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市場原理と男女の劣化 — 私のキモカネ論

2017-08-27 20:59:29 | マンガ
人間としての私たちの強みと弱みの一つが、注意をあるものから他のものへと切り替える、生まれながらの性癖である。これは私たちを取り巻く環境に何が起きているかを察知するのに役に立つ。インターネットによりいつでも即時に何でも手に入る状況は、この衝動を加速させる。「クラウド(Clouds)」=ウェブを通してアクセスできるバーチャルの貯蔵スペース=が第二の脳になって記憶やタスクを保存してくれるおかげで、私たちは過去や未来ではなく現在に集中できる。これはアクセスの手段され持っていれば、私たちがどこに行こうがついてくる素晴らしいテクノロジーだ。おかげで私たちは自分自身によりいっそう集中できるが、裏を返せば、まわりの世界や他の人々に対する意識は薄れてくる。なぜなら、彼らについて細かいことを覚えておく必要もなければ、彼らが私たちの差し迫ったニーズを満たせる相手でもなさそうだからだ。

2007年に神経心理学者のイアン・ロバートソンが三千人を対象に行った調査では、50歳以上のほぼ全員が親族の誰かの誕生日を即座に言えたのに、30歳未満で言えたのは半数以下だった。残りの人々は答えを見つけるのに携帯電話を取り出さねばならなかった。「ワイアード」誌のライター、クライブ・トンプソンは、答えを見つけるのに反射的にポケットに手を伸ばすこと自体に問題が凝縮されていると述べる。

(中略)同じものにはすぐに慣れてしまう。たとえ自分の性的指向とは一致しないもの=同性愛ものや女装男性ものなど=であっても、違うものなら集中力を維持できる。残念ながら、個人にとって長期的にはマイナスになるものが、ビジネスにはプラスになる。ゲームとポルノの業界が無限のバラエティを供給してくれるので、ポルノ依存者はいつでも自身の「麻薬」を手に入れられる。

興奮依存症は、ユーザーが次の「麻薬」を求めている間、その人物を「拡張した現在」という快楽主義的タイムゾーンに閉じこめる。今の瞬間が広がってすべてを支配するにつれ、過去も未来もはるかかなたに遠ざかる。そして、その現在は絶え間なく変化する画像とともに、並はずれてダイナミックなものになる。ポルノ漬けの脳は、変化や斬新さや絶え間ない刺激を要求できるよう、すでに新しいデジタル方式に完全に配線し直されている。(中略)興奮依存症が行動や生理的反応におよぼす影響は人によりさまざまかもしれないが、ポルノを見すぎることの生理、心理、感情面への将来的な影響を検証することには意味がある。なぜなら、それが自分自身の脳や、ポルノ視聴中や実生活での性交で性的興奮を得る能力に大きな影響をおよぼしているとは、ほとんど誰も考えていないからだ。 —(フィリップ・ジンバルドー&ニキータ・クーロン 『男子劣化社会(Man(Dis)connected)』 晶文社・2017年)





「Bewitching Bygone Baroque — 幻想のあめりか」の記事で、奥さまは魔女、あるいはタガメ女=ある種の専業主婦が夫を縛る=といった題材にちなんで、シンデレラ、アナと雪の女王などのアニメ映画も、女は恋愛と経済の両方で勝利を得なければならない、というマインドの醸成に貢献していると述べた。

タガメ女の本からの受け売りで、私はアナ雪がどんな話なのかも知らないのだが、少女マンガに同じような含みがあるということだったら、よく知っている。中3~高3にかけ、夢中でコミックスを読み、今も愛蔵している『エリート狂走曲』『伊賀野カバ丸』というストーリーギャグ漫画の傑作。この二作は構造が似ている。男の主人公が型破りな野生児に設定されており、都会の学校に転校してくる。女の主人公はそれを迎える側で、最初は男の野蛮さに拒否反応を示すものの、やがて惹かれ、相思相愛に。

男性作家(弓月光)によるエリート~の哲也は、起業家マインドというか、型破りながらも、どんな社会でも頭角を現すに違いないであろう発想と行動力の持ち主だ。やる気になれば学力もメキメキ上昇。恋愛でも経済でも勝ち組になることに説得力がある。が、女性作家(亜月裕)によるカバ丸はもっと意識が低く、マンガ的。山奥の忍者の家でスパルタ教育を受けて育ったことで、並はずれた運動神経と食い意地を発揮。私立の坊ちゃん学校で、当初はそれが「誤解」されて彼は人気者となり、駅伝大会や体力作り合宿や野球大会を通じ、本当のスターになる。どちらも、少女マンガと少年マンガの黄金時代のエッセンスが凝縮されており、連載当時に読むに越したことはないが、今も万人にお勧めできる娯楽長篇だ。

そしてもっと、意識的なマンガ読者がこぞって少女マンガを読む事態をもたらした、より文芸志向の作品にもこの傾向を見いだすことができる。例えばこれも最近「中産階級ハーレム — 東京オリンピック編」の記事で一部紹介した萩尾望都さんの古い短篇「マリーン」だ。貴族の家同士で決められた結婚。女は、いいなずけの男をテニスの技量で圧倒したプロ選手を一目見て本当の恋を知る。海に身を投げ、このプロ選手が過去に不幸な出自から立ち上がろうとする先々に幻影のように現れては勇気づける。注目すべきは、いいなずけもプロ選手もどちらもイケメンで、女が恋愛も(親譲りでない本当の)実力もと欲張った結果、主観的にはともかく、客観的には全員が不幸になっている、後味の悪い話であるということだ。

ただし、これは駄作の部類で、萩尾望都にはもっと鋭敏な問題意識の詰まった良作がいくらでもあるのだが、萩尾と一時同居していた竹宮惠子となると、代表作の『風と木の詩(うた)』の中で、もっとタガメ女に直結する結婚の問題を登場人物に語らせる。↑画像のパスカルだ。この作品は全寮制の学園内におけるジルベールとセルジュの同性愛関係が主題の筈だが、セルジュが先輩ながら落第を繰り返して同学年のパスカルの実家へ泊りに行く、このくだりの実用主義=女は最高の淑女かドタ足のロバでいい=が、かえって全体を観念論めいた色情ドラマとして照らし出し、この時代に流行った「少女マンガにおける男性同性愛」が、性の解放とは逆に、高度成長モデルと専業主婦システムを前提とした、ネオリベ的なサブカルの一種に過ぎなかったのではないかとの疑念を生じさせずにはおかない。




パスカルにはパトリシアという名の妹がおり、絵が好きで、男勝りの個性的ななりをしているが「本当は美人」。最高の淑女になる素質があった。竹宮が罪深いと思うのは、コマの隅っこで「ワタクシ、ダメ?」などと、パスカルの嫁=ドタ足のロバとして立候補するように装っておきながら、実際はパトリシア=最高の淑女=専業主婦のタガメ女の方に自己投影している気配が濃厚だということである。保守的で、意識が低い。

経済のグローバル化、IT化などにより、もはや夫婦のうち一人が働いた額で良い暮らしができるなどという神話は信じられなくなった。わが国の高度成長モデルと特有のメンバーシップ型雇用は、70年代の石油ショックによる不景気を最小限にとどめ、80年代には貿易の勝利とバブル経済により頂点を迎えたものの一転、生産年齢人口が減り始めると、逆に自由経済を阻害する壁として男女の問題や教育問題の解決を難しくしている。

欧米で、↑画像のような方程式がネット上を駆け巡った。女は時間と金を食うから男にとって問題でしかない。女を、男のルックスや経済力しか見ないよう、キモくてお金のない男は無視するよう導いたのは、旧来の構造が女の社会的地位を低くとどめ、男は男で学歴や成果主義で競わせて利益を最大化するよう計らったためである。人間が、物として、利益を生むよう要求されるプレッシャーは、例えばわが国の「草食男子」や「引きこもり」にもつながっているだろうし、おたくだニートだと、自ら社会から一歩引き、ゲームやポルノに溺れたら溺れたで、それもまたお金がすべての構造強化に還元されてしまう。

最近あまり言及していないが、依然として私はシロート童貞だ。そもそも一番好きなのは痩せた少年だし、オナニーのやり過ぎで、射精障害=女の膣をピストン運動してもオーガズムに達しない。根性も体力も乏しく、「学校教育を終え、社会に出て安定した労働力となり、恋愛して結婚し、子どもをもうけて育て上げ、退職後に豊かな老後を楽しむ」などというサイクルからは早々に離脱せざるをえなかった。現今のテクノロジーや、それを利用した新しい資本主義が、こうした問題を解決する方向へ向かうのかは分らないが、このブログや同人誌は一つの自助努力であり、寿命ある限り呼びかけとして続けてゆきたい—



男子劣化社会
高月園子
晶文社
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妄想性国家一体化病

2017-03-23 21:56:14 | マンガ
1940年5月10日、ヒットラーはついに、「黄色作戦」(対フランス戦)を発動した。ドイツ軍はなだれのごとく中立国ベルギーに侵入し、さらにオランダに殺到した。ヒットラーは、ついにその宿願であった大ゲルマン国家建設のためのヨーロッパ征服を実行にうつしたのだった。「いまから開始される戦いこそ、今後一千年間のドイツ民族の運命を決するのだ!」ヒットラーは叫んだ。

これはひとつの大きな賭けだった。しかしその計画はじつにすばらしい成功をおさめた。5月26日、連合軍はダンケルクから海へと追放され、ほうほうのていでイギリスへ逃げた。

6月10日、ムッソリーニが参戦し、フランスはついにパリをあきらめた。ドイツ軍はパリに無血入城した。ハーケンクロイツの旗はエッフェル塔上にひるがえった。

たしかにヒットラーは戦術的天才であったかもしれない。ナチの軍隊では、いつも指揮官が真っ先に突入するのだ。マジノ線=第二次大戦前に仏陸軍大将マジノの建議で作られた、ドイツとの国境に横たわる近代的要塞線=に一人敢然と突入したのは、なんと師団長のロンメル自身だった。ボルドーに逃げていたフランス政府は、正式にドイツに降伏した。

6月21日、第一次大戦でドイツが降伏調印したコンピエニューの森で、こんどはフランスの降伏調印が行われた。わざわざ第一次大戦のとき調印した古い寝台車が博物館から運び出されて調印式に使われた。こうしてヒットラーは1918年の恥をそそいだ。ヒットラーは軍楽隊に送られて、ゆうゆうと引き上げた。

ヒットラーはパリの建築に深い興味を抱いていた。とくにオペラ座の内部は、見たことがないのにすみずみまで知っていたくらいである。ヒットラーは、シュペーアという建築家などと、3時間だけパリの建築を見てまわった。とくに、日ごろ尊敬していたナポレオンの墓では…。

「これがぼくの生涯の絶頂だろう。パリを見るのが小さいころからの夢だった…。それがいまかなえられて、どんなにうれしいか。口ではいいあらわせないよ」

シュペーアはヒットラーに同情をおぼえた。これが彼のパリ見物の最初で最後だった。

ヒットラーは凱旋将軍として7月6日、ベルリンに帰った。町は旗と花と人の海だった。すべての村々では、教会の鐘がひびき渡った。いまやヒットラーがドイツとなり、ドイツがヒットラーになった。彼はわずか2ヵ月の戦いで史上最大の戦略家として、フリードリッヒ大王以上の人物となった。彼は語った。「わが帝国は今後一千年間持続するであろう」 —(水木しげる 『20世紀の狂気 ヒットラー』 1971年・週刊漫画サンデーに連載)





History in Moments @historyinmoment 3月21日
Adolf Hitler at Kroll Opera House in Berlin 1939. Photo by Hitler's personal photographer Hugo Jaeger.


『劇画ヒットラー』として80年代に復刊されていたのを読み、このほどひさしぶりで手にしたが、内容をほとんど覚えていなかった。題名のように、私が子どもの頃はヒトラーよりヒットラーと表記される方が多かったと思う。

水木さんは兵隊にとられる前、文芸・哲学書を読み漁ったというが、そうした背景がここでも生きており、歴史や伝記漫画というよりは、ヒトラーの主観に基づく、ロマン主義的な栄光と破滅の物語という印象を受ける。ユダヤ人への迫害と虐殺は冒頭にちょっと描かれるだけで、戦争の描写もテキストと大ゴマだけで省略されているが、逆にヒトラーの心情や、周囲の人物がいかに呼応し、彼の狂気を大きな渦巻きとしていくか、そうした人間ドラマ、演劇や小説のおもむき。あとがきで水木さんは、ヒトラーの求心力を「神秘力。とにかく恰好よかった」と綴っており、同じ時代、同盟国の少年が、その渦巻きを目の当りにして生きていた実感がうかがえる。




akabishi2‏ @akabishi2 3月23日
【緩募】小説を読んでいたら、登場人物の一人がネトウヨになっていく様が描かれていて、やっぱネトウヨは何か「罹患」するものなのかな?などと考えてみた。俺が読んだのは葉真中顕氏の『絶叫』。他にネトウヨが出てくる小説があったら教えてください。ネトウヨはどう描かれているのか。知りたいです。

野間易通 @kdxn 3月23日
誰もが思ったと思うけど、口下手な素人のおっさんでも普通に受け答えするだけで質問→答弁はきちんと成立してるよね。ふだんの国会質疑でのやりとり、とくに与党側答弁がいかに異常か、改めて浮き彫りになった。

きづのぶお‏ @jucnag 3月23日
自民党は籠池氏を完全に舐めてましたね。その驕りから致命的な失敗を犯した。




政治に物申す会‏ @boruchiyan 3月17日
安倍政権のことを言っている
ローレンス・ブリット


かつて日本は、この近代化の成功を誇り、東亜の盟主とうぬぼれて、中国その他のアジア諸国を蔑視したが、日本の選択が正しかったかは一概に言えないであろう。中国は、愚かにもその頑迷固陋な中華思想に固執したために近代化に遅れを取り、半植民地化される憂目を見たが、進取の気風に溢れる日本はすばやく文明開化の道に乗り出し、独立を保った…と言い切れるほど、事態は単純ではない。集団のアイデンティティの側面、精神的側面から言えば、日本の方がはるかにひどく侵害され、独立を失っていたと考えられるからである。わたしが、1853年のペリー来航以降の日本近代を、日本の悲劇の時代、精神分裂病の時代と呼んだのはその意味においてであり、この状態は今も本質的に変わっておらず、吉田松陰が生き、そして死んだ時代は現代までつづいている。わたしの見るところによれば、松陰は、日本の精神分裂の結果、外的自己から切り離された内的自己の立場をもっとも純粋な形で代表している思想家であり、日本がこの分裂状態にあるかぎり、松陰のエピゴーネンは、幾たび殺され、生贄にされようとも、この日本の地に絶えることなく輩出しつづけるであろう。われわれはまだ松陰を卒業していない。松陰の問題は、依然、現代の問題である。 —(岸田秀 『ものぐさ精神分析』より「吉田松陰と日本近代」 原著1976)


中央政界で谷口雅春の思想に憑かれた大物政治家の代表が鳩山一郎であろう。鳩山は1954年から約2年間、首相として政権を率い、日ソ国交回復などを成し遂げたが、首相の座に就く前に脳出血で倒れて闘病生活をよぎなくされたことがあった。

この際、鳩山は谷口の『生命の実相』を熱心に読んで感銘を受けたらしく、谷口と共著の形で『危機に立つ日本—それを救う道』なる教団パンフレットに近い著作を発表、挙句の果てには『生命の実相』を「新時代のバイブル」と絶賛するほどだった。前出した大宅壮一の「谷口雅春論」もこれを取り上げ、谷口と鳩山をこんなふうに辛辣に皮肉っている。

<"神さま業"は一度味をしめたらやめられない(略)。人間の無知と盲点の存する限り、その上にアグラをかいておればいいのである。一方で出て行くものがある代りに、新しいカモも続々やってくる。 最近の最上のカモは何といっても鳩山一郎である。(略)谷口と鳩山の共著で、「危機に立つ日本」と題するパンフレットまで出ていて、鳩山は"生長の家"の宣伝に100%利用されている>

意外なところでは、ハト派として知られた元首相・三木武夫も自民党幹事長時代の1964年、生長の家が政治結社・生長の家政治連合を結成した際、この式典に参加して祝辞を述べるなど谷口と近い関係にあった。生前の三木を知る自民党の元参院議員らによれば、三木は学生時代に肺を病み、その際に谷口の『生命の実相』に触れて感銘を受けていたのだという。 —(青木理 『日本会議の正体』 平凡社新書・2016)



水木しげるさんのヒトラー伝で「ヒットラーがドイツとなり、ドイツがヒットラーになった」の一節が印象的なのは、実際、終盤ドイツが敗色濃厚になってソ連の空爆がベルリンに及んでくると、ヒトラーも元気がなくなって病気で伏せりがちになってしまう。

その意味で、ヒトラーのわれこそ国家という狂信は、純粋なものだったとも考えられる。いまの日本会議や自民党は、もっと欲得ずくである。だからナチスのように戦争で周辺諸国を侵略したりユダヤ人を殺したりというより、カモがネギしょってやってくるネトウヨウヨ囲い込んで、比較多数派~既得権となり、それが有効な日本国内限定で私利私欲をむさぼる。

中心思想は、神武天皇以来、わが国は世界に冠たる神の国で、お国に命を捧げれば、その栄光の歴史に連なることができます~という非科学的なバカバカしいもので、対外的な効力はゼロ。そもそも天皇はそんなこと望んでない。天皇の美名の下で悪いことしたい人たちが広める。亡国です—



劇画ヒットラー (ちくま文庫)
水木 しげる
筑摩書房
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蒐集 #26 - TVと漫画のバイアス

2016-12-11 21:02:33 | マンガ
話し言葉、あるいは印刷物、あるいはテレビカメラという認識のレンズを通じて、わたしたちが世界で起きている出来事を経験する時、情報媒体はメタファー(一つの喩え)であるという定式は、わたしたちのために世界を分類し、配列し。表現し、拡大し、縮小し、色づけし、世界がどのようなものかというテーマについて語る。

ドイツの哲学者エルンスト・カッシーラーは次のように述べている。「象徴を使う人間の活動が広がるにつれて、自然の現実は後退していくようだ。事物そのものと関わるかわりに、人間はある意味でつねに自分と会話を交わすようになる。言語形式や、芸術の造形や、神話の象徴や、宗教儀式の中にのめりこんでしまい、人工の情報媒体の介入なしに物事を見たり知ったりすることができない」

(中略)本や映画などの情報媒体には一貫した基調があり連続した内容があると思っているが、テレビ、特にニュース番組はそういうものではないと思っているからだ。わたしたちはこういう不連続性に慣れ切っており、核戦争は回避できないと報道したニュースキャスターが、バーガーキングのコマーシャルの後でまたお会いします、つまり「では…次に」と言ったところで、少しも驚かなくなってしまっている。

ニュースとコマーシャルを同じ重さで並置すると、まじめな場所としての社会に対する感覚に損傷を与えることが理解できなくなってくる。この損傷がテレビに依存している多くの若い視聴者に多大な影響を与えてしまうのは、現実にどう対処するかという課題を解く手がかりをテレビに求めているからだ。

若い年齢層がニュース番組を見ると、残虐な行為や死者についての報道は大げさな表現であり、どんなニュースも深刻に受け取ったり、素直に反応する必要はないと仮定し、この仮定に基づく認識機能を身につけてしまう。

思い切った言い方をすると、ニュース番組の超現実主義のような枠組みに組み込まれているのは、論理や理性や時制や矛盾原理を無視した、反情報伝達の理論だと言いたい。この理論に美学にちなんだ名称をつけるなら「ダダイズム=伝統芸術の形式を否定する芸術分野での運動」ということになる。哲学なら「虚無主義」、精神医学なら「精神分裂病」。劇場用語を使うなら「ヴォードヴィル=歌・踊り・漫才・曲芸などを取り入れたショー」となる。 —(ニール・ポストマン 『愉しみながら死んでいく 思考停止をもたらすテレビの恐怖』 三一書房2015年、原著1985年)





マガジンひとり ‏@magazine_hitori 12月1日
半井小絵=なからいさえ、元NHKニュース7のお天気の=メディア上でしか生きられない女の末路はネトウヨ界隈の広告塔か。虚しい(;´Д`)

マガジンひとり @magazine_hitori 12月1日
椎名林檎が自民党・日本会議に接近するのも(規模は違うけど)半井小絵と同じ理由か。音楽の才能はないので、常に有名で、上から垂れ流せないと意味がない(;´Д`)


「ナダル・アンビリーバボー」と題されたアメトークの、コロコロチキチキペッパーズ・ナダルくんを扱う回を既に10回以上再生。不都合な指摘を受け、表情を曇らせたり怒気をにじませる、あるいはウソをついたり言い訳をする、その様子は演技でできるものではない。臨場感あふれる人間ドキュメンタリーだ。彼はくりぃむ上田のように「回す側」になりたいそうだが、そんなナダルは見たくない。不本意でも、光と影の両面を見せてほしい。

ナダルが急浮上する一方、ことしの私の酒の肴コンテンツは激変、有吉弘行くんとおぎやはぎのラジオを聞かなくなった。某アナと交際・妊娠・結婚へという報道について、有吉はラジオで「ない話ですから、何も言えません」としか語らなかった。他の芸能人のゴシップを題材に毒舌をふるう、いつもの彼とは違っていた。ゴシップ大好きワイドショーも、この件には沈黙を貫いたようだ。

芸能界が、古いしきたりに縛られた、お金と権力がすべてのブラック業界であることを、あらためて痛感。如才なく振る舞って、私を楽しませてきた有吉もおぎやはぎも、一挙に色褪せてしまったが、逆にブラックで人権無視だから、媒体としてのアメトークやロンドンハーツは実験を繰り返しながら質を保って存続できるという面も。

ロンハーの、人に順位を付けたり、ドッキリで騙したり、そうした企画で追い込まれた出演者たちがのぞかせる素の部分に栄養が詰まっている。先日の、指原莉乃が10人の男をランク付けする企画は秀逸で、特に下位9位と10位に置かれた武井壮とフット後藤へのダメ出しと、それを受ける2人の様子は見もの。後藤には別途詳しく触れたいが、↑画像の武井がLINEなどで「ヤバめの女が周りに多い」と観察され、彼がわざと高級サイフが映り込むように食べ物などの画像をアップするのも、そうしたヤバめの交遊にアピールする意図。お金と知名度に寄って来る女はヤバイ。指原のこの指摘は、高級品や高い外食、消費を見せびらかすことへのアンチテーゼが含まれ、有吉さえ黙らせるお金と権力ありきの芸能・TV界に射し込む一筋の光—




君たちは、かつて地方にいて漫画家を志し、そして今こうしてここにいるわけだが、実際に原稿をやり取りする流れの中に身を置いていると、いつのまにか自分もその世界のひとりとして安住してしまう。絶対にそれだけは避けてほしい。君たちのいちばんのライバルは、地方で漫画家の世界に憧れて頑張っている、漫画家予備軍なんだ。 —(福元一義 『手塚先生、締め切り過ぎてます!』 集英社新書2009年、より福元氏が聞いた、手塚治虫が専属アシスタントたちを集めて語った言葉)


この週末、某俳優の話題で持ちきり。性的マイノリティの問題もからむためか、マジメな肩書の人たちも一言コメントせずにおれないようだ。芸能人や有名スポーツ選手がひとたびネガティブな話題の種になると、その広がり、速さと大きさは驚くべきものがある。これは逆に考えて、有名になりたい人なんていうのはいくらでもいるので、絶え間なく起こる役人や企業や政治家の不祥事を覆い隠し、人びとの不満をそらせる、あるいは見どころがあればピックアップして参議院にでも立候補させようという、安あがりで一挙両得な存在ということもいえる。

冒頭に引用した本で著者は、オーウェルの描いた「強制」でなく、ハクスリーの描いたような「文明の利器=テレビ」によって、人びとが自主的に支配されることを望み、かつてなく安定した全体主義が招来していると説いた。もちろん私は表題のように漫画・アニメ・ゲームについても述べたいが、もうしばらく準備が必要なので、きょうは花輪和一さんの例を挙げるにとどめたい。精巧なモデルガンを所持していて銃刀法違反で逮捕実刑となった花輪さんが、獄中体験を描いた『刑務所の中』で、何といっても印象的なのは、克明な記憶で再現される獄中食の数々。本当においしそう。食べることだけが楽しみ。でも清水潔さんの『殺人犯はそこにいる』で、足利市の幼女誘拐殺人の冤罪で、17年も刑務所にいた無実の菅家さんは、「刑務所の(ラーメン)はまずい」と。大男から食事を横取りされたり、暴力も受けたと—



愉しみながら死んでいく ―思考停止をもたらすテレビの恐怖―
今井 幹晴
三一書房
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昭和疾風怒濤 #1 ─ 佐藤まさあき

2016-05-06 20:50:19 | マンガ
貸本劇画界にはそれこそ掃いて捨てるほどの作家がいた。だが、昭和39年の貸本界の崩壊のときからこの昭和42年の劇画繁栄の時期まで、持ちこたえられる作家がいなかったのだ。雑誌社が、きて劇画家を探そうとしたときには、彼らは廃業、または転職してしまっていなかった。雑誌社で探せばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、貸本界で痛めつけられた人は、精神的なダメージですっかり自信をなくしていたのである。劇画が全盛になったからといって、ノコノコ出ていく気力はもはやない。

こんな状態だから、私たちのように生き残った作家は貴重な存在だ。当然、ワッ!と雑誌社が詰めかける。その中には自分を律して多作をしない作家もいただろう。そうなると依頼されればホイホイとそれに応じてしまう私などは便利な存在である。かくして仕事が殺到することとなる。

こんなオーバーワークの状態のときに、さらに祥伝社の『微笑』と集英社の『プレイボーイ・クレイジー』『プレイボーイ』本誌の連載の話が持ち上がってきた。

これを読まれた方にすれば、そんな仕事はもう引き受けないで断ればいいじゃないかと思われるかもしれないが、それは現実に編集者のあのしつっこさを知らないから云えることであって、私のもとにやってくるときの編集者は「何がなんでも佐藤の原稿を取ってこい!」との特命を受けて来ているのだ。すでに編集長から絶対的な指令を受けてきている以上、その編集者にとって、私を攻略しないうちは、戻り道がないのだ。

だいたい依頼に訪れるときから、すでに異様である。

最初はまずマネージャーの記本のもとへ依頼の電話が入る。当然記本は「いま忙しくて描けません」と云う。だがもちろん、そんなことで編集者は引っ込まない。必ず、「お話だけでも…」と食いさがる。

そして編集者は、アポイントメントを取ることもなく、ある日突然、やって来る。

玄関のチャイムが鳴り、「お客さんかな?」と思って玄関のドアを開けた記本の前に、知らない編集者が立っている。すぐさま、記本は猛烈な勢いで「帰ってください!」と云ってドアを閉めようとする。だが編集者もさるもの、ドアを閉める瞬間に靴をガッキとドアに挟ませるのだ。そして、身体をギリギリとねじり込ませながら中へなんとか進入せんものと頑張る。それを入らせまいとして必死に押し出す記本。両者の激しい攻防はつづく。記本の締め出す力に逆らってついに事務所に侵入した編集者は、それからは我々に何時間もつきまとい、拝みたおし、ああ云えばこう、こう云えばああ、とからみつき、絶対に諦めようとはしない。それでも断固、断る意思の強い人もいるのだろうが、私は気が弱いのか、人がいいのか、つい気の毒になって結局引き受けてしまうのである。

それによって、またまた地獄が現出するというわけだ。

これまでも徹夜、徹夜の連続なのに、さらに週刊の連載が2本増えるのである。

アシスタントは、襲いくる睡魔をまぎらわすためにバケツの水の中に顔を突っ込んでは仕事を続ける。1時間ぐらいずつ交代で机の上にうつ伏せになって仮眠をとる(フトンに横になると気持ちがよくなってぐっすり眠り込んでしまうから)。

私は私でカフェイン入りのドリンク剤を飲んで頑張る。睡眠不足が慢性になると食事もとれない。胃が荒れてくる。それでも眠るわけにはいかない。なにしろ、隣の部屋では数社の編集者が待機している。うかうかしていたら他の社に順番をとられてしまうから彼らも必死である。

自分の社の番になると、編集者は2人がかりの仕事となる。1人は事務所で、あとの1人は事務所の下ですでにタクシーに乗って待っている。

原稿が何枚か出来上がると同時に、1人の編集者が「ホーイ、まず4枚出来たあーっ!」と奇妙なかけ声を上げながらドドド…と玄関まで降りてゆき、タクシー内の編集者に原稿を渡す。その編集者はそれを受け取るや、製版所へと全速力で突っ走り、また事務所に戻ってきては次の原稿のために待機するのである。

なにしろ週刊誌は、発行日も決まっており、地方へ輸送する貨車をリザーブしてある。本が出来るのが1時間遅れればその貨車はキャンセルとなり、雑誌社は莫大な損失を受け、その編集者のクビすら危うくなるという。目が血走ってくるのも当然だろう。

やっとのことで各社の原稿を渡し、私は久しぶりに明け方の新宿発のロマンスカーに乗って江ノ島の自宅へ帰る。そして1日休んでまたロマンスカーに乗って新宿駅に着くと、駅の売店に、2日前に渡したばかりの原稿がもう雑誌になって発売されているのには驚いた。

さらに驚くことには、その売店で販売されていた週刊誌の半分以上が、私の作品を掲載している雑誌で埋まっていたのである。

『女性自身』『プレイボーイ』『微笑』『漫画アクション』『プレイコミック』『漫画天国』『ヤングコミック』『漫画コミック』『漫画パンチ』『漫画ゴラク』『プレイボーイ・クレイジー』等々…。

もちろん、これはかなり以前に描いたり、渡したりしていたものが、たまたま同じ時期に重なったものだが、こんな異常な現象は後にも先にもこのときだけである。

 それにしても、江ノ島の駅まで見送りに来た私の子供が、「パパ、またいつか来てねーっ!」と叫んだのには、さすがの私もまいった。 ―(佐藤まさあき 『「劇画の星」をめざして 誰も書かなかった《劇画内幕史》』 文藝春秋・1996、より)



昭和疾風怒濤と題し、今回の佐藤まさあき氏の自叙伝と、次回、竹中労氏による美空ひばりさんの傑作評伝の読書感想を2回シリーズでお届けしたい。以下敬称略。

美空ひばりが今も昔も「歌謡界の女王」であることは誰もが知る。ジャンルとして歌謡曲が形骸化してしまったから、彼女を超える存在は今後2度と現れない、不滅の存在といってもよかろう。

が今の人にとって「佐藤まさあき? 誰?」であるに違いない。時代の波に乗れたが、すっかり忘れ去られた、運も実力のうちという言葉が似つかわしい人物だ。彼の幸運の源泉は、戦後、手塚治虫が漫画の新たな扉を開き、そこへ夢を描いて押し寄せた若者世代の中心に居合わせる、時代や仲間に恵まれたことに他ならない。



出版物の正規のルートとは異なる形で売られる、関西の赤本、そして貸本。手塚治虫は学生の頃からここで頭角を現し、やがて東京の雑誌界やアニメでも大家となる。利にさとい大阪人が雨後のタケノコのように貸本出版社を興し、若い作家を囲い込んだ。この動きの主力として活躍したのが、劇画の名付け親である辰巳ヨシヒロ、その実兄の桜井昌一、さいとう・たかを、そして佐藤まさあきらであった。

辰巳が考えた数人による短編集というアイデアに、雑誌形式にこだわりを持つ日の丸文庫の古株・久呂田まさみが乗っかって、『影』というギャングもの中心の短編貸本誌が作られ、若い作家にとって格好の実験の場になると同時に、商業的にも成功。このあたり、辰巳の『劇画漂流』と本書を併読することによって、周辺の活気や人間模様が立体的に浮かび上がる。詩情を重視する辰巳に対し、佐藤は原稿料や発行部数など実地に即してつまびらかに活写。↑に引用したような中央の出版社に負けず劣らず、貸本出版をめぐる人びとの山っ気も相当なものだ。

アマチュアの頃からサークルを作って会費を集めて回覧誌を発行。プロとしては暗黙の「専属制」を破って仲間同士「劇画工房」を立ち上げる。やがて自ら佐藤プロダクションを興し、自主出版したり、不遇の時期の水木しげるに糊口を凌がせるなどしている。これらのヨコのつながり、人徳が生きて、貸本界が急速に傾いてからも創作を続け、中央の雑誌による漫画ニーズが爆発した時に超売れっ子となることができたのだ。



↑梶原一騎(右)と佐藤まさあき


引用から明らかなように、原稿はノー・チェックで写植を貼って印刷工程へ。漫画雑誌だけでなく、『微笑』『プレイボーイ』のような一般誌も。爆発する需要に、供給が追い付かなかった。だから佐藤まさあきの、超ワンパターン=だいたい不幸な出自を背負った主人公が、復讐するとか、殺し屋・レイプ魔になるとか=でも必要とされた。

代表作の『ダビデの星』も、ユダヤ人虐殺の実録に衝撃を受け、ナチスの側の視点から主人公にサディズムを奔放に追及させたものだ。成功し、滝のある豪邸や、佐藤プロの自社ビルを建てるも、漫画雑誌が進化し、彼の作風が飽きられると、半ば引退して歌舞伎町にパブレストランを開業。これが失敗、豪邸もビルも売却するが、80年代半ばに佐藤プロで再起を賭け『ダビデの星』の4度目の単行本化を企画、これがロングヒットとなりOVA化もされ、96年のこの自叙伝に至る。

ご覧のとおりの二枚目で、4度の結婚。2004年に66歳で亡くなったが、最後まで出版不況とは無縁でいられた、幸福な男の一生と申せましょう。♪佐藤まさあき、あんたの時代はよかった。男が、ピカピカの、気障でいられた~~



「劇画の星」をめざして―誰も書かなかった「劇画内幕史」
佐藤 まさあき
文藝春秋
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劇画漂流 / 媒体の浮沈

2016-02-02 20:10:34 | マンガ
デビッド・ボウイの100曲を選んだ追悼記事で、筆致に任せて有吉弘行の悪口を書いてしまったことを後悔している。ボウイの偉大さは、対照的に人をおとしめなければ証明できないようなものではない。有吉だけでなく、ボウイに対しても失礼だ。
有吉の番組の一部しか見ていないけれども、ラジオは毎週楽しみに聞いているし、私が興味を失う一方の芸能界にあって、抜きん出た才覚の持ち主であると思う。

番組のヒッチハイク企画で注目を浴び、2人組の「猿岩石」として一時アイドル的な人気を集めた彼は、その収束に伴って低迷するが、独特な毒舌を武器に復活を果たした。彼は本来お笑いでガッツリ勝負するよりは「テレビにずっと出ているような人になりたい」そうで、若者のテレビ離れが進んでいるとはいえ依然として暇つぶしの王座であるテレビの顔の一人として、10年後も20年後も出ているに違いない。

よくも悪くも、私がしばしば説明なしで彼に言及するのも、そうした、ずっとテレビに出ているような、一種の公共インフラだと認めているからだろう。ベッキー、SMAP、甘利大臣、インフラ的存在には違いないが、私が決して言及しないタイプの人たちもいる。民放の夕方のニュース番組では、北朝鮮の核実験についておどろおどろしく報じた直後に、CMを挟んでグルメ・リポートを流したりする。馬鹿で無神経な大人の養成所。

甘利氏の辞職直後、現政権の支持率はむしろ上昇した。
素性のよく分からない者を大臣室に招き入れ、現金を受け取ったのはまぎれもない事実で、そのような政治家がTPPの秘密交渉を担っていたのは、国民の利益を長期的に損なうのではないかと恐怖を覚えるのだが、一般的には「いさぎよい、立派な人物」と印象付けたようだ。

夕方のテレビを見、ベッキーやSMAPの話題を平気で口にするような人びとが平均値なのだとすれば、日本人の値段というのはこの30年ほどで恐ろしく下がったのだろう―




昨年3月に死去した辰巳ヨシヒロさんの自伝的長篇『劇画漂流』を読んだ。
終戦直後の大阪府豊中市で少年時代を過ごした彼は、病弱な実兄(のち漫画家・桜井昌一)と2人で、手塚治虫、大城のぼるなどのマンガに熱中、彼らにファンレターを書いて面会し、指導を乞うなど、漫画家になるという夢を次第に現実のものとしてゆく。

これを大いに促したのが、当時の大阪で、正規の書籍の流通ルートに乗らず、駄菓子屋などで売られる「赤本」と称する粗末な本を扱う零細の業者が雨後のタケノコのように増殖したことである。
宝塚市に住んでいた学生時代の手塚治虫も、そうした赤本の執筆で名を売り、やがて東京の出版社に乞われて上京することとなったので、さまざまな業者が「次の手塚」でひと山当てようと、若い描き手を募り、そうした一人として辰巳ヨシヒロも十代から世に出たのだ。

辰巳は、何百ページもの習作を、100ページ程度の赤本にまとめ、さらに東京に出てはページ数の制約から『ジャングル大帝』などの大作も窮屈に描かねばならなかった手塚治虫の教訓を活かし、映画的・印象的な情景描写を潤沢なコマ数で展開する、新しい表現方法を模索する。これが後の「劇画」となる。

辰巳らが主に描いていた日の丸文庫の古株の作家で雑誌形式に執念を燃やす久呂田まさみが、辰巳が温めていた若手サークル2~4名の合同誌という腹案を聞き、日の丸文庫と諮って実現されたのが『影』という雑誌形式の貸本で、新たな表現を試みる格好の舞台となり、商業的にも成功して、漢字一文字の亜流本が次々作られる活況をもたらした。

こうした赤本・貸本の業者は、零細ながら山っけたっぷりで、若い作家への接待、引き抜き、稿料の交渉、資金繰りの苦労など、戦後日本の復興や商都・大阪の活気と相まって、非常に見ごたえのある描写となっている。

やがては彼らも上京し、辰巳は「劇画工房」の仲間である松本正彦、さいとう・たかをと共同生活。貸本の衰退と週刊誌の創刊ラッシュにより、劇画のあり方や発表媒体も大きく移り変わる―




話変わるが、「これが最後」と銘打った最新作などからも、筒井康隆という作家さんは、「ほめられたい・認められたい」欲求が強い人なのだろうなと思う。

地方の文芸同人誌を舞台に、主人公が直木賞候補となってのドタバタを描く『大いなる助走』(1979年・文藝春秋)には、特にそれが強く表れている。同人誌の合評会(執筆者が互いを論評する)に招かれた、中央の文芸誌編集者が「そもそも小説を書く、というのは自分以外の他人に読ませる為に書くのであって~」に始まる大演説をぶつし、俺は同人誌でいいんだという人物も、主人公が候補になると嫉妬のかたまりとなって足を引っ張る。

中央の雑誌に認められる・賞をもらう、ということしか存在証明になりえないのは、いかにも媒体本位・売名志向で、戦後の昭和期のように、成功が次の成功を呼ぶ成長期には一定の効力を発揮したろうが、テレビを見ると馬鹿になり、雑誌は次々つぶれる出版不況の今からすると、筒井という人は老残の反面教師に過ぎなくなってしまう。

メディア論としても好対照となる、『劇画漂流』と『大いなる助走』でしたね―



劇画漂流(上) (講談社漫画文庫)
辰巳 ヨシヒロ
講談社
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日本幻景 #13 - アジアにみるおたく文化

2015-07-21 20:52:39 | マンガ
探検! 亜細亜動漫倶楽部@ネイキッドロフト(7月20日)
“動漫”とは中国語でアニメを指す。いま気になるアジアのコミックス関係のお話! 雨傘革命後の香港漫画・オタクの事情、台湾の同人誌即売会について、韓国貸本漫画の魅力、ベトナムのアニメ、タイの萌え学習漫画の世界など、主として日本の影響下にあるアジア各国の漫画/アニメ事情をお届けします。
出演:KRONOS、てんしゅ松田(香港漫画店)、堀有機、大江留丈二、かに三匹




ベトナムでは1950年代後半、旧ソ連でアニメ制作を学んだクリエイターたちによって子ども向けアニメが作られ始めた。動物が主人公であったり、牧歌的で絵柄もシンプルだが、魔物の首に刀剣が突き刺さり血が流れるなど、ときに幼児向けと思えぬ残酷な描写がみられる




軍政時代から民主化以降も、かつての韓国では日本のマンガの海賊版が多数流通した。中でも人気があったのが『鉄拳チンミ』で、日本で終了後も、韓国では前川たけし氏の別の作品や、スラムダンクなど作者の違うマンガまで、頭部をすげ替え、チンミの続編として出されることに




日本のマンガ周辺文化を最も受け入れ、同人誌の即売会も行われるという台湾。
この「A士」と名乗る作家が注目されるのは、赤城や加賀といった「空母」は戦闘機が発着するから、弓矢を持った少女に擬人化するという発想を、わが国でゲーム『艦隊これくしょん』が発表され人気爆発するのに先駆けて行ったことである




タイの女子小学生向け学習アニメ『ラ・フローラ プリンセスアカデミー』は学園もので、それぞれタイ、中国、日本、イギリス、フランスを象徴する5人の少女が主人公。アメリカが外れているのは帝政を敷いたことがないからですかね



ガンダムにはなぜ手足があるのか。なぜあの大きさなのか。
なぜ敵のロボットも同じような姿をしていて、毎度のように戦闘を繰り広げるのか。
「手足を用いた重心移動による姿勢制御(AMBAC機動と呼ばれる)」だか何だか、荒唐無稽な舞台設定のある、いわば「お約束」なのよね、ウルトラマンが怪獣と同じくらいの大きさでっていうのと同じ、子ども向けの。

ウルトラマンやガンダム、あるいはセーラームーンなど戦隊ものが、わが国では長く作られ、愛され続け、大人にも一定の認知をされている。
が、基本、子ども向けなんだってことを忘れてほしくない。
ガンダムが戦う空間のような、他では通じない「お約束」に守られた、特殊な世界なんだってことをどこかでわきまえていてほしい。

海外でも「クールジャパン」は受け入れられ、キャラクターのフィギュアを飾ったり、コスプレを楽しんだりする人の姿が伝えられるけれど、日本と違って、もっとマンガ周辺文化が低く見られがちな中で熱心な愛好家として貫いているのだ。
そしてアメリカやフランスでは、また違った種類のマンガやアニメやゲームが日々作られ、アジアを含む多くの国の愛好家は、それらとも併せ、常に相対的に日本文化を観察しているに違いない。




ワシらは北朝鮮と対峙してるんでっせ。徴兵制なんでっせ。厳しさが違いますんや。
ということへの認識が、甘かったと思う。産経新聞ソウル支局長の身柄が長期にわたって拘束され、外交問題に発展した件。
常に準戦時のように、北朝鮮のような独裁国家と向き合っているので、必然、韓国の歴代政権も、ときに民主主義や言論の自由に反してでも、国内的・対外的に強くあらねばならない。

韓国だけでなく、だいたい東~東南アジアの国は植民地化されたり、日本軍に占領された過去がある反動としても、軍事政権や開発独裁の形をとりがち。
そうした中で、戦後日本が生み出したマンガやアニメを愛し、当地のおたくでいてくれる人びとも、日本のおたくとは厳しさが違う。上記のイベントで聞いた話では、韓国のマンガ発行部数は、最盛時で4千万部、今はネットの普及にも押されて1千万部に過ぎないという(日本では雑誌と単行本それぞれ約5億、計10億部)。
少数派として、白い目で見られることもあるだろう。それでも貫いているくらいなので、韓国や台湾の作家さんは、画力が凄いですよね。アメリカやフランスの作家にも通じる、緻密な絵を描き、日本のピクシブと同時に、欧米の投稿サイトで発表し、中にはネット上で定期的なパトロンを複数募って収入を得ている例も。

日本に生まれたというだけで、洪水のようにマンガ関連情報を浴びせられて育ち、その周辺の、いわゆるおたく文化については海外の愛好者に先んじた立場にいられるが、それは逆に甘えや堕落にもつながりかねないと、あらためて思う―
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戦後日本と初期いがらしみきお

2015-05-24 19:33:29 | マンガ
♥♥さんを羞恥責め、トイレしてるところを覗いたり、あるいは汚物そのものを―

といった妄想に浸るとき、あれ?こういうの、いがらしみきおのマンガで見たことあるな…と思い至ることが少なくない。彼の4コマ・マンガは、まさに変態性欲の見本市・百科全書だったのだ。

このほど、『ネ暗トピア』など、遠い過去に手放してしまった彼の初期作品集をまとめて入手し、つらつら見返してみると、単に変態性欲というより、それはいがらしみきお流の人生観の表れであり、例えば同性愛一つとってみても、決して耽美的・貴族的な方へは向かない、下からの、屈折と怨念に満ちた、破壊と創造の迫力に圧倒される。




1994年頃に『いがらしみきお自選集』という全5巻の上製本が出た際に、ネ暗トピア、あんたが悪いっ等々の個別の単行本を売り払ってしまったのだが、この自選集が、ご本人のロング・インタビューを収めている以外はどうにもならない代物で。

編集が悪い。年代順でもなくテーマ別でも掲載誌別でもなく、「てーじろーさん」のような続きものの重要作も漏れている。
1984年にいったん休筆するまで、およそ5年、一水社のエロマンガ誌に掲載した作品群を発表年代の逆順で収めた『家宝』によれば、彼の作風や技法、あるいはよだれ、空中コケ、む~ん、馬糞タンコブなど細かな描写は驚くほど変わっているので、彼の世界を満喫するためには最低限の背景・系統を知っておくことは欠かせず、結局は最初の単行本化に頼らざるをえない結果となった。

作風の変遷について『しこたまだった!・1』のあとがきで彼自身「既成の"文法"に頼った、近頃の少年マンガはつまらない。女の子(ラブコメ)であれメカ(バイクやロボット)であれ。マンガ家続けたいからやってるとしか思えない」と述べているのが興味深い。

また、ジャズとプロレス、特に後者を押さえておけば恐れるものはない、といったことも語っている。反則技で負けになったレスラーがいるとしても、見る者に、それは反則ではなく、彼の勝ちだと解釈する自由があり、それぞれ違った見方ができるのが素晴らしいと。
この自由さが、既存の文法に頼ることを潔しとさせず、逆に文法を壊して前進しようと考えさせたのは必然といえよう。

しかし、次々と新たなギャグや技法を生み出し、多数の連載を抱え、やがてはシュールな、意味そのものを問うようなマンガを描き、休筆へと至ったいがらしみきおが、あの時代に寵児であった、存在理由は、さらなる深層に―






上の画像2点は、つながっているようで、別々のマンガである。
松本伊代吉、坂山玄馬さん、川馬鹿先生、レスラーのターゴ・ヨサク、巨根で精力絶倫の野ブタ、同じく絶倫のじじいと娘の道代など、繰り返し登場する、お馴染みの人物の中でも、頻繁に現れ、最も初期いがらしみきおの世界を象徴していると感じさせるのが「山田マサオ」だ。

彼の「やりたいやりたい。けど全くもてない。できない」境遇は、女の子と仲良くなるため小学校低学年時代がいちばんデッサン練習したという、いがらしさん自身マンガを描く原動力の表れとして、強迫観念にも似た執拗さで、われわれ男性の心に訴えかける。

と同時に、彼の泣き声に呼応し、スックと立ち上がり、そして力なくへたりこんだ全国の同志は、次の時代にはさらにこじらせて、秋葉原事件や黒子のバスケ事件を起こしたり、もっと卑近にはネットの仮想に力を得て「つまようじ犯」「ドローン少年」に転じたかも分からない。




結婚式ならぬ、オメコ売買式。
先日、アメトークの「イイ女の雰囲気出してる芸人」を見て、あけすけに女の性欲を語る様子が好ましく、お見合いでようやく結婚できて、性の部分では非常に抑圧されていた私の母を思い出すと隔世の感があり、泣き笑いした。

戦後民主主義により、男女同権が保証されたとはいえ、それは名目上のことで、実際には男性中心の買い手市場=女は性や出産・子育てや家事労働を売る=によって高度成長が成し遂げられた。が次第に、名は体を表し、生殖のリスクが大き過ぎる女の方が恋愛市場の主導権を握り始めたことに対し、いがらしみきおは「女子大生は亡国の民だなや。人権はない」と叫ぶ。ここにはトーホグ・宮城県から生まれた、祝祭の陰画めいた、男根原理の称揚がある。
現実にもてたい彼は、ラブコメやメカに逃避することはないが、といって女の立場に歩み寄ることなく生み出された強烈な創作の数々は、おたくをこじらせた結果としての犯罪心理さえ予見しており、さまざまな意味で末期症状を呈するわが国の村社会・男社会を体現して余すところない―






ネ暗トピア [マーケットプレイス コミックセット]
クリエーター情報なし
メーカー情報なし


家宝 いずみムック
いがらしみきお
一水社
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日本幻景 #12 - 弟子

2015-02-25 19:56:21 | マンガ
「巨人師匠にゴルフのコースへ同行させてもらって、師匠のクラブを壊しちゃって怒られたんだけど、高校出たての弟子をゴルフ場へ連れていくとか、巨人師匠は俺みたいなもんにも人として向き合ってくれてたなあと。俺にいま高卒の弟子とかいたら、口も利かねーよ(笑)」


ほっこりする話である。有吉弘行が若い頃、漫才のオール巨人さんの下へ弟子入りしていたのはよく知られているが、住み込みだったのか、別にアパートを借りたりしていたのかも気になるところ。
弟子入り8ヵ月で暴力沙汰を起こして謹慎を命じられ、そのまま無断で上京し、ヒッチハイクの企画で成功してようやく師匠に再会、土下座で詫びを入れ、正式に破門ということになったと聞くので、おそらく住み込みではなかったろう。

住み込みの弟子となると、責任関係が格段に重くなる。
私が幼い頃、父から与えられた時点で相当読み古されており、さらに私がボロボロになるまで読み古したマンガ本。河童もので有名な清水崑氏の手になる少年少女漫画集・第1集(1953年刊)に、作者を模した漫画家の下へ住み込みで弟子入りした、その弟子の視点から描かれる「わたくしは弟子である」という作品が。

食事も居室も無償で提供され、絵の指導を受ける。
が、師匠の家族も含む上下関係はあるにしても、ずいぶん風通しがよいというか、巨人師匠と有吉同様、人として向き合い、生活全般にわたって文化の継承が行われている様子だ。
経営者や政治家が「書生」を住み込ませる慣習とも似て、成功者に義務付けられた社会貢献のおもむき。





清水崑氏を模した「珍水珍(ちんみずちん)」先生は、多い時は同時に10社ほどの出版社・新聞社が原稿を求めてくる売れっ子。
しかしこの当時、流行作家という概念は漫画家より小説家に冠せられるものだったろう。

いま森村誠一氏が夕刊に連載中の半生記エッセイによると、彼が勤務するホテルが文藝春秋の本社屋そばにあったため、このホテルを定宿として、同社の雑誌に執筆のため「カンヅメ」になる作家が多く、特に梶山季之氏からは原稿の受け渡しを頼まれるほど親しくなり、作家志望の森村氏は密かに原稿を読んで、連載の続きを自分なりに書いてみて実際の原稿と比べたりして修行したと。
後に乱歩賞を受賞して、梶山氏にこの事実を打ち明けたところ、氏は「ボクは知らない間に弟子をとっていたのか」と笑ったという。





一人の作家が並行して何本もの連載を抱えるので、締切を控え独占的に自社の作品を書かせようと「カンヅメ」にする。
娯楽の種類が乏しく、小説が特権的な位置にあったことを示す逸話で、松本清張は原稿用紙月産2千枚、梶山季之や笹沢佐保も千枚を量産したと聞くが、やがてマンガ雑誌が娯楽の王座を奪うに伴い、手間のかかる背景などを分業するアシスタントやプロダクション制がマンガ制作の常識になってゆく。

小林まことさんの『青春少年マガジン』で、彼のライバルだった大和田夏希さんは最初の印税を全部使って、広い仕事場へ移り、複数のアシスタントを雇い、週刊に加え月刊マガジンの連載も始めるという決意を語る。彼の担当の編集者が月刊マガジンの編集長に出世したので。





なるあすく@「じょしよん」発売中!! @naruasuku 16-Feb-2015
少し前に、漫画のアシスタントのことが話題になってたようなので、ここで自分が漫画の専門学校に行ってた時代に、学校から紹介された漫画家さんのアシスタント面接に行った時の模様をどうぞ(※漫画上の演出なので実際は帽子とサングラスはしてません)

海法 紀光 @nk12 21-Feb-2015
曾野綾子氏だが、教養、資格のない移民を労働力として招く一方で、移民の身分は厳格に定めるべきといい、その移民と一緒に暮らすと衝突が生じるから、居住区を分けることを「提案」する。もう、この時点で、完全にアパルトヘイトそのものです。


漫画家は個人事業主ということになっており、アシスタントの賃金や待遇について、出版社には直接的な責任はない。
しかし、大和田夏希さんは実質的に講談社の専属のような形なのだ。並行していくつもの出版社に原稿を渡し、必然的に「カンヅメ」や「文壇バーの接待」が常態化していた小説版・流行作家の時代とは違う。

過酷な週刊連載に加え、アンケートで競わされ、人気が下がると容赦なく打ち切り。
成功しても将来の保証はない。大和田夏希さんも小野新二さんも体を壊して死んでいった。
ましてアシスタントは、雑誌も減ってゆくこの時代、マンガ以外にツブシが利かず、飼い殺しと呼んでもおかしくない状況で自己責任を問われる。

昔の作家は、貧しい若者を家族同然に住まわせ、指導し、もし成功したら、また次の若者に同じ施しをしてくれればよいから、というレールを敷いた筈なのだが、今の作家は、移民としての身分を厳重に定め、居住区も分けた上で、主に老人の介護をさせるため貧しいアジアの国の若者を受け入れろと云う—
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セーラ・ヒルの聖夜 / 2014 Christmas Playlist

2014-12-24 21:30:10 | マンガ
改革派の政治家こそ戦争をしたがる。大国にそそのかされ、お金のために。
という、萩尾望都さんが「東の地平、西の永遠」で示した視点は、今にして重みを増す。
彼女の作品は、後になるにつれ、リアリズムを重視したためか、言い訳や先送りで物語が長くなり、絵柄も硬直化していった印象があるのだが、初期の短編は弾むようなポップな作風の中に、重いテーマを果敢に取り込んだものが少なくない。

父とは別の男を忘れられない母を子どもが殺す「かわいそうなママ」、亡くなった母が縫ってくれたゆかたを思い返す少女の「小夜の縫うゆかた」、幼い頃に両親が離婚し、ノイローゼ気味の母に育てられた少年が、既に新しい家庭を築いた作家の父を訪ねる「秋の旅」。

結婚や離婚、死別、親のない子の境遇。さまざまな家庭の問題を扱った作品のうち、生き生きと明るく、ほのかなエロティシズムさえ漂うが、ひときわ深刻な問題を扱っているのが1971年の「セーラ・ヒルの聖夜」である。




ロンドンに住む少女が、祖母の家で冬休みを過ごすことになり、田舎町セーラ・ヒルへ向かうが、その町には彼女と瓜二つなガキ大将がいた—
2人は実は双生児で、赤ちゃんの頃に両親が事故死し、それぞれ養護施設から別の家庭に引き取られていったという、驚きの事実を知ることになる。

私は松本清張の「社会派」推理小説よりも、萩尾望都の1970年代の作品群に、開かれた社会の空気を感じる。他人同士の男と女が出会い、家庭を築くことこそ、あらゆる文化・宗教・社会問題の根源にある、小さいが、大きな一歩だということを、若き萩尾望都は完璧に表現した。その世界は、少女マンガの読者層を超え、少年~青年を魅了した。

一方、萩尾望都と一時同居し、競って新しい少女マンガを作り上げた竹宮惠子が、長編『風と木の詩』で描いたのは、全寮制の学園内で娼婦のように暮らすジルベールと、転校生セルジュの、男同士の激しい恋愛。
やがて駆け落ちのように学園を離れた2人は、生活の壁にはね返され、ジルベールを死なせてしまったセルジュは「壮絶な孤独の」後半生を余儀なくされる。

ここには、社会をバビロンと見なす、逃避的・自己愛的な頽廃が感じられ、萩尾望都の作風と好対照を成しているといえよう。
いずれにせよ、それらを最後として、少女マンガが人生の教師である時代は去った。今の私は、わずかな例外を除き、ほぼ音楽一色に塗りつぶされた原理主義の生活である—






iTunes Playlist "2014 Christmas Playlist" 57 minutes
1) Another Christmas Song / Stephen Colbert (2008 - A Colbert Christmas: The Greatest Gift of All)



2) Christmas (Baby Please Come Home) / Darlene Love (1963 - A Christmas Gift for You from Phil Spector)



3) Sleigh Ride / Leroy Anderson (1948 - The Leroy Anderson Collection)



4) 2000 Miles / The Pretenders (1983 - Learning to Crawl)



5) White Christmas / The Drifters (1954 - Single)



6) Have Yourself a Merry Little Christmas / Mel Tormé (1990 - Home Alone OST)



7) Joy Tracey Thorn (2012 - Tinsel and Lights)



8) Come Thou Font of Every Blessing / Sufjan Stevens (2002 - Hark! Songs for Christmas, Vol. II)



9) I've Got My Love to Keep Me Warm / Dean Martin (1959 - A Winter Romance)



10) シャ・ラ・ラ / サザンオールスターズ (1980 - Single)



11) Christmas Song (Chestnuts Roasting On an Open Fire) / Carpenters (1978 - Christmas Collection)



12) Thanks for Christmas / The Three Wise Men (1983 - XTC: Rag & Bone Buffet)



13) Christmastime Is Here (Instrumental) / Vince Guaraldi Trio (1965 - A Charlie Brown Christmas)



14) Bach: O Jesulein süss, BWV493 / Choir of King's College, Cambridge (2007 - Classic Christmas Carols)



15) Another Lonely Christmas / Prince & the Revolution (1984 - The Hits/The B-Sides)



16) The Christmas Waltz / She & Him (2011 - A Very She & Him Christmas)



萩尾望都作品集〈4〉セーラ・ヒルの聖夜 (プチコミックス)
萩尾 望都
小学館
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寂しき情熱家 - 「マンガの神さま」を世に送った酒井七馬

2013-08-27 21:01:47 | マンガ
『「新寶島」の光と影 謎のマンガ家・酒井七馬伝』 中野晴行 (小学館クリエイティブ・2011年)
1947(昭和22)年1月に刊行されベストセラーとなった、手塚治虫の単行本デビュー作『新寶島』の原作者でありながら、その後、同書が大きな役割を果たした戦後マンガ史からは消えてしまったもう一人の天才・酒井七馬(さかいしちま・1905~1969)の生涯を追うドキュメンタリー。2007年に筑摩書房から発刊されたものに、その後の取材で得られた証言・資料を追加した増補改訂版。




↑同書の図版より、手塚治虫さんは『新宝島』を講談社版全集に収める際、冒頭の少年が車を運転する様子をはじめ、全面的に描き直してしまった。
ことに初期の作品では、他にもそうした例が多いものの、『新宝島』に関してはそれによって同作における酒井七馬の存在が完全に消されてしまい、同氏がその後は不遇で餓死同然の死に方をした–という鴨川つばめさんも信じていた「伝説」まで生むことになってしまったのも、中野氏が本書を執筆する大きな動機になったという。

手塚さんがヒット作を連発して、マンガ及びアニメ界を代表する神話的人物になったのと対照的に、酒井氏は大阪にとどまり、赤本マンガ(零細な業者が扱う、通常の書籍流通ルートを経ず、露店や駄菓子屋で売られるマンガ本)がすたれた後は紙芝居を中心とする活動だったので、話に尾鰭が付いたとみられ、中野氏は丹念に関係者をあたり、その実像を探る。

戦前は大阪マンガ界の中心的存在として雑誌の創刊や編集に携わり、さらに日活の漫画部で草創期のアニメーターとしても活動。
一貫して映画の表現をマンガ・アニメに結び付けたいという思いがあり、その過程で同じ志向を持つ若き日の手塚さんと合作する運びに。
1945年に描かれた手塚さんの『オヤヂの宝島』という長大な未発表原稿は習作の域を出ず、彼が日本のマンガ史にもたらしたとされる「映画的表現」は、『新宝島』の合作を通じて酒井氏から吸収したものが大きかったのではとの見立て。

酒井氏の手になるハイカラな装丁も『新宝島』や手塚さんのその後の業績に貢献したとみられるものの、奥付に手塚さんの名が記載されてないことで一時的に気まずくなり、師弟関係が定着することなく、手塚さんは東京の出版界で売れっ子となる。
いっぽう酒井氏も大阪では人気があり、紙芝居でも『少年ローン・レンジャー』などのヒットを放ったし、テレビ時代が始まるとクイズ番組の解答者を務めるほど知名度があったというが、アニメでもマンガでも紙芝居でもエログロ風味の挿絵でもこれぞ!という後に伝えられる業績は少なく、没後は『新宝島』を通じた極端な風説の主として幻の存在に。




遠藤賢司さんの「不滅の男」に、このような一節が。

♪年をとったとか そういう事じゃないぜ
俺が何を欲しいか それだけだ
そう俺は本当に 馬鹿野郎だ
だから わかるかい 天才なんだ

「バカヤロだから天才」。
すべてのマンガ家さんのための言葉ではないだろうか。アメトークの特集をきっかけに最初の13冊を買って見始めた『カイジ』に思う。
バカヤロな設定、バカヤロな絵柄、バカヤロな主人公。
しかし福本伸行さんは他の誰でもなく、この世界観を発明したのだ。

一コマ一コマ数え切れないほどの絵を描き、寿命さえ縮めかねない「虚仮の一念」が、大勢の人の心をつかむマンガを生む。
こう考えると酒井七馬という人は知性的なプロデューサー・タイプで、実作においてはいずれの分野でも器用貧乏にならざるをえなかったのかも。

最晩年、さびしいエピソードが。
1968年、奈良県の遊園地で催されたマンガショーの司会を務めたのだが、「続いて若いマンガ家の皆さんに絵を描いてもらいましょう」とのことで登壇した『ぐら・こん関西』という若手同人グループの作家たちが不慣れで、人前で模造紙に大きい絵を描くということが理解できず、舞台の進行は台無しになったというのだ。
今だと逆に西原理恵子さんがやってるのとか、大喜利的なマンガの催しが増えてるじゃないですか。
ついに時代と交わりえなかった酒井七馬氏を象徴するようで–




↑後列左端が手塚治虫、前列左端が酒井七馬。1948年の関西児童漫画協会の席で撮影されたとみられる。この後も手塚さんと酒井氏の交流は続いた
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