無意識日記
宇多田光 word:i_
 



大昔に新聞を取らなくなって自分は情報収集の為の課金をしなくなったなぁと思っていたんだが、はたと気づいた。NHKの受信料払って毎日ニュース聴いてるじゃん、と。(主にラジオで)

ならばNHKに対して物申しても構わないわな。うむ。有料課金勢として。


昔から、NHK総合は要らないと思っていた。今の地上波全体の体制についての是非は置いておくとして、総合テレビのように娯楽番組を提供して民放と競合するのは皆国民的徴収制にそぐわない。瞬間視聴率&占拠率は有限なのだから、NHKが視聴率を奪うのはただの機会損失だ。

なので、現在の受信料制度を正当化する為にはもうひとつの地上波チャンネル、Eテレの路線をもっと先鋭化するべきだと考える。

先鋭化した路線とは何か。排他的月間視聴率100%を目指す方向性だ。

排他的視聴率とは何か。

今巷に蔓延っている視聴率とは究極的には瞬間視聴率である。ある一瞬に同時に視聴している人間の割合だ。

排他的視聴率とはその逆の概念である。ある程度広く取った一定期間内に誰かが一度でも試聴すれば加算され、一度きりしか加算されない。即ち、期間内に対象者全員が一度はチャンネルを合わせれば排他的視聴率100%が達成される。

今NHKは受信料を月額単位で請求しているからとるべき期間は月間だろう。1ヶ月の間に全員が一度はNHKを利用するような編成を目指すべきだと提言したい。

その為には、今のEテレのようにある特定のクラスターだけが反応するようなマニアックな5分番組や15分番組をできるだけ広範なジャンル・分野に渡って網羅的に放送する必要が出てくる。総合テレビのような瞬間視聴率を求める番組は民放に任せておけばよい。

そうではなく、単独ではスポンサーがつかず番組制作費が確保出来ないようなニッチな番組を月イチ15分とかでもいいから寄せ集めて構成する。そんな編成は民衆から受信料を徴収しているNHKの独擅場となるだろう。やるべきはそれなのだ。是非とも御一考願いたい。



……実現可能性は兎も角、昔から思ってる事を書けたので今夜は非常にスッキリした。……ん?  前回からの続きはどうしたって? そんなの気分次第にきまってんじゃん(笑)。また今度ね~w

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ヒカルの歌もまた日々過去の音源と親しんでいくことで記憶の印象が改変されていく。自分の場合は他のアーティストたちの作品も聴いているのが大きい。

これは、ずっとヒカルの音楽ばかり聴いて過ごしているのとは異なる様態を生んでいく。最新のリリースをチェックするのでも過去の名盤を味わうのでも同じだ。自分の方の音楽のスペクトルが変化していくという点においてはね。

最新のリリースを相手にしている場合は自分側のスペクトルが時代に寄るというだけの話。今モーツァルトに目覚めて何百とある作品を聴き始めたのなら、時代の動きとはシンクロしないかもしれないがその経験後にヒカルの歌を聴けば違って聞こえてくるだろう。

特に力む必要は無い。同じ曲でもリスナーの方が変化すればその度違って聞こえるというかなり自明な話をしているだけだ。だが大事なのはそうと知っているかどうか、だね。

「色褪せない名曲」という言い回しがある以上色褪せる曲も存在するがその色を褪せさせるのは我々の変化の方。時代とともに褪せた色がまた鮮やかさを取り戻す時が来るかもしれないがそれもまた我々が変化したからに過ぎない。音楽は変わらない。

『初恋』という歌の誕生によって『First Love』の存在はより相対化された。それは一度『Flavor Of Life』でも起こった事だ。『初恋』は『Laughter in the Dark Tour 2018』で、『Flavor Of Life』は『WILD LIFE 2010』でそれぞれ『First Love』の直後に演奏された。新しい歌が生まれる度に昔の歌の立ち位置が少しずつ変化するのは同一アーティストの楽曲同士でも起こること。アーティスト自身もまた常に動くシーンの中で再定義されていく。この動きは止まらない。

そういう意味では永遠の名曲なんて存在しない。我々は誰しもが死んで音楽を再生できなくなるからだ。誰かに歌い継ぐよう託すしかない。だからトリビュート・アルバムという企画は重要で…という話からまた次回。

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