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雑誌の興亡 #6

2008-12-21 16:02:56 | Bibliomania
【51】見る雑誌 - グラビア・ページの新機軸
『ロマンス』経営陣の前で屈辱を味わった岩堀喜之助も、『平凡』をB5判へと大型化させるにあたり“読む雑誌”から“見る雑誌”への大胆な転換を実行したことで、やがて『ロマンス』を凌駕する成功を収めることになる。B5判となった最初の昭和23年2月号の表紙は女優・高峰三枝子の歌う姿で、巻頭にも映画のスチルと歌手のポートレートを組み合わせたグラビアを載せるなど華やかな変身を遂げたのである。

【52】新しいレイアウト - 歌うグラビア
そのグラビアは「コロムビア・ヒットソング集」としてコロムビア・レコードとも提携して企画されたもので、歌詞を掲載したり映画と音楽を組み合わせたレイアウトはそれまでになかった斬新なものであった。歌詞はやがて歌本として別冊になるなど『平凡』の顔となり、同誌は活字を極力減らすいっぽう絵と写真を豊富に使って「歌と映画の娯楽雑誌」として生まれ変わる。

【53】ヒットソング集 - 歌謡曲を取り上げて成功
昭和20年代当時の人びとの心に流行歌はさざ波のように広がる大きな存在であり、そのため路線転換して以後の『平凡』は毎号のようにグラビア・ページで歌を紹介し、その他の内容も歌謡曲中心となってゆくのである。

【54】編集者の仕事 - 自分の感動を読者に
編集長の清水達夫が当時の人気歌手・岡晴夫のステージを見てその演者と客席の一体感に打たれたことも『平凡』の雑誌作りに影響したといい、同誌は岡の自伝的記事を掲載したほかやがてさらなる大歌手・美空ひばりとも出会うことになる。(下画像:「悲しき口笛」で人気を博したころの美空ひばり)



【55】ひばり情報誌 - 「この子はすごくなる」と
『平凡』昭和23年10月号に読切小説として掲載された「悲しき口笛」は翌年、松竹で映画化され主題歌をコロムビア・レコードの美空ひばりが歌うことになった。映画の試写会でまだ少女のひばりが歌う様子から彼女の大成を確信した岩堀と清水の意志もあり、24年4月号のグラビアで「美空ひばりちゃんの朝から夜まで」と題して彼女の私生活を紹介するなど、さながら“美空ひばり情報誌”の様相を呈した『平凡』は、昭和30年8月号で141万部に達するほど部数を急進させてゆく。

【56】『乙女の性典』 - 越えるべきハードル
『平凡』の部数を伸ばしたもう一つの要因が昭和24年3月号から連載された小糸のぶの小説『乙女の性典』であった。もともと彼女は同誌に読切小説を執筆していたが、松竹が少女の性教育をテーマとする映画を作るにあたってプロデューサーからぜひ原作となる小説を書いてほしいと頼まれ、いったんは断ったものの岩堀と清水に相談して引き受けることになる。

【57】立て看板 - 繁華街でPR活動
松竹のプロデューサーは石田清吉という人物で、彼は宣伝効果を考えて部数の多い『婦人倶楽部』へ連載させたい腹づもりであったが岩堀と清水から熱心に頼まれて『平凡』への連載が決まったのである。その初潮を描いた書き出し《三枝子はさっきから、股のあいだが妙にベトベトするのをどうしたわけだろうと思いながら、先頭から五、六番目の列を歩いていた》はタイトルやテーマとも相まって大きな反響を呼び、映画も大ヒット、続編も次々と掲載されて『平凡』の看板となった。(下画像:映画化を前提として題名を読者から募集しているため仮題で始まった連載小説)



【58】打ち合わせ - 戦略的な連載小説
連載小説の主導権がもっぱら作家にあった時代にあって、小糸のぶの連載小説は編集陣とも密接に打ち合わせてストーリーの設定・展開が決まってゆくという後のマンガ雑誌に見られるような手法を先取りして行われた。この打ち合わせにはやがて映画・音楽会社やデパート・衣料品メーカーも加わり、メディアミックス戦略として広範な影響を巻き起こす存在となってゆく。

【59】アマチュアリズム - 読者のことだけ考えて
たとえば、そごうデパートのキャンペーンを目的とした「有楽町で逢いましょう」の場合はまずフランク永井の歌が作られ、それに基づいて宮崎博史が小説を連載し、さらに大映が映画化するという具合であったが、こうした作家の領域まで踏み込む試みは『平凡』がアマチュアの集まりのような形で編集されていたことで可能になったのである。彼ら送り手がアマチュアだったことで、受け手である読者の意見もどしどし取り入れられてゆく。

【60】ミス平凡 - 愛読者の投書でスター発掘
その一つとして昭和23年末に実施された「花形歌手人気投票」はすさまじい反響を呼び、ハガキによる応募総数は42万8千枚にのぼった。1位の岡晴夫、彼を1位にさせるため『平凡』を買うことのできない者までハガキを書いたのだった。さらにこの企画は既存の歌手・映画スターを飛び越えて、愛読者の中からミス&ミスター平凡を選出することにまでおよび、その中から都はるみ、神戸一郎らの歌手を生むことにまで発展していった。
コメント
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