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第68回正倉院展

2016-10-28 | ア-トな話し
今回で9回目になる それぞれにたくさんの思い出があります
右にその年の正倉院展後の散歩です

正倉院展 第57回 2005.11 奈良市写真美術館へ行きました
正倉院展 第60回 2008.10 奈良県庁の屋上公開見学しました
正倉院展 第62回 2010.10 正倉院展記念薬膳弁当 食べました
正倉院展 第63回 2011.11 大仏プリンを本店まで買いに行き食べました
正倉院展 第64回 2012.10 2012年東大寺ミュージアム へ行きました
正倉院展 第65回 2013.10 正倉院展記念薬膳弁当食べました 2013年 東大寺ミュージアム へ行きました
正倉院展 第66回 2014.10 正倉院「正倉」外構見学
正倉院展 第67回 2015.10  猿沢の池、中谷堂(高速餅つきのお店)、林(りん)神社、浄教寺、開化天皇陵

本年の正倉院展には、北倉(ほくそう)10件、中倉(ちゅうそう)29件、南倉(なんそう)22件、聖語蔵(しょうごぞう)3件の、合わせて64件の宝物が出陳されます。そのうち初出陳は9件です。



漆胡瓶 [しっこへい]
(ペルシア風の水差し) 
高41.3 胴径18.9

 丸く張った胴部に鳥の頭を思わせる注口(ちゅうこう)をのせ、裾広がりの台脚と湾曲する把手を備えた水瓶(すいびょう)。
テープ状にした木の薄板を巻き上げる巻胎(けんたい)技法によって素地(きじ)を成形し、全体に黒漆(くろうるし)を塗った上に、文様の形に切り透かした銀板を貼る平脱(へいだつ)技法で山岳や鹿、オシドリなどを施し、広々とした草原に禽獣(きんじゅう)が遊ぶ様子を表す。西方に由来する器形と、東アジアで編み出された巻胎技法・漆芸技法とが融合した、まさに当時の国際的な交流の産物といえる品である。

今年の主役、さすがに周りはすごい人だかり。近くに寄るのに少し時間がかかります。





鳥木石夾纈屏風
[とりきいしきょうけちのびょうぶ]
[第1・2扇]
(板締め染めの屏風)
 
 図様を彫り込んだ板に布帛(ふはく)を挟んで染色する夾纈(きょうけち)の技法で、樹下に見返る尾長鳥(おながどり)を左右対称になるよう表した6扇からなる屏風(びょうぶ)のうちの2扇。樹下に鳥獣を表す構図はペルシアに起源が求められるが、国産の絹(絁)(あしぎぬ)が用いられることから、中国の花鳥画の伝統を踏まえ、わが国で製作されたと考えられる。『国家珍宝帳』(こっかちんぽうちょう)に記載された、聖武天皇にゆかりの品である。





大幡残欠 [だいばんざんけつ]
(大型の染織幡) 1旒


 大型の布帛(ふはく)製の幡。錦と綾を組み合わせて作られた幡頭(ばんとう)と幡身(ばんしん)の一部(6坪あったうちの4坪分)に加え、組紐(くみひも)の舌(ぜつ)と幡手(ばんしゅ)が残る。当初はこれに幡脚(ばんきゃく)と脚端(きゃくたん)飾りが付いたので、総長は東大寺大仏に匹敵する13~15メートルに及んだと推測される。
天平勝宝9歳(757)に東大寺大仏殿で執り行われた聖武天皇の一周忌斎会(さいえ)にて法会(ほうえ)の場を飾ったものの一つである。 
 染織工芸の粋を尽くした豪奢で巨大な幡は、わが国に花開いた天平文化の精髄を伝えるにふさわしいといえよう





浅緑地鹿唐花文錦大幡脚端飾
[あさみどりじしかからはなもんにしきのだいばんのきゃくたんかざり]
(大幡の脚のかざり) 

 大幡の脚の先に付けられた緯錦(ぬきにしき)製の飾り。中央に花文に囲まれた1頭の鹿を主文として配し、副文として五(ぐ)の目に花菱文(はなびしもん)を置いている。大幡の偉容を伝える巨大な脚先飾りでありながら、わが国の好みに傾いた穏やかな雰囲気を湛えており、製作年代も確かめられることから、わが国の染織品の展開を捉える上で重要な作例の一つに数えられる。同文同色の2枚の裂(きれ)を合わせて大幡脚(だいばんのあし)を挟んでいたもので、上辺に覗いているのはと同様の大幡脚に用いられた緑綾の一部である。




楩楠箱 [べんなんのはこ]

(献物箱)  仏・菩薩(ぼさつ)への献納品(けんのうひん)を納めて仏前に進めるのに使用したと考えられる箱を献物箱という。本品はクスノキ材製で、蓋の側面が身の側面と同一面となる印籠蓋造(いんろうぶたづくり)の箱である。ほぼ方形に近い長方形をなし、角は丸め、蓋は大面取(おおめんとり)して簡潔な器形を作りだす。「楩楠」はクスノキの根元に近いこぶになった部分や土中の根から得られた複雑な木理があらわれた素材を指すが、この楩楠をふんだんに用いた本品は、木理の霊妙な美しさが特筆される品である。




粉地金銀絵八角長几 
[ふんじきんぎんえのはっかくちょうき]
(献物用の台) 
 仏・菩薩(ぼさつ)に捧げる献物(けんもつ)を載せた木製の台。花をイメージした長八稜形(ちょうはちりょうがた)の天板に、華足(けそく)と呼ばれる植物をかたどった脚を取り付けている。天板の上面は、縁を白く塗り、中央では緑青(ろくしょう)を重ねて淡緑色としている。天板の側面には、白地に銀泥(ぎんでい)で草花文を表して、随所に飛鳥を描いており、下縁には金泥(きんでい)で連珠文(れんじゅもん)を配している。天板裏面に記された墨書(ぼくしょ)より、東大寺にかつて存在した東小塔院(百万塔を安置した院)にて使用されたと考えられる。




銀平脱龍船墨斗 [ぎんへいだつりゅうせんのぼくと]
(象嵌(ぞうがん)装飾の墨壺(すみつぼ)) 

 船形の墨壺(すみつぼ)で、龍頭形(りゅうとうがた)の装飾を付ける。現在糸車や、船体部両側、鼻先、尾部等を欠失するが、概ね当初の形状を保持している。広葉樹材製で、表面には黒漆(くろうるし)を塗って、文様(もんよう)のかたちに切った銀の薄板を貼り付けていたが、龍頭先端の一部を除いてほとんど剝落(はくらく)している。墨壺としては大型で、装飾性が高いことから、実用ではなく儀式用であったと考えられる。 
 なお、龍頭船に似るためこの名が付されているが、仏教美術に表される想像上の怪魚・マカラ(摩竭魚)を表したとする説もある。

新聞報道によると子供達に人気があるらしい。




磁皿 [じざら]
(二彩(にさい)の碗)

 二彩(にさい)技法で加飾された大型の碗。白色釉(ゆう)のみを施す底裏を除き、白色釉と緑釉を斑(まだら)に塗って焼き上げている。
同じような皿も2点出ている
聖武天皇の生母である中宮・藤原宮子(ふじわらのきゅうし)の一周忌斎会(さいえ)にて、聖僧供養(しょうそうくよう)の食作法(じきさほう)に用いられたものと推測される。技法や胎土よりわが国で作られたものであることがわかる



牙櫛 [げのくし]
(象牙の櫛) 
各長10.2

 宝庫に伝わる3枚の櫛。同形同大でいずれも象牙(ぞうげ)製の横形の櫛である。それぞれ124本(写真)、125本、129本の歯を挽(ひ)き出しており、1センチメートルあたり10本以上という非常に細かな歯が作られていることから、毛髪の表面を一定方向に整える梳櫛(すきぐし)として用いられたものとみられる。奈良時代の櫛はツゲやイスノキを素材とすることが多いが、日本で産出しない貴重な象牙を用い、極めて高い技術がふるわれた本品は、中国からの舶載品(はくさいひん)と考えられる。




和同開珎 銅銭

15枚

和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)は、708年8月29日(和銅元年8月10日)に、日本で鋳造・発行された銭貨である。日本で最初の流通貨幣と言われる。皇朝十二銭の1番目にあたる。

和同開珎は学校でも習うし色んな展覧会でも観る。その大部分が出土品(遺跡からの)であり伝世品は極めて珍しいと言える
今年の初出陳の一つです。


今年の正倉院展は10分待ちで入れる幸運でした 出てきた時には30分待ちの表示になってました



郵便局が出張販売してましたので切手を買いました
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