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国宝 醍醐寺のすべて -密教のほとけと聖教-|奈良国立博物館

2014-08-16 | ア-トな話し

8/14に行ってきました~9/15までです

醍醐寺は都府京都市伏見区醍醐東大路町にある、
平安時代初期、空海の真言密教の流れをくむ聖宝(理源大師)によって 貞観16年(874)に開創され、以来千百年余り、真言密教の信仰と実践の場として発展してきた。
この間、醍醐、朱雀、村上天皇をはじめとする皇族、公家、武家の信仰を集め、豊臣秀吉の治世には「醍醐の花見」の名で知られる盛大な花見が開かれるなど歴史の表舞台においても重要な役割を果たした。

 また、奈良の地と醍醐寺とは、深いつながりをもっています。醍醐寺を開山した聖宝が東大寺で修行を積んだことに始まり、多くの僧侶が醍醐と南都を行き来しました。鎌倉時代に東大寺復興に尽力した重源や、西大寺を再興して真言律宗の教えを広めた叡尊も、若き時代に醍醐寺で修行をした後に奈良にやってきたのでした。また、大峯山や吉野を拠点として活動した当山派修験者たちは歴代の醍醐寺三宝院門跡を棟梁に仰ぐなど、さまざまな絆で結ばれていたのです。
 こうした醍醐寺の歴史と伝統は、大切に守り伝えられてきた膨大な古文書や聖教(仏教の教えや儀式に関する文書)によって知ることができます。昨年、これら文書聖教のうち約7万点が国宝に指定されました。

本展はこれを記念して開催するもので、彫刻や絵画、書跡、工芸品など国宝62件、重要文化財85件を含む約190件の寺宝を一挙に公開されます。

醍醐寺の参拝記はここ 2006年 2009年に再参拝

2009年4月に 上醍醐に参拝 参拝記はここ 
2008年8月24日の火災により、醍醐寺東側の山上にある西国三十三観音霊場第11番札所の「准胝(じゅんてい)観音堂」がほぼ全焼した。火災後上醍醐の入山は禁止されていたが、2009年1月7日から再開された。

今回の展覧会は国宝62件、重要文化財85件 堂々の集結!

これぞ 「醍醐寺のすべて」



重要文化財 弥勒菩薩坐像 快慶作

醍醐寺 三宝院の本尊。清新さと気品があります。
今回の展覧会のパンフレット等はこの仏像です



国宝 薬師如来及び両脇侍像

上醍醐薬師堂の本尊。半丈六(じょうろく)の大きさの薬師如来坐像に、等身よりひとまわり小ぶりの日光・月光菩薩立像が随侍する


重要文化財 不動明王坐像 快慶作

不動明王という忿怒尊でありながら、表情は品があり体躯のバランスもよく、さすがに快慶作という感じだ。


如意輪観音像

繊細さを帯びた瀟洒な姿と、光背周縁部の精微な透かし彫が美しい 

今回のひとつの目玉は上醍醐の五大明王像が一挙公開されると言うこと



重要文化財 五大明王像(五大堂安置)

左から
大威徳明王像  平安時代(10世紀)、軍荼利明王像  江戸時代 慶長13年
不動明王像 江戸時代 慶長13年、降三世明王像 江戸時代 慶長13年
金剛夜叉明王像 江戸時代 慶長10年

五尊がそろって寺外で公開されるのは、本展が初めてとなる。

2009.4に五大堂で見ました



以前に醍醐寺の霊宝館で「金天目」を見てがっくり来たことがあります。さすがに今回は光り輝いていました



金天目・金天目台
すり鉢形で、口縁がわずかにすぼまり、高台が比較的小さな、いわゆる天目形の茶碗

豊臣秀吉の「金の茶室」で使われたのかも


重要文化財 醍醐花見短冊

醍醐の花見の宴において詠んだ和歌を短冊に書き記したもの
普通は自筆が多いが、後日、清書して醍醐寺に納められたもの

最初の分は
「あらためてなをかへてみん深雪山うつもるはなもあらはれにけり 松」
残り二葉も秀吉のものと伝わる

素晴らしい展覧会だったが、入場料は1500円だった



八窓庵

博物館の中庭にある八窓庵は、もとは興福寺の大乗院庭内にあった茶室で、含翠亭(がんすいてい)ともいい、江戸時代中期に建てられまし た。江戸時代の名茶人、古田織部好みと伝えられる多窓式茶室として有名。
ここへ来るとカメラを向けたくなる。季節ごとに面白いですよ
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