ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

旅で出会ったローカルごはん29…奈良・興福寺 『塔の茶屋』の、香り高い古の味わいの茶がゆ

2006年01月08日 | ◆旅で出会ったローカルごはん
 高台にある東大寺二月堂の回廊からは、目の前に大仏殿の大屋根、その向こうに奈良の町並みが広がっている様子が一望できた。土塀の小路を歩き、国宝級の宝物が収められた正倉院へ、さらに大仏殿で金色の廬舎那仏に参拝したら、奈良公園内の散策はひと通り終了である。散策中は寒かったのにここへきて雲が切れて日が差し始め、奈良公園の緑地を興福寺方面へ向かって歩いていると、体がポカポカ温かくなってくる。夜行バスで早朝に奈良に到着してすぐ散策を始めたため、時計を見るとまだ11時過ぎ。急ぐ旅でもないし、この辺の芝生に腰を下ろして、奈良公園の鹿クンと遊びながら、のんびり日なたぼっこでもしていきたいところである。

 興福寺の五重塔に差し掛かったところで、ちょっとくたびれたのでひと休み。塔のたもとに腰掛けていると、隣接して鄙びた垣に囲まれた一角があるのが見える。五重塔のそばにあるからか、『塔の茶屋』との屋号が掲げられ、入口には「茶がゆ」と書かれた板の看板も。どうやら茶屋のようである。覗いてみると築200年以上という古びた民家がぽつんと立ち、その正面に藤棚のある小さな庭が広がっている。棚の下には毛氈が敷かれた縁台がいくつか並び、食事やお茶を頂きながらくつろぐ客の姿も。ちょうど昼時だし、ここで日なたぼっこをしながら茶がゆで一服もいいな、と、正面に五重塔を見上げる特等席に腰を下ろした。

 興福寺の境内の一角で古くから営業しているこの茶屋は、奈良の郷土料理「茶がゆ」が看板料理だ。茶がゆとは名の通り、お茶で米を炊いたおかゆのこと。その起源について、先ほど見物した東大寺の大仏に関係した面白い話がある。奈良時代に大仏を建立する際、全国から働き手を奈良の都へと呼び寄せたが、あまりに人数が多いため食料が足りない。そこで少ない米で量が多く見えるように工夫した料理がかゆだったとか。それ以外にも東大寺などの修行僧の食事や、寺で説法などの集まりがある際に振舞った料理など、当地に根付いた仏教との関わりが深かったようだ。作り方は水の代わりにお茶を使って米を炊くのが基本だが、中には水で炊いたかゆへ仕上げにお茶を加えたり、かゆを炊く途中でティーバックのようなものを加えるなど、いくつかの流儀があるよう。使うお茶も大和茶のほか京都・宇治の宇治茶、さらにほうじ茶、番茶など様々で、つくり方や使うお茶によって味わいが変わるという。

 品書きによると茶がゆだけの単品はなく、口取に始まって向付、椀、炊き合わせ、焼き物などと続く本格的な「茶がゆ懐石」と、手軽な値段の「茶がゆ弁当」のふたつが用意されている。庭の縁台で頂くなら弁当のほうが気楽なので、こちらをお願いすることに。すぐに出されたキリッと冷えた梅酒とおしぼりが、好天の下を歩いた後はありがたい。そして少しして運ばれてきた盆には、鉢に盛られた茶がゆとおかずが入った丸い重がのっていた。懐石より手軽といっても、鳥肉、カボチャ、こんにゃく、高野豆腐など種類豊富な煮物と焼き魚、鯛の酢の物、なますなど、重の中身はかなり充実した内容。先ほど頂いた柿の葉寿司も、葉にくるりとくるまれて収まっている。

 まずは熱々の茶がゆからするり。食感はおかゆというよりはお茶漬けのような感じだが、茶で炊いてあるからお茶の香り高さが際立っている。お茶は地元の大和高原特産の大和茶を使う店が多い中、店の人に聞くと「ほうじ茶です」との返事。香りの良さは、表面にかかった緑鮮やかな粉がポイントで、なんと玉露の粉を振っているという。茶がゆは仏教にまつわる食というだけでなく、かつては奈良の家庭料理でもあった。今では地元ではそれほど食べられなくなってしまったものの、サラリとした食べやすさが朝食向き、さらにローカロリーでヘルシーな点も注目され、健康食として広く人気が出ているとか。おかずはどれも上品な薄味に仕上がっており、素材本来の持ち味が楽しめてうれしい。ねっとりと甘いカボチャに、たっぷりつゆがほとびた高野豆腐、こんにゃくはしゃっきりと炊き上がっている。かゆがあっさりしているため、ひじきや奈良漬け、たくあんの塩っ気がありがたい。

 デザートの胡麻豆腐とわらびもちに箸をのばすと、ふるふると揺れてくずれそう。口の中に吸い付きとろけるような食感と、自然でまろやかな甘味がとてもやさしい味わいだ。お茶をのおかわりを運んできた店の人によると、奈良公園内にあるのでたまに店まで鹿が遊びに来るという。食後のお茶を頂きながら、縁台の陽だまりでぼんやりしていると、垣の隙間から顔を突っ込んだ鹿クンが、人懐っこさそうな目できょろきょろとこっちを見ていた。(2001年11月10日食記)

町で見つけたオモシロごはん25…横浜・新杉田  『バーグ』の、ご飯が山盛り肉たっぷりのスタミナカレー

2006年01月07日 | ◆町で見つけたオモシロごはん
 現在住んでいる横浜の杉田へ引っ越して間もない頃、結構ひいきにしていたカレーの店があった。店の名は『バーグ』。京急杉田駅前の商店街をJR新杉田駅へ向かって抜けたところ、国道16号線に面していて、黒板を使った山小屋風の外観が異彩を放っていた。しっかり煮込んで深みのある濃厚なルーが自慢のカレーはもちろん、サイドメニューも定評があり、ハンバーグや目玉焼き、焼肉、フライなど種類は豊富。まだ20代で馬力もあり、ガンガン仕事をして底抜けに腹が減ったときは、実に強い味方だった。

 その後、店がある新杉田駅前の区画が再開発されることになり、残念ながらしばらく休業となってしまった。その場所に2004年秋、ショッピングモールとマンションをドッキングさせた「らびすた新杉田」が完成、「バーグ」もテナントとして入ったが、実はそれからは訪れずじまい。20代の頃ほど量を食べなくなったということに加え、工事中に仮店舗へ訪れた時、ルーが病みつきになった香ばしく濃厚な味わいから、甘めのあっさり味へと変わってしまったことが大きな理由だ。かつての味が新店舗になってからは復活したか否か、知りたいようで知らないほうがいいようで、といった心境である。

 そして再訪の時は突然やってきた。例によって朝から忙殺されて昼飯抜きの空きっ腹、しかも京急杉田駅からお気に入りの飲食店を訪ね歩くものの、いずれも満席か休業ばかり。店が決まらないまま、「らびすた」まで来てしまい、昔なじみだったあの店へつい、足が向いてしまった。かつてのワイルドな山小屋風の外観から一変、ビルの2階の小じゃれたスタンドカレー店へと変貌しているが、店頭のショーケースにはハンバーグカレー、オムレツカレー、カツカレーのサンプルがドン、と並び、ボリュームは相変わらずだ。そして懐かしの「スタミナカレー」も健在なのがうれしい。品書きには30年来のお勧めメニューとあり、カウンターに腰掛けて迷わず大盛りで注文すると、「玉子はどのようにしましょうか?」。生卵と目玉焼きが選べるとのことで、決めようとしたら「『生』ひとつ!」「こっちは『焼き』追加で!」と、常連客の符丁が飛び交うのが耳に入ってきた。客の多くは学生かサラリーマンで、肉体労働者の姿もちらほら。体格のいい大男が「肉を大盛りで」と、威勢のいい大声も響く。

 かつてルーの味ですっかりファンになってしまったこの店、界隈では味以上に豪快なボリュームが評判を呼び、カレーファンをはじめB級グルメマニアに知られた存在だそうである。ここを含め市内に3店舗あり、横浜駅に近い戸部店は飽食系グルメ番組(笑)のテレビ東京「でぶや」でも取り上げられたとか。先ほど書いた店頭のメニューのほかにも、豚ヒレカツカレーやロースカツカレー、さらに150グラムの肉を使った牛サーロインカレー、牛ヒレステーキカレーと、本職のとんかつ家、ステーキ屋びっくりの豪華迫力カレーも用意されている。看板のスタミナカレーはひとことで言えば、普通のカレーに豚肉の生姜焼きを半端じゃない量トッピングしたもの。カウンター越しの厨房では、3人のお兄さんが右へ左へと奮闘中で、タライほどの巨大なフライパンで山盛りの豚肉がどっさり炒められ、その横では厚切りのステーキ肉がひっくり返されたりと、とてもカレー屋には見えない調理風景である。

 オーダーして間もなく運ばれてきた大皿が、目の前に置かれて思わず沈黙、迷わず注文した大盛りにもっと迷っておけば、という気持ちでいっぱいになってしまった。山のように盛り上がったご飯は、どんぶり換算で数杯分はあるのではないか。山の頂にはでん、と鎮座する目玉焼き、頂上から山裾にかけては生姜焼きが覆いつくし、カレーのルーが見えないほど。皿には空いたスペースがほとんどなく、たまに飲食店のアトラクションで見かける、「ジャンボメニューにチャレンジ・全部食べたら賞金進呈」といった勢いだ。人気メニューだけに頼んでいる客も多いようで、まるでショベルカーのようにスプーンでガバッとすくいあげては、威勢よくじゃんじゃん口へ運んでいる。

 こちらもご飯とルー、そしてたっぷりの生姜焼きをのせてバクッ。覚悟していたがルーはやはり甘く、山小屋時代の味はやはり変わってしまったようだ。それが味が軽くなった分お腹に入りやすくなったようで、香ばしい肉にも相性バッチリと、改めて食べてみるとこれはこれで悪くないと思えてきた。山盛りご飯をカレーごとザクッといっては、肉を数切れ口へ放り込み、をどんどん繰り返し、ちょっと飽きたら玉子をつぶし、白飯と混ぜて頂き口直しに。それにしてもご飯の量が半端ではないため、先にルーだけなくなってしまった。途中からは残ってしまったご飯の山を、生姜焼きと薬味代わりに置かれているキュウリの漬物をおかずにして食べ進めることに。これではまるで、特盛り生姜焼き定食だ。

 大盛りを注文しながら残すのは、仁義にもとる情けないことだが、どう言われてもこれだけの量の完食は無理、というか無茶。3食分以上に相当するご飯を一度に食べたら、体がどうかしてしまうだろう。生姜焼きは何とか平らげ、皿の上に半分弱の白いご飯だけ残った状態で、ごめんなさいのごちそうさま。店を後にしながら、昔はこんなに多かったっけか、と満腹で苦しい腹を抱えつつ記憶をたどってみる。これだけ「空腹破壊力」が強すぎると、さすがにしょっちゅうは食べに来れないだろうが、ジャンジャン働きバリバリ食ってたあの頃のパワーを思い出すために、たまにはチャレンジャー気分で? 挑んでみるのもいいかも知れない。(2005年12月17日食記)

旅で出会ったローカルごはん28…奈良・奈良公園 『水谷茶屋』の、香り爽快な柿の葉寿司

2006年01月06日 | ◆旅で出会ったローカルごはん
 奈良を訪れるのは、実に中学校の修学旅行以来である。普段から全国を飛び回っているため、ほとんどの都道府県は何度も繰り返し訪れている中、これまで不思議と奈良には縁がなかった。それだけに逆に新鮮でもあり、五重塔がそびえる興福寺、砂利道の参道を経て春日大社と、奈良の定番コースを巡っていくだけでワクワクしてくる。緑が深い奈良公園内は11月に入ったばかりなのに肌寒く、あいにくの曇り空なのもあり歩いていると体がかなり冷えてきた。

 夜行バスでやってきたため朝食がまだだったのも思い出し、行く先に見えてきた茶屋で食事と暖をとることに。吉城川に面して立つ茅葺きの建物に入ると、ひとり店番をしていたご主人が愛想良く出迎えてくれた。茶屋の名は『水谷茶屋』。ご主人によると店は昭和23年からやっており、建物は大正時代の物だとか。年季ある建物なので、昔は何だったんですか、と聞くと「さあ、昔のことはようわからん」と笑っている。

 暖かいお茶を頂いてひと息ついたところで、お腹の方も落ち着けたい。品書きによるとわらびもち、おこわなど喫茶のメニューほか、うどんやそばがあるのがありがたい。ご主人におすすめを尋ねると、麺類と奈良名物の柿の葉寿司とのセットはいかがでしょうとのこと。うどんとのセットをお願いして、窓の外の緑を眺めながらくつろいでいると、ややたってからうどんとともに、葉に包まれた寿司が3つ並んだ皿が登場。葉を開くと、中はご飯にサバの切り身がのった寿司が包まれていた。サバの身の中央は軽く脂がのり、ほんのり茶色になっている。

 見た目はサバをタネに飯と一緒に握り、柿の葉でくるんだシンプルなこの寿司、内陸に位置する奈良・吉野の人々がかつて、海の魚介を摂取するために工夫を凝らした料理だったという。当時、吉野まで熊野灘沖でとれた魚介を運ぶ際、陸路の熊野街道と紀ノ川の水運の2つのルートがあった。しかしともに急いでも丸2日と時間がかかり、特に鮮度落ちが激しいサバにとって致命的である。そこで考え出されたのが、「浜塩」という加工法。サバの腹を割いて多量の塩を詰め込むことで、なるべく傷みを防ごうしたのだ。だから吉野に着く頃にはサバの身にしっかり塩が回っていて、そのまま食べるには塩辛いほど。そこで身を薄くそぎ、ひと口ほどの大きさに小分けした白飯にのせて食べたのが、柿の葉寿司のルーツといわれている。それを吉野の柿の葉に包み、重石を置いて寝かせること3日ほど。ご飯が糸をひくぐらい発酵した頃が食べごろというから、寿司といっても保存を重視した「なれ寿司」の一種といえる。柿の葉も防腐剤の役割がある上、高血圧を押さえるタンニンやビタミンが含まれており、結果的に健康にも効果があったようだ。

 水谷茶屋で出す柿の葉寿司は、吉野で創業百数十年の歴史を誇る老舗「平宗」のもの。猿沢池の近くの奈良町ほか、奈良市街に数店を構えている。ここの柿の葉寿司は現在の食材の質やお客の嗜好などに合わせて、ひと口で食べられるよう小ぶりにしたり、白飯でなく寿司飯を使ったり、魚も塩分を減らして酢締めにするなど、原型の味や形に様々な手を加えて食べやすくしているという。特に新鮮な生魚をネタにした握り寿司が主流の現在、独特の食感と風味が強いなれずしには抵抗がある人が多い。よって材料のサバも塩漬けではなく新鮮なものを使い、寝かせるのも一昼夜だけ。季節によって塩加減を調節してくせがないように仕上げ、適度になれた状態で頂くようにしているという。

 ひとつ手に取ってみると関西の寿司らしく、しっかり型で押された上寝かせてあるのでよく締まっている。たっぷり塩漬けされた薄い切り身を使っていた当時の名残なのか、今も身はかなり薄い。それが口に運ぶとほろりと自然に崩れて、こってりしたサバの脂とよくなじむ。ここまでは大阪寿司のバッテラと同じだが、最後に柿の葉の青臭さが一瞬漂うのが独特だ。ヨモギのようなやや苦みのある香りで、濃厚なサバの脂の風味をぴしゃり、おかげで2つ3つと進んでしまう。かつては保存に一役買っていた柿の葉は、食材の鮮度が良くなった今では風味付けの役割を担っているようだ。タネのサバは熊野灘で水揚げされた昔ながらのもののほか、最近は佐賀県の唐津で冬場に揚がるものも使用、こちらは脂ののりが適度なため味がくどくないとか。サバもかつての浜塩ではなく旬の新鮮なものとなったが、脂が生きているので昔と同じ薄い身でも充分に味が出ている。

 寿司をつまむ合間に頂くうどんは、関西風の澄んだつゆでワカメがたっぷり。麺をすするたびに柚の香りがほんのりと漂ってくる。お腹が落ち着き体も温まったところで、東大寺へ向けて再び奈良公園の散策へと出発だ。ここから二月堂まで歩いてどれぐらいかかるかご主人に聞くと、「そこの階段を上ってゆっくり歩いて10分」との返事。さあもうひとがんばり、と店を出たとたん、鉛色の雲の間からサッと日が射しこんできた。(2001年11月10日食記)

町で見つけたオモシロごはん24…新杉田 『杉田家』の、本家吉村家直系の家系横浜ラーメン

2006年01月05日 | ◆町で見つけたオモシロごはん
 札幌や博多、喜多方といったメジャー麺どころに肩を並べるほど、横浜のご当地ラーメンが注目され始めたのはいつ頃からだろうか。トンコツベースの醤油味のスープに太めの麺、麺のゆで加減とスープの味を調整できる、というあたりが大きな特徴で、「家系」との俗称を聞いたことがある人も多いだろう。その発祥の店がかつて、自分の最寄りの新杉田にあったとは知らなかった。その名も「吉村家」。1974年の開業以来トンコツベースの醤油ラーメンひと筋で、この味を引き継ぐ300人あまりの弟子や孫弟子を持つ、文字通り家系の総本山だ。ここから横浜家系ラーメンが市内全域へと展開していった… と言いたいところだが、「○○家」という店名でもブームに便乗しただけで吉村家とは無関係だったり、逆に吉村家で修行をしたが屋号に「家」をつけなかったりと、本家の流れを汲む店を見分けるには少々面倒なよう。同じご当地ラーメンでも、地域を挙げてトンコツラーメンが看板の博多、同じく味噌ラーメンの札幌などとは、いく分様子が異なるようである。

 吉村家は現在、横浜駅西口に移転していて、かつて吉村家があった場所のすぐ近くに『杉田家』という店が営業している。ここの店主は吉村家で修行をしたのはもちろん、店は吉村家の直系を名乗れるわずか6店舗のひとつに数えられているほど。つまり味は本家の折り紙付き。クリスマスイブの24日、家庭のパーティーの買い出しついでに、杉田の商店街から足をのばして訪れてみた。店頭の大きな赤いシートに「家系発祥」「家系総本山」と大書されている他はシンプルな店構えで、街道筋のごく普通のラーメン屋といった感じ。何度か店の前を通ったときはいつも店頭に10人程度が待っていたが、クリスマスイブの午前中だからか運良く2、3の空席があったので、ありがたく並ばずに店内へと入る。

 店内もカウンターのみ、余計な装飾や調度はなく極めて簡素である。席に着くと目の前に大きな寸胴鍋が配置されていて、トンコツやガラが時折ドサッ、と放り込まれては、テニスラケットの親分のような道具でガツガツかき混ぜられている。厨房内の職人達はみんな無口で、名店らしく張りつめた空気が漂っているようだ。その一方で、外にできた行列の客にイスを勧めたり、子連れの客に「寒いねえ。なに食べる?」と愛想が良かったりと、お客にはなかなかフレンドリー。「いらっしゃいませえ~っ!」「おはよおございまぁ~っす!」と威勢のいい声が店内によく響く。

 ラーメンの有名店や老舗と聞くと、きちんと座って店主の指示通りに黙って真剣に食べないと怒られるのでは、と思ってしまうが(ガチンコラーメン親父の佐野実の店ではないが?)、壁に貼られた「おいしい召し上がり方」によると、この店のラーメンの食べ方はお客の好み次第で自由気ままだ。何といってもテーブルに置かれた薬味の種類がすごい。全部挙げると無臭ニンニクに揚げニンニク、おろしショウガと刻みショウガ、唐辛子と辛子味噌、さらに行者ニンニクに酢、コショウとその数10種類近く。これに加えて家系ラーメンの特徴である、麺のゆで加減にスープの味の濃さ、脂の量の調整ができるから、まさにセミオーダー感覚である。並ラーメンと煮玉子の食券をカウンター越しに手渡しながら、ゆで加減も味の濃さも脂も普通で注文。味の調整も初めてなので、張り出されている指示通りに、コショウ少々、ニンニクと辛子味噌とおろしショウガをそれぞれスプーン半分、仕上げに酢を少々加えたら準備完了だ。

 丼の上に数枚のったのりをよけると、具はほかに青菜とチャーシュー1枚とシンプル。真っ茶色で結構色が濃く、レンゲですくうとドロリとした感じのスープをひと口すすると、かなり奥行きとふくらみのある味わいである。冷凍でない生のトンコツやガラを大量に使い、強力な火力で短時間で煮出すため、トンコツ独特の香りが強いがくせはさほど感じない。スープのボディがしっかりしているから、調味料や薬味をこれだけ入れても味はこわれず、ニンニクの強さ、ショウガの鮮烈さ、辛子味噌の刺激が引き立てあっているよう。特に酢のほど良い酸味がかなり後をひき、とまらないうまさだ。古くからのファンによると、数ある吉村家の流れを汲む店の中でも、杉田家がかつての吉村家の味にもっとも近いらしい。中には現在の横浜駅西口の吉村家を「越えた」という人もいるとか。

 太めの麺は、その濃いめのスープのおかげで見た目はやや茶色くしみている。ラーメンの麺の中ではかなり腰が強い方で、グイグイとした歯ごたえにしっかりしたのど越しと、食べ応え充分だ。スープの味のからみもよく、太さの割にはスルスルと進んでいく。瑞々しい食感の青菜、まるでベーコンのようにスモークが効いたチャーシューがいい箸休めとなり、インパクトが強い麺とスープを食べ続けても飽きることがない。ふと外を見ると店頭の行列がかなり伸びてきたので、平らげたらすみやかに店を後に。家系ルーツの流れを汲むこの店、名だたる名店の割には思ったより気軽で入りやすく、満州軒(町で見つけたオモシロごはん11参照)、卯月(同22参照)に並ぶ、杉田界隈のお気に入り3軒目になること間違いなしだ。(2005年12月24日食記)

町で見つけたオモシロごはん23…横浜・神奈川新町 『なりこま家』の、丼から肉がこぼれるカルビ丼

2006年01月04日 | ◆町で見つけたオモシロごはん
 明日から仕事始め、正月休みも今日で終わりの方も多いのではないでしょうか。ブログも内容、更新頻度を正月モードから復帰、今日から通常の内容とペースで進めていきます。まずはこんな話から。読んで頭の中からスタミナをつけてみてください(?)。

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 猛烈な空腹に襲われた時、丼で飯をしこたま食べまくりたい衝動に駆られることがある。おかずは何といっても肉。焼肉屋でカルビに地鶏、豚トロをじゃんじゃん焼いてはご飯をどんどんおかわり、もいいがひとり飯にはちょっと贅沢か。むしろ思い立ったら食べられる牛丼やカルビ丼、焼肉丼のような肉載せどんぶりこそ、そんな時に似合うような気がする。カウンターに腰掛けて黙々と肉を食らい飯をかきこむ、これぞ働く男の飯。ファーストフードの牛丼屋が受けているのは、ボリュームに加えてそんなシンプルさと気取りなさが受けているのかもしれない。

 そして多忙を極めたこの日も、昼食を食いそびれてひとり彷徨う午後3時。お気に入りのラーメン屋でラーメン&ライスをドン、といき、底抜けの空腹を埋めてから次の仕事へ向かおうと、横浜駅から京浜急行で3駅目の神奈川新町駅で下車した。第1京浜の沿道にはラーメン屋をはじめファミレスやチェーンの回転寿司などが集中、横浜中央卸売市場が近いせいか、トラックの運転手向け定食屋などしっかり食える店もあり、歩くにつれ空腹ゆえの迷いが生じてくる。加えて焼肉屋に「ホルモン」「ジンギスカン」の看板を見たら、胃袋はラーメンライス程度ではもう収まらない。いつものラーメン屋の前をするりと通り越し、数軒となりの『なりこま家』へ。とにかく量をたっぷり、しかも安く食べたいなら、界隈でこの店に並ぶところはない。

 赤を基調にした派手な店頭には、定食やカレーに丼物などメニューがバンバン張り出され、外観からして迫力が感じられる。店内に入ったとたん肉の焼ける音とともに、香ばしい匂いが漂ってくるのが実にいい。中は厨房を囲むようにカウンターがぐるりと配置され、チェーンの牛丼屋に似た感じ。どこかうらぶれたムードで、何だか場末のドライブインのような雰囲気でもある。お客はサラリーマンや学生が中心で、中には工事現場の作業員や警備員の姿も。ほとんどがひとり客で、下を向き黙々と食べている後ろを通って、カウンターの奥の席へ落ち着いた。壁の張り出されたメニューに目をやると、「ボリュームあります」と書かれたカツカレーライス、「味と量で勝負」とあるカルビ焼肉定食など、これまた迫力ある添え書きがすきっ腹をなかなかそそってくれる。

 ところが目の前を運ばれていく料理はいずれも、添え書きの言葉をはるかに越えた内容に驚くばかりである。向かいの席のカルビ定食は、数枚の肉が折り重なるようにどっさり盛られ、隣の席の手作りメンチ&コロッケ定食は、丸々と分厚いコロッケがごろり。そして店自慢のハンバーグ定食には、牛肉100%の大きいのが何と3つものっている。量ばかりでなく、ハンバーグは「やきあがりまで10~15分かかります」とあるなど、味のほうも本格的。さらに驚くのは値段でどれも400~500円程度が中心、一番高いカルビ焼肉定食で700円という破格の安さだ。この店、実は経営主が精肉卸加工業者で、その利点を生かした量と値段が看板という訳なのである。

 たっぷりの定食メニューもいいが、空腹にガツガツいくなら丼物がいちばんだ。ここは店の看板メニュー「カルビ丼」で決まりである。480円という安さにさらにプラス100円の大盛りにしたら、丼から盛り上がりこぼれそうなほどに大盛りの肉、さらにサラダもたっぷりなのがありがたい。戦いを挑むように、丼めがけていざ突撃。肉は牛丼のよりずっと厚く、ふわり柔らかいところや歯ごたえがあるところ、厚手のに細切れと様々なのが精肉加工店直営風か。その分食感が多彩で、ああ肉を食っているという満足感があふれてくる。甘めのタレが肉によく染みガンガンかき込めるウマさ、おかげでたっぷりの飯もじゃんじゃん減っていく。

 半分ほど食べてから卓の上のソースをたっぷりかけ、牛丼風に? 七味もかけてさらにガシガシ。ほかの客と同様に、物も言わずわき目も振らず、ひたすら肉と飯をかき込み続ける。ちょっと前にお茶漬けでこんなCMがあった気がするが、極めつけの空腹を埋める時は本能むき出し、欲望のおもむくままといった感じになるのだろうか。おかげで丼が空になる頃にはお腹も心もすっかり満たされ、気分良く店を後にする。駅近くの吉野家の前を通ると、「すき焼き定食」のポスターを発見。最近の吉野家の人気メニューで、さっきのカルビ丼と同じ値段だが、迫力と破壊力は断然勝負あり、である。(2005年12月20日食記)