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68近くの散歩 泉南市埋蔵文化財センター

2025-01-30 | 街角の話し
泉南市埋蔵文化財センター
大阪府泉南市信達大苗代374番地の4
新家古墳群・フキアゲ山古墳群(しんげこふんぐん・ふきあげやまこふんぐん)で
採集された土器
須恵器 5世紀中頃
新家(しんげ)に位置するフキアゲ山古墳群や新家古墳群では発掘調査が行われています。
円墳(えんぷん)と呼ばれる直径10数メートルの土まんじゅうのような形をしたものです。

相輪の模型
ロビーには、海会寺の五重塔の頂上に金色に輝く相輪(そうりん)の復元模型が展示されています。
高さ10メートルを超えていた相輪部分の3分の1スケールの模型で、当時の壮麗な姿を想像する事ができます。
以前に来ました
近くの散歩14 古代史博物館 海会寺跡と熊野街道
古代史博物館(こだいしはくぶつかん)は、大阪府泉南市にある、博物館を中心とする複合施設である。正式名称は古代史博物館・泉南市埋蔵文化財センター。古代史博物館部門と埋蔵文化財センター部門で構成される。
国の史跡「海会寺跡」(かいえじあと)および国の重要文化財「海会寺跡出土品」をはじめとする泉南市の埋蔵文化財の調査・研究・保管・公開・文化情報の発信を主たる目的として、1997年に開設された。





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シクラメン

2025-01-28 | 街角の話し
花をいただきました
ありがとうございました
シクラメン(学名:Cyclamen persicum)は、サクラソウ科シクラメン属に属する地中海地方が原産の多年草の球根植物の総称である。この記事においては特に明記しない限りはC. persicumとその品種、変種のみを指して用いる。

シクラメンは、カガリビバナ(篝火花)、ブタノマンジュウ(豚の饅頭)のほか魔力を封じる花、病気を治す花、聖母の心臓、修道女の花など別名を持つ。
カガリビバナという和名は、この花を見たある日本の貴婦人(九条武子だといわれている)が、「これはかがり火の様な花ですね」と言ったのを聞いた植物学者・牧野富太郎が名付けた。「ブタノマンジュウ(豚の饅頭)」は、植物学者・大久保三郎が英名を日本語にそのまま移し替えた名前である。
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お年玉切手シート(2025年用)

2025-01-23 | 街角の話し
「お年玉切手シート」は年賀はがき、もしくは「お年玉年賀切手」についている抽選くじに当選した方のみがもらえる(正式には「交換できる」)切手シートです。
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67近くの散歩 ,根来SL公園 根来山元気の森

2025-01-23 | 街角の話し
小生のホームページ ここ
以前から行きたかったSL公園
赤井工作所敷地内に根来SL公園があります。
往年の名機関車「D51(デゴイチ)」を展示しておりベンチでくつろぎながら見学できます。
移転の模様
平成15年5月16日、17日の2日間にわたり、海南市旧昭南工業跡地から岩出町(当時)に向け、D51930号機の移転が行われました。
輸送状況
輸送は、17日午前0時に海南市を出発し、時速30km前後の低速走行により、岩出町(当時)到着は午前2時となりました。
大型トレーラー3台に、機関車ボイラー部、機関車台車部、炭水車がそれぞれ積込まれ、運転席キャビンと煙突などの比較的小さな部品は、4tトラックに載せられ搬送されました。

D51(デゴイチ)いいですね

根来山元気の森




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阪神・淡路大震災

2025-01-18 | 街角の話し
阪神・淡路大震災とは 30年前です
平成7年(1995年)1月17日(火)午前5時46分、淡路島北部を震源地とする地震が発生し、国内で史上初めてとなる「震度7」の揺れを記録。
死者・行方不明者は6400人を超え、全半壊など被害を受けた住宅は約63万棟にのぼりました。
この年の2月、政府は「阪神・淡路大震災」という呼称を決めました。

17日夜、震災をきっかけに始まった「神戸ルミナリエ」のイルミネーションの一部に光がともされ、亡くなった人たちを追悼しました。


2005年20年前です ブログにしました
「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込め、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災(1995.1.17)の起こった1995年12月に初めて開催され、今年で11回目。
今年は、12/9~12/22とクリスマス前に終わる。テ-マは「光の第二章」

これが「輝きの門」

光の回廊

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66近くの散歩 春日神社 松尾寺 和泉市

2025-01-16 | 街角の話し
近くの散歩 では春日神社は初 松尾寺は2回目
春木 春日神社(はるき かすがじんじゃ)



鎮座地
和泉市春木町
春日神社という名前の神社はたくさんありますが

春日神社について 御 祭 神
 鹿島神宮の御祭神で、『古事記』では荒々しい神々を制圧し、国の平定に貢献したとされています。
また、神武東征では、再び混乱した国を平定する為、自身の分身である霊剣 布都御魂(フツノミタマ)を降ろしました。武力・刀剣の神様として崇められています。
 香取神宮の御祭神で、武甕槌命と共に出雲の国に天降り、国の平定に貢献したとされています。その功績から武運・平和・外交の神様として崇められています。

 藤原(中臣)氏の祖神として崇敬され、天の岩戸開きにおいて祝詞を奏上しました。日本書紀には、「神事を司る宗源者なる故に太占の卜事を以って仕え奉らしむ」とあり宮中の祭祀を司る神様とされました。神事・政治・歌の神様として崇められています。
 天児屋根命の后神。天児屋根命を支え、夫婦円満・平和の神様として崇められています。

◆ 明治期に本殿に合祀された南池田・北池田の各村の神社はこちらになります。
 御 由 緒

 神社の草創期前、古墳時代後期(六・七世紀)に構築された古墳が本殿裏や参道両側に現存しています。これらの古墳群は地元の有力な氏族を祭祀したものと考えられています。その後の奈良時代、神護景雲二年(七六八年)常陸国より武甕槌命・経津主命が大和国の御遷宮のみぎり、近郷の民はこの地に集い頓宮を造営しました。次いで、河内の天児屋根命、比賣大神を祭祀して春日大明神とし、和泉国池田郷の鎮守として崇敬されるに至ります。
 参道脇の古墳官地にして御林(みばやし)、上林(かみばやし)とも称され、固有の神として氏神、産土の神、鎮守の杜 となり広く生活の中に伝承されてきました。江戸時代の享保三年六月十九日、神祇官より正一位の神位を授かり、南池田村、北池田村(七か村)を氏子として守護、その社地四万六百八十坪(境内五千百坪)を所有しています。
 末 社
■穂椋神社(ほくらじんじゃ) 
【御祭神】
 保食神(うけもちのかみ)
大正4年に和田町より合祀 式内社
「うけ」は大和言葉で食べ物を表す語で食料の神様
 
■意賀美神社(おがみじんじゃ) 
【御祭神】
 龗神(おかみのかみ)
 白山比売命(しろやまひめのみこと)
 大正4年に万町より合祀
 龗神は水の神様
   
■水屋権現社(みずやごんげんしゃ) 
【御祭神】
 水屋権現(みずやごんげん)
 水の神様 
■玉福稲荷神社(たまふくいなりじんじゃ) 
【御祭神】
 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
 佐田彦大神(さたひこのおおかみ)
 大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ) 





松尾寺 
松尾寺(まつおでら、まつおのでら、まつおじ)は、大阪府和泉市松尾寺町にある天台宗の寺院。山号は阿弥陀山。本尊は如意輪観音。
今 山茶花 サザンカが立派 と言うので行きました







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大阪の我が家の庭に雪

2025-01-12 | 街角の話し
天気予報で雪が降るらしいと話してました
1月10日朝見ました
残念ながら11日は降りませんでした




1月10日の午前7時半頃の
写真です
多分夜中に少し降ったのだろうな
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65 近くの散歩 明治なるほどファクトリー関西 明治ヨーグルト工場の見学

2025-01-09 | 街角の話し
2回目です
ヨーグルトのことを楽しみながら学ぶことができる見学施設です。見学通路からはドリンクヨーグルト・ソフトヨーグルト・カップヨーグルトの製造ラインを、案内ガイドの説明を聞きながら見学できます。 



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水間寺に初詣

2025-01-07 | 街角の話し
初詣行って来ました
2025年の干支は「乙巳(きのとみ)」で、柔軟性と適応力を象徴する「乙」と、再生と変化を意味する蛇を表す「巳」が組み合わさっています。この年は、努力を重ねて物事を安定させる縁起の良い年とされており、乙巳年生まれの人は努力家で粘り強く、芸術的な才能に長けていると言われていますが、自分の意見をしっかり持つことが求められます。 

水間寺(みずまでら)は、大阪府貝塚市水間にある天台宗の別格本山の寺院。山号は龍谷山。本尊は聖観世音菩薩。水間観音の通称で知られる。新西国三十三箇所第4番札所。周辺とともに大阪みどりの百選に選定されている。
歴史
  • 本堂(貝塚市指定有形文化財) - 文化8年(1811年)に岸和田藩主岡部長慎により再建。
  • 三重塔(貝塚市指定有形文化財) - 天保5年(1834年)再建。明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重塔である。


寺伝によれば、天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したものという。行基は、病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、白鳥(しらとり)に南西の方向に導かれたが、その白鳥は和泉国で羽根だけを残し何処へともなく消え去り(この地は現・貝塚市鳥羽だという)、彷徨いながら北東の方向へ進んで行くと、16人の童子(観音菩薩の化身)に遭遇し(この地は現・貝塚市清児といい、稚児塚の伝承地が現存する)、その童子に案内され、行基が2つの川が合流する「水間」の地に着き、誘われて滝に向かうと竜神が現れ、聖観音像を授けられたと伝わっている。その滝は、現在の本堂の裏を流れる秬谷川にあったらしく、現在は岸辺に設置されたフェンスに「聖観音菩薩出現の滝」と墨でかかれたボードが設置されている。
ご詠歌
みなかみは清き流れの水間寺願う心の底はにごらじ




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明けましておめでとうございます

2025-01-01 | 街角の話し
今年のカレンダーです
今年もいつもお世話になっております
いとうまもる診療所から頂きました

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