事でもする。他人にどんな迷惑がふりかかろうとお構いなし。このネドリーという無責任野郎がいなかったら、ジュラシック・パークの破局はまだまだ先のことになっただろう。ネドリーと自分を同一化する観客は一人もいまい。ネドリーは自分ではないのである。地獄に堕ちるネドリーを見つめる快感は、スピルバーグが巧みに私たちに売りつける商品の一つである。

 昭和二〇年(一九四五)八月九日午前一一時三分、原爆が長崎の上空で炸裂した。当時、九州大学の物理学科の学生であった私は福岡市の郊外で父母とともに暮らしていたが、終戦直後のある日、空ろな目をした兄が突然姿を現わした。爆心に近い三菱の兵器工場で働いていた兄は、炸裂の直前、たまたま地下室への階段を下りたため、腕に熱線による火傷を受けただけだった。地下室から上って外に出た兄は、そこに多数の女子工員が形を失った肉塊となって並んでいるのを見た。私が兄から聞いた話はただそれだけである。それから五〇年間、その日のことについて兄は私に何も語らなかった。私も何も聞かなかった。幸いにも兄の血管の中に白血球が突然溢れることはなかったようだ。しかし、この半世紀、兄が黙って長崎の死を裡に抱いて生きつづけたことを私は知っている。

 私は一九五九年の秋に渡米して、シカゴ大学物理学教室のR・S・マリケン教授の下で分子計算の仕事を始めた。厳しい木枯しの吹くある朝、大学行きのバスを待っていた私の前に一台の車が止まった。中年の男が自分も大学に行くから乗せてあげようと言う。大学構内で私を見かけたのだろう。経済学部の教授らしいその男は、アメリカでの研究生活についての私の感想を求めた。マリケン教授の下での何の義務も束縛もない毎日は、私にとっては天国のようなものであったから、その通りを述べると、彼はうなずきながら、次にはアメリカが広島、長崎に原爆を投下したことについての私の意見を求めてきた。私が口ごもっていると、彼は言った。「あなたたち日本の知識人は日本のファシズム独裁軍事政権が倒される日の到来を強く待ち望んでいたに違いない。我々の二発の原爆はそのファシズム政権を見事に打倒した。だからあなた方の心の中にはアメリカの原爆によって解放されたという気持があると私は思うのだが、どうだろう」。私は語る言葉を持たなかった。幸いにも車は大学に着き、私は逃げるようにして車を辞した。

(引用終わり)

 本書は広島型(リトルボーイ)と長崎型(ファットマン)の技術的相違やオッペンハイマー聴聞会についてかなり立ち入った説明を含んでいますから、少し退屈かも知れませんが、物理学者が犯した罪について興味をお持ちの方々は第11章「物理学者の罪」だけでも読んでください。その中の「36 物理学者は罪を知ったか」の始めの部分を以下に掲げます:

 オッペンハイマーの「物理学者は罪を知った(Physicists have known sin)」という言葉は、1947年11月25日、マサチューセッツ工科大学(MIT)で行われた講演「現代世界における物理学」の中で語られた。それが含まれている文節の全体を訳出する。

「戦時中のわが国の最高指導者の洞察力と将来について判断によってなされたこととはいえ、物理学者は、原子兵器の実現を進言し、支持し、結局その成就に大きく貢献したことに、ただならぬ内心的な責任を感じた。これらの兵器が実際に用いられたことで、現代戦の非人間性と悪魔性がいささかの容赦もなく劇的に示されたことも、我々は忘れることができない。野卑な言葉を使い、ユーモアや大げさな言い方でごまかそうとしても消し去ることのできない、あるあからさまな意味で物理学者は罪を知ってしまった。そして、これは物理学者が失うことのできない知識である。」(引用終わり)

 この私のブログの7月1日付の記事『君はトーマス・クーンを知っているか』に山椒魚さんから次のようなコメントを頂きました:

*********

 自然法則の必然性に関連して(山椒魚)

2021-07-02 20:12:32

先生はトーマスクーンの「ヒュームの問題」のところで,自然法則は必然性の下にあると述べていられ,物理学の発展の過程も必然的あるというように述べられていたように思います。今,世間はSRAS-COV19の問題で大変になっていますが(?)
 この感染症に対するワクチンが遺伝子操作によって作成され使用されています。このように生命科学が人類の遺伝子を自由に操作できるようになった過程も必然的であるとしたら,この先新たな生命を科学が産生できるようになるとしたらどのような社会が訪れるのだろうかとおもいます。
 「必然性」ということについても,物理学の発展の過程は必然的であったとして,人間社会の社会制度のあり方はどう考えたらよいのでしょうか。文明社会はその発展帰結として,どのようなところに収斂してゆくのか,それは必然的なのか。
 人間同士が殺戮を重ねているこの状態は,必然的で変えることはできないのか,いつも考えていますが

*********(コメント終わり)

私は、7月8日付けのブログ記事で、よく考えてからご返事する約束をしましたが、コメントの最後の一行からも明らかなように、今回の主題「物理学者の罪」とも深く関わる問題提起で、軽々しくお答えできる事柄ではありません。

実は、この数ヶ月、『物理学者は罪を知ったか』という表題の書き物をしています。老齢のこととて、書き上げることが出来ないかもしれませんが、人間同士が大規模の殺戮を重ねている現状を何とかして変える方途を、物理学者として、全力で考えているところです。今、二つの名前が圧倒的に私の心を占めています。トーマス・マートンとアルベール・カミュです。そのうちに、このブログ上で、その理由をお話ししたいと思っています。

 

藤永茂(2021年8月12日)

 

 

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メルヴィルのビリー・バッド(2)

2021-07-26 19:51:36 | 日記・エッセイ・コラム

 NHKテレビで人間の「泣く」という行為を取り上げた番組がありました。その中で、「人はどのような時に涙を流すか」を調べたところ、第一位は「ペットが死んだ時」で「近親者が亡くなった時」は第二位だったと報じていました。意外な結果でしたが、考えているうちに、順位よりも、人間の「心」そのものの性質の方が興味深いと思うようになって行きました。「心」とか「魂」とかいう言葉は曖昧そのものですが、私たちはこうした言葉を、日常、実によく使います。「ペット・ロス」という精神医学の言葉があります。愛するペット動物を持った経験のある人はペットにも「魂」があると、無意識にしても、固く思い込んでいると思います。だから、ペットの死に直面して涙するのです。「心」、「魂」、心と心の触れ合い、魂と魂との結びつき、これらが空語でないことを、私も妻を失って痛烈に実感している毎日です。そして、それは一方通行であっても良いのです、片思いでも構いません。人間とはそういう性格を具有した動物であるという事実こそが重要です。

 『ビリー・バッド』の話に戻ります。急ぎ開廷された軍艦上の軍法法廷で死刑の判決が下され、翌朝、絞首刑の実施が決まります。法廷の判決をビリーに自ら伝えようと艦長ヴィアは申し出て、二人だけで個室に入ります。密室内で何が行われたか、どのような会話が交わされたのか? 作者(ナレーター)は推測をするだけで、はっきりしたことは何も読者に語ってくれません。ヴィアから翌朝絞首刑の判決を聞いた罪人ビリーは、個室から出た後、足枷をされて甲板に転がされていましたが、不思議なことにその表情はまるで穏やかで、時折は微笑みのエクボらしいものも浮かんでは消えるといった有様でした。従軍牧師が、通例に従って、最後の懺悔を訊くためにビリーのそばに跪いても、牧師の存在など意識する気配がないのを見てとって、牧師はビリーのから身を引いてしまいます。朝が来て、絞首刑執行の直前、ビリーは朗々たる声で「神よ、ヴィア艦長に祝福を与え給え」と叫びました。飯野友幸訳には「はっきりとした言葉と自然に発した谺とが渦巻くように跳ね返ってきたが、ヴィア艦長はストイックな自己抑制のせいか、それとも感情を揺さぶられて瞬間的に麻痺したせいか、兵器係用の棚にならんだマスケット銃のように直立不動で立っていた。」とあります。

 ヴィアを艦長とする軍艦は、やがて敵艦に遭遇し、敵艦から発射されたマスケット銃の銃弾を浴びてヴィアは甲板上に倒れて戦死します。彼の最後の言葉は「ビリー・バッド、ビリー・バッド」というものでした。

 前回のブログ記事の末尾に引いた福岡和子さんの論文にも大塚寿郎さんの解説にも、また、Spanos の本にもある通り、ビリー・バッドとヴィアとは同性愛の関係にあったという解釈が広く行われているようです。それならばそれでよろしい。二つの魂が美しく触れ合ったということだけが私にとって大切なのです。同性愛であったか、なかったかなど、どうでもよいことです。

 密室の中でビリー・バッドとヴィアの間にどのような会話が交わされたのか、想像するしかありません。同じことは、歌舞伎菅原伝授手習鑑「寺子屋の段」の小太郎と源蔵の関係についても言えます。家屋の奥で、源蔵が小太郎の首をはねる前に二人の間で交わされた会話を私たちは知ることができません。しかし、斬首の後にやって来た小太郎の父親の松王丸は、源蔵から事の次第を聞いて、「何、にっこりと笑いましたか。にっこりと、こりゃ女房、にっこりと笑うたというやい。・・・・」という名台詞を吐きます。

 「勧進帳」は、歌舞伎通でない私のような者にも、数多ある見せ場の面白味がよくわかる名作ですが、私にとってのクライマックスは、何と言っても、安宅の関の関守、冨樫左衛門が、弁慶一行の正体をはっきりと見抜きながらも、弁慶という男の見事な魂に触れて感動し、一行を通せば源頼朝が自分を殺しにかかるのを承知の上で、弁慶と義経の命を救う決意をする瞬間の一場面です。

冨樫左衛門には実在のモデルがあったようで、その名、冨樫泰家(やすいえ)、ウィキペディアによると、関守の職を剥奪された後、故郷の地に潜んで死を免れ、やがて出家して「成澄」を名乗り、奥州平泉まで出かけて弁慶との再会を果たしました。弁慶はやがて平泉で「弁慶の立ち往生」で知られる壮烈な戦死を遂げますが、冨樫(成澄)は故郷で天寿を全うしたそうです。

 源蔵が匿っていた主君の子息の身代わりとして、笑顔で死んでいった美少年小太郎と源蔵の関係は、ビリーとヴィアの関係に似ています。外的な exceptionalな状況の重圧のもとで、何の罪もない子供が犠牲となって殺されました。「テロとの戦い」という錦の御旗、大国の身勝手な口実によって、世界中の無辜の人間たちが、数知れず、殺害されている現実は、Spanosの新しい『ビリー・バッド』解釈を生み出しました。

 今の世界を支配している権力構造に蹂躙されるままになっている無数の無名の人間たちはお互いにあらゆる形態の「魂と魂の絆」で結ばれて暮らしています。ペットとの間柄も含まれます。あまりにも使い古された言葉ですが、私は、ここで、「愛」について語っているつもりです。

 「ビリーが反乱を企てている」と艦長ヴィアに讒訴するクラガートは人間の心に潜む邪悪のシンボルです。個人の内心に潜む悪の存在は、我が身の内側を覗き込めば、おそらく誰もが認めざるを得ないことでしょう。しかし、今の世界に君臨する巨大な悪は権力が造った構造的なものであり、必然的なものではありません。この社会構造的な悪は、根絶は望めないにしても、大多数の人間たちの日々の平和な生活を蹂躙しないレベルに押し鎮める事は可能であろうと、私は考えます。そう、希望します。このオプティミズムの根拠は、人が人を愛する能力がある、人は万物を愛することが出来る、という不動の事実の存在です。「愛」は存在します。ビリー・バッドとヴィアとの魂のふれ合いは、極限的なケースではありましょうが、「愛」の存在の鮮烈な象徴です。

 もう一つだけ、よく知られた「愛」の例を挙げましょう。名作映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のアルフレードとサルバトーレ(トト)との間の美しい「愛」、これさえあれば、人間、他には大して何もいらないのです。この映画に出てくる全くありきたりの「愛」の数々、心と心の触れ合い、親と子、大人と子供、夫婦、姉妹、兄弟、男と男、男と女、女と女、・・・、どんな人間の間にも、「愛」は成立し、存在します。人間と動物の間にも「愛」は見事に成り立ちます。私たちはこの世に無償の「愛」が存在することを否定することはできません。この事実に“じゃなかしゃば”(今の世の中でない世の中)の実現可能性を見て悪い理由は何もありません。

 さき頃、RICHARD GILMAN-OPALSKY という人の書いた『The Communism of Love』(2020年出版)という本を読みました。些か胡散臭いタイトルだと思う人もいるでしょうが、著者は、私と同じく、大真面目です。交換価値を求めない無償の「愛」についての考え方において、私と共通するところがあります。この本の中に、昔のドイツで活躍し、47歳で惨殺される悲運に見舞われた共産主義革命家ローザ・リュクセンブルクの話が出て来ます。この女性はミミという猫をこよなく愛し、まるで一人の人間のように扱いました。彼女は「愛」に満ちた人間でした。

 

藤永茂(2021年7月26日)

コメント (8)
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