マガジンひとり

自分なりの記録

果てしなき戦い

2006-12-20 20:29:00 | マンガ

『ワタリ』白土三平(小学館文庫・全4巻ほか)
戦国時代、伊賀の里に二人の忍者がたどり着いた。少年忍者ワタリと四貫目と呼ばれる老忍で、この二人は伊賀でも甲賀でもない忍術を使うことから「第三の忍者」とされた。
伊賀の忍者には上忍を頂点とする厳しい支配構造があり、下忍たちは内容さえわからない死の掟によってがんじがらめに縛られていた。
そんな中でワタリは下忍養成所で働くカズラと友情を結び、やがてカズラや心あるリーダー格の忍者たちは「赤目党」を組織して、死の掟の秘密をあばき、忍者の世界に自由をもたらそうと立ち上がる。
その結果、死の掟を操って忍者を意のままに支配していたのは実は中忍・音羽の城戸(じょうこ)であることがわかり、城戸は追い詰められるのだが、そこに「ゼロの忍者」なる鎧兜で武装して馬にまたがる忍者が現れ、「我こそは伊賀の支配者なり」と宣言する。
そこでワタリたちは、今度はゼロの忍者を倒そうとしたが、その企みは巧妙なものだった。
苦闘のすえ、ついにゼロの忍者の秘密が解き明かされるときが来たのだが、意外にもゼロの忍者の正体は複数の伊賀の下忍たちで、音羽の城戸が催眠術で彼らを操ることによって、不死身のゼロの忍者を演出していたのだった。
伊賀の下忍たちによって、ふたたび音羽の城戸は追い詰められた。だが城戸は前もって織田信長の軍勢に伊賀の国を売り渡す約束を交わしており、信長軍の急襲によって伊賀は全滅してしまった。
四貫目とともにワタリ一族(誰の支配も受けず、放浪・旅回りの仕事をする人たちを守る忍者集団)のもとへ戻ったワタリは、そこで次々に奇怪な事件に巻き込まれ、仲間殺しの汚名を着せられたうえ、一族の人々からさえ命を狙われる状態におちいってしまった。
ワタリはこの影には必ず何者かが糸を引いているとにらんだが、その者が誰なのか、やがて恐ろしい全貌が姿を現す…。

杉良太郎さんに「君は人のために死ねるか」という曲があり、ダウンタウンの番組やコサキンでも「笑える曲」として話題を集めていたヘンな曲なのだが、最近のオラはこの曲の持つ異様なまでの迫力に捉えられ、親しみと実感を持って聴いている。
「♪許せないンい~ヤツがいる~許せないンい~ことがある~だから倒れても、倒れても、立ち上がる、立ち上がる…」
本当に現実もそんな感じだ、次から次へと許すことのできない敵が姿を現す…
『DEATH NOTE』にワタリという仮の名を持つ登場人物がいることから猛烈に読み返したくなり、久しぶりにその世界に浸ってみたのだが、1965年から67年にかけて週刊少年マガジンに連載されたという長編マンガ『ワタリ』、その当時から世相も移り、もはや白土三平という名を挙げても反応する人の少ない世の中である。
それまでのマンガの枠を超えて、リアルでダイナミックな表現を取り入れた「劇画」という流れの中心的存在として『忍者武芸帳・影丸伝』『サスケ』『カムイ外伝』『カムイ伝』などの代表作を世に送った。
中でも『忍者武芸帳』と『カムイ伝』は大人の読者層を意識して描かれた大長編の傑作なのだが、どうも今のオラにとっては『忍者武芸帳』の絵柄は荒々しさが強すぎ、逆に『カムイ伝』は緻密でリアルすぎて、ちょっと読むのがしんどい。
『サスケ』と『ワタリ』には丸まっちいかわいらしさもあるし、どっちみち荒唐無稽な忍術や、一人の抜け忍を殺すために何十人の忍者が犠牲にされたりする「ありえねー」世界なので、子供向けという制約のあったほうが、作者のメッセージが純粋化されて伝わるような気もするのである。
それにしても暗い。『サスケ』では物語の冒頭でサスケの母が敵の手にかかって殺されてしまい、終盤では父・大猿も殺されてしまう。
さすがにTVアニメ化では大猿が再婚するあたりまでで終わらせており、終盤の絶望的なまでの暗さはないが、それでも音楽などでサスケの「亡き母への思慕」は繰り返し描かれていた。
また『サスケ』の前半にはMr.マリックばりの「幻術」を操る示現斎という男が登場するのだが、この男の人相やかもし出す雰囲気、細木数子や江原啓之にそっくりである。
そして示現斎の役目とは、重い年貢を課す領主への百姓たちの不満をそらすことなのである。現在と構図がまったく同じでっしゃろ?
各エピソードの独立性の高い『サスケ』と異なって『ワタリ』は一つの謎を解くと次の謎が現れるという重層的なミステリーの体裁をとっており、全体的なトーンは『サスケ』よりもさらに暗い。
しかし暗いのも仕方がない、現実の写し絵なのだから、現実ではマンガ以上に怖ろしいことが絶え間なく起こり続けているのだから。
たぶん物語には時代層として60年代当時の労働運動の盛り上がりや、中東戦争・ベトナム戦争なども反映されていることであろう。
忍者の秘術には、ベトナム戦争で使われていたような兵器と似た発想も含まれているのである。枯れ葉剤なんてのは名前からして怖ろしいが、ダムダム弾、オレンジ爆弾、パイナップル爆弾、かわいらしい名前の実体は、人間がどこまで残酷に人間を殺せるかの博覧会のようなものであった。
そして今、イラク戦争にまったく実感が湧かないように、労働者は団結どころではなく分断されて「資本家VS労働者」なんて図式も消えてしまったように、現実の世界は『ワタリ』のように次から次へと悪魔が現れる果てしのない戦いなのだ。
「ワタリの笛の音は愛するものを失った怒りと悲しみに満ちていた それは風の音に和して聞くものの心にいんいんとして沁みわたるように伝わっていった」
このブログが少しでもそれに近づけたら…




ワタリ (1)

小学館

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