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第69回 正倉院展

2017-10-30 | ア-トな話し
今回で10回目になる それぞれにたくさんの思い出があります
右にその年の正倉院展後の散歩です

正倉院展 第57回 2005.11 奈良市写真美術館へ行きました
正倉院展 第60回 2008.10 奈良県庁の屋上公開見学しました
正倉院展 第62回 2010.10 正倉院展記念薬膳弁当 食べました
正倉院展 第63回 2011.11 大仏プリンを本店まで買いに行き食べました
正倉院展 第64回 2012.10 2012年東大寺ミュージアム へ行きました
正倉院展 第65回 2013.10 正倉院展記念薬膳弁当食べました 2013年 東大寺ミュージアム へ行きました
正倉院展 第66回 2014.10 正倉院「正倉」外構を見学しました
正倉院展 第67回 2015.10  猿沢の池、中谷堂(高速餅つきのお店)、林(りん)神社、浄教寺、開化天皇陵と散歩しました

正倉院展 第68回 2016.10 春日大社 式年造替,近鉄奈良の奈良百楽へ行きました


本年の正倉院展には、北倉10件、中倉25件、南倉20件、聖語蔵3件の、合わせて58件の宝物が出陳されます。そのうち初出陳を含むものは10件です。
今年は待ち時間5分と最高でした。

台風一過で冬到来、木枯らし1号という日さすがの正倉院展も待ち時間がほとんどない状況でしたが
館内は結構混んでました





 羊木臈纈屛風 [ひつじきろうけちのびょうぶ]
(ろうけつ染めの屛風) 1扇
縦163.1 横55.9 本地縦154.6 本地横52.4

 『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に「臈纈屛風十畳」と記されるものの一部と推定される屛風(びょうぶ)の残欠(ざんけつ)。いわゆるろうけつ染めの技法で、樹下に佇(たたず)む羊を大きく表す。樹上には2頭の猿猴(えんこう)が遊び、下方には山頂に樹木が小さく表された険しい山岳が表される。山岳の左方の頂き近くには1頭の子鹿も添えられている。 
 本品に表されるような巻角(まきづの)の羊や樹下に動物を配する構図は、ササン朝ペルシアの美術に由来するが、下端部に調絁銘(ちょうのあしぎぬめい)と思われる墨書(ぼくしょ)があり、天平勝宝3年(751)以降にわが国で製作されたことがわかる


記念切手にも採用された高名な羊木臈纈屛風です
切手です



切手趣味週間 羊木臈纈屏風 2003.4.18.発行




槃龍背八角鏡 [ばんりゅうはいのはっかくきょう]
(龍文様の鏡) 1面
径31.7 縁厚0.9 重4260


 『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に記載されている、聖武天皇ご遺愛の白銅鏡(はくどうきょう)。外形が八弁をかたどる八花鏡(はっかきょう)とよばれる形式をとる。鏡背面の中心には亀形の鈕(ちゅう)(紐(ひも)を通す孔(あな)のあるつまみ)があり、鈕を囲むように2頭の龍が絡み合う。龍の下部には鴛鴦(えんおう)の遊ぶ山岳があり、そこから飛雲が吹き出ている。龍の上部に配された遠山(えんざん)や、流れる雲の表現から、天空を飛翔する龍の姿が表された図様(ずよう)を示すものといえよう。唐からの舶載品(はくさいひん)と考えられる。



緑瑠璃十二曲長坏 [みどりるりのじゅうにきょくちょうはい]
(ガラスのさかづき) 1口
長径22.5 短径10.7 高5.0 重775

 濃緑色を呈するガラス製の長楕円形(ちょうだえんけい)の杯(さかづき)である。ササン朝ペルシアの遺品にみられる器形を呈し、長側面の両側に半月形のひだが3段ずつ付き、口縁に12の屈曲ができることから十二曲長坏(じゅうにきょくちょうはい)とよばれる。ゆるやかな曲面に沿って植物文様が陰刻され、長側面の口縁近くにはうずくまるウサギ、短側面にはチューリップに似た大輪が表されている。鉛ガラス製で、鉛分を多く含んでいることから中国製と考えられるが、西方に由来する意匠を濃緑のガラスで作り上げた、異国情緒を感じさせる品として名高い。

「ワアー チッチャ」

周りの声である。今回の展覧会の記事があると必ず紹介されている品。みんな想像とは違った。私もですが(笑)




漆槽箜篌 [うるしそうのくご]
(漆塗の竪琴) 1張
槽現存長139.0 肘木長79.0


 箜篌(くご)は竪形(たてがた)ハープの1種で、アッシリアに起源があるとされる。古代に中国・朝鮮半島・日本などで用いられたが、中世以降に姿を消した。
 本品は宝庫に伝わる2張の箜篌のうちの一つ。現在大破し残欠となっているが、槽(そう)とその下に続く頸・脚柱部をキリの一木(いちぼく)から作り、頸部にカキ材の肘木(ひじき)を挿し込む構造である。共鳴胴となる内を刳(く)った槽には、黒漆塗(くろうるしぬり)が施され、革で作った鳥獣文を貼付け、花文や山岳文を彩色するという、華やかな装飾がなされていたとみられる。彩色に使用されていた顔料(がんりょう)から、本品は日本で製作された可能性が高い。
 



明治期に製作された模造も展示されている。
見事な美しである。






金銅水瓶 [こんどうのすいびょう]
(金メッキの銅の水差し) 1口
口径8.8 胴径11.2 注口長21.7 高19.0 重569.5

 鳥頭形の注口(ちゅうこう)が目をひく銅製鍍金(ときん)の水瓶(すいびょう)。胴部は扁平(へんぺい)な球形で、上部に広く口の開いた受水口、下方に裾広がりの高台(こうだい)、そして鳥頭形注口を先端に取り付けた細長い頸部(けいぶ)を側面に設けている。鳥頭の鶏冠(とさか)などの表現から、これは鳳凰(ほうおう)を表しているものと思われる。受水口の頸部や高台には素朴な花弁を刻んでいる。
 製作には、全体を10数箇所に分割して銅打ち出しで作り、複数の材を鑞(ろう)付けと鋲(びょう)留めを組み合わせて接合し、鍍金を施し仕上げるという工程がとられている。
 類品が知られていないエキゾチックな器形の水瓶を、高度で複雑な技術をもって作り上げたといえる本品は、宝庫の金工品の中では異色の存在である。
奇抜な形は普通やぼったく見えるものですが、全体的にうまくバランスが取れています。



守り続けた宝 未来へつなぐ

正倉院宝物は1200年以上、土の下ではなく倉の中に伝わり、「東大寺献物帳けんもつちょう」というリストも一緒にあるところが、世界でも珍しいといえます。約9000件あり、もとは光明皇后が、夫の聖武天皇の遺愛品を東大寺に納められたものです。




会場の奈良国立博物館の庭にも秋が



博物館の中庭にある八窓庵(はっそうあん)は、もとは興福寺の大乗院庭内にあった茶室で、含翠亭(がんすいてい)ともいい、江戸時代中期に建てられまし た。江戸時代の名茶人、古田織部(ふるたおりべ・1544-1615)好みと伝えられる多窓式茶室として有名です。この茶室と興福寺塔頭慈眼院の六窓庵 (ろくそうあん 現所在東京国立博物館)、東大寺塔頭四聖坊の隠岐録(おきろく 東京へ移建の後、戦災で消失)と称される茶室とあわせて大和の三茶室といわれていました

風で吹き飛ばされそうな天気





近鉄奈良駅の百楽で昼食の後



6年ぶりに大仏フリン買って帰りました。
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