湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

立花隆という鉄砲玉・・・田中角栄の呪い4

2009-09-08 17:22:28 | Weblog
田中内閣はなぜ終わったのか
私には記憶がありません
福田赳夫や三木武夫が閣僚を辞任し
最後は田中総理が自ら辞任を表明したと記憶しています

中曽根通産大臣が
田中政権はダイナミックな政権であったと
愛惜の念を表明していたのが、かすかに記憶に残ります

文芸春秋が田中角栄の人脈金脈という特集をし
田中総理の外国人記者クラブでの会見で、この質問が出て
それを機会に日本のマスコミの論調がいっせいに反田中となり
三木や福田が大臣を辞任し
最後は田中首相みずから退陣を表明する・・・という流れだったでしょうか?

日中国交回復を実現した田中角栄に対し
台湾系の情報工作員が集めた資料を元に
文芸春秋社は、立花隆らを使って、反田中キャンペーンを行ないました

これによって立花隆はマスコミの寵児となりました
何といっても、言論によって総理の首をとったのだから、大したものです
私自身、文春の記事こそ読んでいませんでしたが
大した男だと思っていました

その後、テレビで彼を見て、がっかりしました
人相も悪く、しゃべる言葉には品がなく
出版界のゴロツキという感じでした
(今では、テレビ出演慣れし、だいぶマシになりました)

意外にも、田中角栄は立花隆を相手にしませんでした
選挙運動を見に来た立花を睨みつけると

「田中を取材して本を書き、売れれば、それも結構なことだ」

と演説したそうです

田中角栄は、立花を使って自分を攻撃した、本当の敵を知っていました
立花は、彼らが放った鉄砲玉に過ぎませんでした

田中角栄は首相を辞任した後も
政界に強大な影響力を残し、闇将軍と呼ばれました
脳梗塞に倒れ、言葉を失うまで、事実上彼が日本の政界を牛耳っていたのです
しかし一度として、立花隆への言論妨害の類をしませんでした
その後の立花隆は、文筆家としても、言論人としても
異例の成功をおさめることができたのは、皆さんご存知の通りです





コメント
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