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『雨月物語』

2006-12-15 20:38:55 | 映画(映画館)

京橋・国立近代美術館フィルムセンターにて、溝口健二監督(1953年)。
戦国時代の近江の国・琵琶湖の北岸、陶工の源十郎(森雅之)の家族と義弟・藤兵衛(小沢栄)夫婦が貧しい暮らしを送っていた。
藤兵衛は武士になりたくて仕方がないのだったが、源十郎はとにかく貧しさから脱け出すためにも陶器作りに精を出し、軍勢の襲撃から逃げながらも残してきた窯の中の陶器が気になるくらい熱心である。
ある時、妻(田中絹代)と幼い子を残して陶器を売りに出向いた市場で、美しく身分の高そうな女(京マチ子)とお付きの老女が、彼の陶器を絶賛して買い取り、彼を屋敷に招く。
ところが実は彼女たちは戦乱で死んだ貴族の亡霊で、彼と夫婦の契りを結んで、黄泉の国まで連れて行こうとしているのだった…。

ずっと前に黒木メイサか誰かの舞台を見て「舞台の上は夢の世界」と書いたことがあるのだが、本当に演劇というのは生身の人間が演じてくれるにもかかわらず夢か幻のように消えてしまい、後々まで心に残る手ごたえというか深い感動には乏しい。
戦争体験のある井上ひさしさんが戦争をあつかった作品にしてもその傾向を免れないのだから、たぶん演劇というのはそういう形態なのであろう。
一方、とても夢幻的な世界を描いていながら、なおかつ出演者もスタッフもほとんど亡くなっているにもかかわらず、今日のこのしっかりとした手ごたえは、映画は演劇とは表現の次元がまったく異なるということを教えてくれる。
『山椒大夫』の時に少し『嫌われ松子の一生』に通じるものを感じたのは今日も当てはまり、それはおそらくこの監督が「人間の真実を描く」ことを最も重視しているということであろう。
オラの座右の書は『ナニワ金融道』、その中で青木雄二先生は常に「現実を直視しろ!」とオラを叱咤してくれる。
そしてもう一つ、溝口健二監督と中島哲也監督の共通点として、映画として最高の完成形を目指すべく原作小説に改良を施す、という点が挙げられる。
『虞美人草』ではヒロインをブルジョワ女から庶民女性に入れ替え、『山椒大夫』ではわずか30ページほどの短編を124分の長編にふくらませている。
『雨月物語』で特に大きな効果をもたらしているのは音楽で、あまり馴染みのない純邦楽に近い音楽なのだが、それがいかに日本人の生活感覚とか宗教観に根差したものなのか、これまでの認識を改めさせるほど生々しく迫って感じられた。
そしてそのアニミズムとか植物的・循環的な宗教観は、キリスト教やイスラム教と異質であっても、真実の表現にはどこかに同じ人間であることを共感させるものが流れているように思われた。
コメント (4)
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