ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

敦賀てくてくさんぽ8

2020年09月30日 | てくてくさんぽ・取材紀行
敦賀は陰陽師の安倍晴明が、大陸の窓口として住んだ記録があり、晴明神社は安倍晴明ゆかりの社。陰陽道の祈念石が祀られています。南北朝時代や戦国期の戦果を逃れ、防火の神ともされてます。相生町界隈は銀行や商店、役場などが集まり、かつて市内随一の商店街として賑わいました。空襲を逃れ、随所に古い街並みが残り、町家を利用したカフェや雑貨店も点在。旧鵜飼逗子町付近が街並みの中心で、海に近いため碇や釘などをつくる鍛治職人が集まっていました。築160年の民家の紙わらべ資料館は、高木栄子氏創作の紙わらべ人形作品を展示。突き当たりの吊し飾りが架かる町家は旧敦賀酒造で、1624(寛永元)年創業の酒蔵です。

海岸沿いの通りに出ると、漁協関連の建物の壁に敦賀港や地魚の紹介が続きます。直進すると治水前の笙の川の河口部へ。今橋の中程からは右手に敦賀水産卸売市場、正面に港大橋を臨めます。船着場沿いに河口の方面へ歩いたところの洲崎の高灯籠は、1802(享和2)年築の北前船の航行のための石積み灯台。対岸の敦賀水産卸売市場は最先端設備の閉鎖型市場で、2階の見学スペースから、ガラス越しにセリを見られます。お魚通りには直売所「つるが大漁市場」や料理店も軒を連ねます。

今橋からかつての笙の川沿いに、敦賀城があった「川西」へ。城郭の堀の名残らしき水路をたどり、古い町家が残る中を進みます。水路を渡った先の山門が真願寺で、大谷吉継の居城だった敦賀城の乾門付近とされる寺。敦賀を所領とした大谷吉継は、金ヶ崎城ではなく海寄りの敦賀城を居城にしました。当時の笙の川の河口を埋立てた水城で、三層の天守閣や奉行所など、湊を管轄する体制を整えました。吉継は町立ても整備し、港町の基礎を固めています。花や緑にあふれる境内に、城郭の遺構は見られませんが、本堂の前に「大谷吉継・敦賀城跡」の碑と柱穴らしき穴がある礎石があります。敦賀西小には説明板、八幡神社には鬼瓦、来迎寺には中門も残ります。

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