ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ドルフィンのカレー@根岸

2018年05月26日 | 町で見つけた食メモ
根岸の「ドルフィン」、森林公園前の急登の途中にあるからか、横浜の人でも意外と行ったことがない人が多いようだ。静かなレストラン、ソーダ水の中を通る貨物船、晴れた午後には遠く三浦岬がみえる云々、かの歌の歌詞通りの世界観は変わらずに残っている。

いつもは魚のコースランチを頼むところ、選んだカレーもなかなかで、スパイシーでゴロゴロの肉も柔らか。ルウがあの器で別添えなのは久々で、グレイビーボートの縁をLPG船が沿って行く、では歌詞には字余りか?

根岸てくてくさんぽ2

2018年05月26日 | てくてくさんぽ・取材紀行
根岸さんぽで訪れた「横浜市電保存館」は、滝頭にあった元車庫を利用した展示施設。鉄道駅からバスに乗り継いで行かねばならず、交通系博物館にしてはアクセスがよろしくない方だ。そのため自身も長年市内に住みながら、これで2度目の訪問である。

展示されている車両は、横浜らしくハイカラなデザインがおしゃれ。今もみなとみらいや山下公園や洋館群を走っていたら、なかなかサマになりそうだ。ヨーロッパの古い都市では、路面電車が景観の一部として保存され続けていると聞いた。日本では昭和30〜40年代のモータリゼーションで排除されてしまったが、この先のまちづくりの一環として見直されても良いのではなかろうか。

この展示館、横浜の町の歴史展示もなかなか分かりやすく、埋め立ての変遷や路面電車網の盛衰など、町の重心の経年変化が興味深い。このあたりもアピールすれば、交通史好き以外にも広く訴求できそうに思える。

【横浜グルメ・おさんぽ会】根岸編

2018年05月26日 | おさんぽ講座・介護レクの記録
根岸〜磯子は市街中心部からはやや郊外にあたり、根岸湾岸に連なるコンビナートのエリアとしてのイメージが強いだろう。かつては海苔の養殖が盛んで、屏風ヶ浦や杉田は横浜中心部から路面電車で海水浴に訪れる、行楽の場であった。現在もそんな庶民的なハマらしさ、港や異国情緒でないミナトヨコハマなど、多彩な生活感が錯綜するエリアでもある。

なので散策も、いきなり庶民派のマーケットから。丸山市場は昭和26年開業の日用品市場で、薄暗いシャッター通りの中に10ほどの店舗が今も営業している。見どころは美空ひばりの生家である鮮魚店で、現在も親族にあたる方が営んでいるという。店頭に演歌歌手のポスターが数枚貼られているほかは、ガラスケースの奥で仕込みをしている様子が覗ける程度。知らなければ気がつかない普段通りさが、かえって印象を強くする。

根岸の市街地は、根岸競馬場や元米軍住宅が広がる海食崖の丘上部と、遠浅の海を埋め立てた海沿いの低地とに分かれる。低地の真ん中を流れる掘割川は、明治7年につくられた人口河川。中村川を経て横浜港と根岸湾を結び、人の移動ほか沿岸に集積していたドックやレンガ工場、瓶工場の物流を担っていた。坂下橋から護岸を見ると、ところどころに当時の石積みが残っているのが分かる。河口には昭和15年、大日本航空のパラオ航路に就航していた飛行艇の空港が、設置されていたこともあるとか。

堀割川を渡り、空襲対策で建物疎開させてつくられた広い目抜き通り・疎開道路を過ぎると、根岸の丘の麓へととりつく。斜面沿いは風致地区に指定され、山麓には和洋の邸宅や寺社仏閣が点在。そのひとつ・柳下邸は、明治〜大正期に根岸で銅と鉄の引き取り商を営んでいた柳下氏の邸宅だ。この時代の邸宅に多い和館と洋館の融合で、織り上げ天井の五右衛門風呂、厚い扉の蔵、大振りのカーテン付き洋窓の客間など、建物が中庭を囲みコの字に並ぶ。この建物、横浜を舞台にしたアニメ映画『コクリコ坂より』のモデルとの説があり、聖地巡礼のファンの姿も絶えない。

根岸八幡神社の裏手から、いよいよ根岸の丘への登りにかかる。斜面の森は「根岸旧海岸の森」と名付けられ、神奈川の美林50選にも選ばれている。九十九折の石段をゆっくり登ると、スダジイ、タブノキ、ヤブツバキ、ソテツといった南方系の樹々の間から、いままで歩いてきた市街が臨める。この崖がかつての海岸線だから、見える眺めはずっと海の中だったのが実感できる。

登り終えたら日本初の競馬場・根岸森林公園へ向かう予定が、結構歩いたのでおさんぽはこれにて終了。ユーミンの「海を見ていた午後」の舞台・根岸の「ドルフィン」のランチにてお開きとした。昭和の歌姫の生家たる商店街でスタートしたハマの下町さんぽ、JPOPの女王ゆかりの静かなレストランにて締めくくりである。