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世間という民活

2022-01-01 17:22:10 | 中産階級ハーレム
よく当選者が出るとされる有楽町の年末ジャンボ?の行列、身なりのよい人が多いのだが、もし前後に並んでた人を後で「当選しました!」とかテレビで見かけようもんなら嫉妬というか焦燥というか、胸も張り裂けんばかり、死ぬまで引きずるんじゃないか。パチンコ開店前から並んで一つの台に執着し続ける身なりのよくない人と変らない。あるいは転売屋。自分だけは損したくない。監視・査定・選別、ときに排除まで行う、わが国特有の「世間」なるものの様相を象徴している。

コロナ禍が始まった一昨年、それまで「いつ死んでもいい」って言ってた婆さんが「コロナでだけは死にたくない」と言い出したそうだ。「世間」の笑いもの。自分だけは損したくない、そういう世間。松田聖子の娘さんが亡くなったニュース、いまどきマイ・フェア・レディのような古い拝金・男尊女卑のストーリーで全国を回れるということにまず驚いてしまった。女は個々は男よりマジメで優秀だが、集団になると手の付けられない馬鹿になる。昼間のテレビ・ドラッグストア・主婦・女子大生。狭い世間を形成し、打たれる杭にならないよう「普通・平凡」に寄せて監視し合う。

女は妊娠・出産・授乳の期間を仲間と助け合って凌ぐ必要上子どものころから社会性が発達している。人類の文明やさまざまな社会悪もこれら男女の性差の問題に端を発していることが多い。たとえば戦後の「標準労働者」=会社勤めの夫と主婦と子どもという家族のあり方は、会社を通じてお互いを人質のように縛っている面があり、会社員の男も(女のように)狭い世間を形成して相互監視するよう誘導され、部活や大学はその準備となる。私は部活も大学も経ておらず、20年間の会社員時代はとうとう最後までそういう世間のルールを理解できないままであった。



人質社員とは、その人が存在しているだけでよいという意味。何もしなくても、身柄を会社で拘束しているだけで、メリットがあるためだ。能力がないため社内では「人質」とか「劣る君」と言われている。人質の劣る君は、両親や親せきに有力者がいる人で、人質をもらい受けた会社の社長が、その有力者に会った際、「いやー劣る君(仮称)は頑張っていますよ」と、挨拶代りに言うだけで、有力者と良好な関係でいられて、仕事もうまくいく。このためだけに飼っておく。

よく「コネ入社」や「縁故採用」とは何が違うのかと聞かれるが、人質社員は、通常の入社試験では入れないことは明白。そんな能力はない。コネは「下駄を履かせる」=入社試験での点数を水増し、縁故は社内ネットワークの身内意識を固めるためで、「人質」のような取引関係を続けさせる代償という意味合いは薄い。

この手の人質社員はかつて電通が多く、また有名であった。電通というと、かつてはかなり優秀でないと入れなかった。また入社しても営業局に配属になると、スポンサーへの過激な接待のため、商社と変わらぬ男芸者の役割を演じていた。広告宣伝を取るというのは大変なのだ。不景気なので。

最近の人質君は電通よりも、テレビ局に増えている。以前はマスコミは格好がよく、給与も高かったので、有力者が子弟をテレビ局に押し込んだのである。お蔭でもともと人数の少ない東京のテレビ局は、人質やコネ、縁故の馬鹿ばかりが入ってきて、バカ度が上がり、会社組織が衰えてしまった。

まあ人質もかわいそうな面がある。有力者が失脚したり、スポンサーが買収されたりして、人質の母体会社との関係が変わったら、追い出される。利用価値がなくなったら、劣る君の会社人生も終わりである。これが人質の運命である。戦国時代は、人質はよく殺された。現代もこの仕組みは変わらない。 ─(2013年9月19日付「JTT海外展開のブログ」より抜粋引用)



「日本では常に互いの心をわずらわせまいと気にしています。とてもバランスのとれた関係を作っています。日本人が『YES』と言うとき、必ずしも『YES』を意味しません。実は『NO』かもしれません。なぜなら、他の人の気持ちを傷つけたくないからです。とにかく人の気持ちを害するようなことをしたくないのです。アメリカでは他の人の気持ちを気にする必要がありません。私は他の人のことを気にすることが得意ではないのです。アメリカで暮らすってすばらしいことですよ。私はまわりと協調して生きることができないのです。それが日本に帰りたくない理由の一つです」

「アメリカでは研究でやりたいことが何でもできました。非常に恵まれた中で、コンピューターの購入代金などすべてアメリカの政府がやってくれました。非常に多くのお金を使いました。私のような科学者が研究でやりたいことを何でもできるんです」

「アメリカの科学アカデミーは、日本よりはるかにいろんな意見が学者から上がってきます。日本よりはるかにいいと思います。日本の置かれた現状は非常に難しいですね。政治家と科学者のコミュニケーションがうまくいっていないのが問題だと思います。日本政府の政策にいろんな分野の専門家の意見がどのように伝わっているのか。政治家に対してアドバイスするシステムが日本は難しいところがいっぱいあると思うんですよ」 ─(米国に移住・帰化しノーベル物理学賞を受けた真鍋淑郎氏の会見より)


(AI・ユビキタスのようなテクノロジーの進歩は止められないとする)不可避主義のあらゆる教義には、虚無主義という生物兵器が仕込まれている。それは人間の営みをターゲットとし、人間の可能性というテキストから抵抗と創造性を削除するようプログラムされている。不可避というレトリックは狡猾な欺瞞であり、わたしたちを無力で受け身な存在にし、人間に関心を持たず持つべきでもない無慈悲な力の思うままにさせる。これがロボット化されたインターフェースの世界であり、 そこではテクノロジーは意志を持ち、断固として権力を守っている。 この状況の経済的意味を最も巧みに表現したのはジョン・スタインベックだ。彼の名著『怒りの葡萄』の冒頭の章では、世界恐慌のさなか、砂嵐に見舞われた農民が、故郷オクラホマから逃れてカリフォルニアに向かう姿が描かれる。一家は何世代にもわたって開墾してきた土地を追われた。彼らは地主の代理人に窮状を訴えるが、代理人が来たのは、彼らに無力さを自覚させるためだった。代理人はこう応える。「銀行ってのは、人間とは別ものなんだ。銀行で働いている者はみんな、銀行のやることを憎んでいるが、それでも銀行はそれをやめようとしない。まったくの話、銀行は人間以上のものだ。あれは怪物だよ。たしかに作ったのは人間だが、人間にはそいつを抑えることができないんだ」。 ─(ショシャナ・ズボフ/監視資本主義/東洋経済新報社2021・原著2019)



地方の中小企業とかで、外部から経営者を迎えようとすると、取引銀行が反対して血縁者に継がせようとしたがると聞く。代々の社長=その地元の名士ということで、経営が傾いても家とか私財を追加担保にしてどうにか再建しようとするから、銀行としては自分のところは損しないで済む。昔は女子行員は実家から通ってないと採用しないなんて話もあったし、監視・査定・選別、ときに排除という日本の「世間」の仕組みは、まさに銀行のようなウェットだが閉鎖的で冷たいものなのでは。

大企業ともなればそれ自体が1個の世間であり、経営者の世襲によって求心力を持たせる場合がもっぱらでも、逆に粉飾会計(オリンパス)や派閥争い(NISSAN)から世間の目を遠ざけるため外国人経営者を広告塔のように迎えることも。↑に引用した、教師が学校の資金を集めるため地べたにはいつくばってお札を拾う姿、米国から来日して東大で地震学を教える先生が「米国の恥部」としてリツイートしたので知ることができたのだが、日本の教師が明文化されていない部活の拘束や煩雑な書類仕事でブラック労働化しているのに対し、先生でもお金がすべて、金銭万能という明快さはあるように思う。それでこそ、いろんな想像もつかない人間がいるアメリカがGAFAなどの新しい商売を生み出す結果に。

↑画像の大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件(リンク・ウィキペディア)はまさにそういうアメリカと日本の落差、そして銀行が「日本の世間」を凝縮したような組織であることを示している。赤澤氏の父は、著者が子どもの頃は「額に汗して働く者が報われるような社会であってほしい、そのための銀行」と説いていたそうなのだが、専務にまで出世、銀行の暗部を組織ぐるみで隠蔽する立場となり、現役中に急死。家族は、ニューヨーク支店の事件が報じられてしばらくしてから、ようやく銀行での死去前の父の立場を知る。亭主元気で留守がいい。銀行で働く者はみな、銀行のやることを憎んでいる。さらに赤澤氏が入学した慶應大学も、エスカレーター式で進学してきた金持ち学生との間に格差のある、醜悪なプチ世間であり、彼は駆け落ち婚・日雇い労働とドロップアウトの道へ。

新年おめでとうございます。長文お読みくださり多謝です。もう結論はお分りかと。G7中でコロナ一人勝ち、経済一人負け、今後はスタグフレーション(不況下の物価高)や財政破綻にもなりかねない事態をもたらした最大のファクターXは「世間」だったのである。
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