明日は年次休暇を取りました。
明日一日休んで、12月24日の午後半日休んで、今年の年次休暇は完全消化の予定です。
年次休暇は一年間に20日間。
精神障害発症前は、完全消化できた年はありませんでした。
しかし精神障害から立ち直って復帰して丸6年が経とうとしていますが、毎年、完全消化しています。
発病前と後で、一種の人間革命を起こしたというか、仕事はきちんとやりますが、それは生きる糧を得るためだけのものであり、人生にとって重要ではないと思い知ったのです。
発病前から仕事熱心だったわけではありませんが、休みの日でも、いつもなんとなく仕事のことが気になって心が晴れない感じでした。
それが今、職場を一歩離れればケセラセラ。
どうなろうと知ったことかってなもんで、全然気に病むことがありません。
健康になったというより開き直った感じです。
どうしても嫌なら退職してしまえば良いことですが、40代半ばでの転職はほぼ不可能でしょうし、成功しても給料が下がったうえに慣れない仕事でしんどい思いをするだけでしょう。
それなら気の持ちようを変えること。
なかなかそれが出来ませんでしたが、この2年ばかりはそんな風で、ずいぶん気楽になりました。
もちろん、多少の気分の波はありますが、それは健常者にもある当たり前のことでしょう。
もしかしたら、今私は、追い求めていたお気楽な境地に到達したのかもしれません。
その境地にずっといられるかどうかは不明ではありますが。
メールだのSNSだのといった手段が発達してきましたが、恋の告白をするのに、昔懐かしい恋文という手段は、廃れてしまったのでしょうか?
愛だの恋だのといった艶っぽい話を失って久しい私には、近頃の事情が分かりません。
しかし少なくとも、私が若い時分には、まだ恋文は、重要な告白の手段であったように思います。
古語では、艶書(えんしょ又はえんじょ)とも呼んだ恋文。
ラブレターと言ったほうが通りが良いかもしれませんね。
わが国の浪漫文学の奇才、泉鏡花の掌編に、「艶書」という小説があります。
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艶書 |
泉 鏡花 | |
メーカー情報なし |
泉鏡花らしい、流麗な文体と、テンポの良い会話が特徴の、幻想的な作品です。
ある病院に夫の見舞いに行くご婦人。
その美しさに見惚れたお見舞い帰りの男が声をかけます。
病院の近くに狂人がいて、むやみに石を投げる、と警告するのです。
ここから、男女の間に不思議な会話が交わされます。
男がある人妻からの艶書を紛失し、困っていたところ、ご婦人がそれを拾ったというのです。
中身を見たかどうかを気にする男。
女は最初しらばっくれていますが、ほどなくして涼しい顔で「拝見しましたよ」と応えます。
それを聞いてもだえる男。
それを見られれば、先方のご婦人の破滅は必定だと言うのです。
しかし女は、なんでもないことだと、答えます。
女が見舞いのために誂えた花籠、これは道すがら青山墓地に供えられていた花から見繕って失敬してきたもですから、という不思議な言い訳をします。
女が夫へどういう思いを抱いていたかは、その言い訳で知られます。
墓地の花を夫の見舞いに持っていこうとする美しい女と、人妻からの艶書の紛失が怖ろしい男。
男は艶書を破り捨てれば一片が人の目に触れ、火にくべれば怖ろしい火焔となるに違いないと、その処分に困っていたのです。
そして突然訪れる狂人の死。
これらの不思議なパズルのピースを組み合わせると、世にも怖ろしく、不思議な掌編が出来上がるというわけです。
かくのごとき作品が書かれなければならなかったのは、怪異と美を称揚した泉鏡花という作家の魂が昇華したものであることは論を待ちません。
しかしそれには、一人の作家の魂の問題で片付けるには、いささか複雑な事情があろうかと思います。
泉鏡花は独特のロマンチシズムが高く評価されながらも、存命中に早くも時代遅れの文学と見なされるようになったと聞きます。
おそらくプロレタリア文学だの私小説だのといった貧乏たらしいものがもてはやされるに及び、キンキラキンの作品が逆にい古く思えたのでしょうね。
悲しいことに。
しかし、同時代の作家、中島敦は、あるエッセイで、
今時の女学生諸君の中に、鏡花の作品なぞを読んでいる人は殆んどないであろうと思われる。又、もし、そんな人がいた所で、そういう人はきっと今更鏡花でもあるまいと言うに違いない。にもかかわらず、私がここで大威張りで言いたいのは、日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである。
と、泉鏡花の価値を再認識しています。
そして今、私のような浪漫的傾向の強い文学愛好家は、泉鏡花こそ、近代の耽美主義文学の先駆者として、これを偏愛しているのです。
雨の日曜日。
午後のひと時をDVD鑑賞で過ごしました。
観たのはスペインのゾンビ・パニックシリーズ「レック」の完結編、「レック4 ワールドエンド」です。
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REC/レック4 ワールドエンド [DVD] |
マニュエラ・ヴェラスコ,パコ・マンザネド,エクトル・コロメ,イスマエル・フリツチ,クリスプロ・カベサス | |
Happinet(SB)(D) |
「レック」で消防士の活動 を取材するテレビの取材班が、出動したアパートでゾンビ・ウィルスの発生にあい、アパートは外から軍によって隔離され、逃げるに逃げられない、怖ろしい状況を活写した佳品でした。
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スマイルBEST REC/レック [DVD] |
マニュエラ・ヴェラスコ,フェラン・テラッツァ,ホルヘ・ヤマン,カルロス・ラサルテ,パブロ・ロッソ | |
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「レック2」はその正統的な続編ですが、悪魔とかが出てきちゃって、そもそもゾンビ・ウィルスと悪魔と何の関係があるのじゃ、と白けました。
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スマイルBEST REC/レック 2 [DVD] |
ジョナサン・メイヨール,オスカル・サンチェス・サフラ,マニュエラ・ヴェラスコ | |
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「レック3」は番外編とでもいうべき作品でアパートでゾンビ・ウィルスが発生したのと同時期に、ある結婚式場でも発生し、花嫁が血まみれになりながら自分と新郎の幸せを守ろうと死闘を繰り広げるアクション作品に仕上がっており、不思議な愛の賛歌になっており、それはそれで見応えがありましたね。
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REC/レック3 ジェネシス スペシャル・プライス [DVD] |
クララ:レティシア・ドレラ,コルド:ディエゴ・マルティン | |
Happinet(SB)(D) |
今回の「レック4 ワールド・エンド」また正統的な続編に戻り、洋上の、客船のように巨大な漁船という完全に隔離された舞台を背景に、ゾンビウィルスの特効薬を作ろうとしながら、ウィルスを制御できず、船に乗り込んだ兵隊や研究者、船乗りたちが続々とゾンビ・ウィルスに感染していくお話ですが、核となるのは、第1作のただ独りの生き残りである若い女の血液から特効薬を作ろうとしつつ失敗し、失敗した場合には自爆装置を起動させて全員海の藻屑と消えなければならないという緊迫した状況を背景に、生き残りの女と研究者たちが闘いを繰り広げるという複雑なシチュエーション。
しかも終盤にいたって、若い女は抗体を持っておらず、同じく第1作で彼女を救出した軍人がそれを持っていることが判明。
それが判明したときの女と軍人の豹変ぶりが見事です。
スペインは伝統的にホラーやサスペンスが強いようで、はずれが少なく、今回もなかなかの出来と見ました。
なぜか非正規のおねぃさんたちに涙ながらの愚痴を次々聞かされ、ついでにお酌もされたせいです。
今日は少し散歩したほかは、のんびり過ごしました。
やれやれ。
今日の首都圏は馬鹿陽気。
千葉市は22度まで気温が上がるそうです。
そんな中、今夜は職場の忘年会があります。
忘年会の晩があんまり暖かいというのは気分が出ませんが、寒いよりは良いでしょう。
私が就職した24年前は、毎晩のように職場の人たちと飲みに行っていたものですが、時代は変わり、今は忘年会と歓迎会、送別会くらいしか飲みにいくことはありません。
飲食店はバタバタ潰れ、タクシー会社も青息吐息。
いわゆる官官接待はほぼ壊滅状態です。
ドライで良いと言えば良いですが、私が古い人間なのか、月に1~2回くらい、酒を飲んで親睦を深めることは、仕事の能率を上げるのに役立つような気がします。
メイヨーの「人間関係論」ですな。
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メイヨー=レスリスバーガー: 人間関係論 (経営学史叢書) |
経営学史学会 | |
文眞堂 |
メイヨーが、人間関係が良好な職場のほうが業務能率が高いという研究結果を発表した時、西洋の人々は腰を抜かさんばかりに驚いたそうですね。
日本人にとっては当たり前過ぎて、なんでそんなこと研究するのか不思議な気がしますが。
日本人にとっては常識であったことから、人間関係論を聞いたときには白けた気分になったことを思い出します。
少々面倒くさくはありますが、浮世の義理ですから、せいぜい楽しむことといたしましょう。
早いもので師走ももう10日。
今年も残りわずかとなりました。
明日は職場の忘年会。
そんなくだらないことを一つ一つこなしながら、月日は流れていくのですねえ。
風吹て 白き師走の 月夜哉
正岡子規の句です。
師走の慌ただしさとともに、冬の美がうまく詠みこまれていて、私が好む句です。
熱燗が旨い季節でもあります。
今宵、熱燗をちびちびやりながら、白き師走の夜を楽しむといたしましょう。
昭和16年の今日、旧日本軍はマレー半島に上陸して英軍を撃滅するとともに、真珠湾を奇襲攻撃して米太平洋艦隊に壊滅的打撃を与え、ここに太平洋戦争が勃発しました。
大東亜戦争と呼ぶ人も数多くいますが、東アジアのみならず、主戦場はアジア・太平洋であったことからアジア太平洋戦争と呼ぶ人もいます。
前者は右寄りの人が、後者は左寄りの人が好んで使いますね。
私は現在最も多くのメディアが使用する一般的な言葉である太平洋戦争を使いたいと思います。
この戦争でわが国は大打撃を受け、ほぼ壊滅状態になって無条件降伏するという屈辱を味あわされました。
しかしこの戦争をきっかけに、アジアやアフリカなどの国々は次々に独立を果たし、結局最も多くの利益を失ったのは、大英帝国をはじめとする古くからの帝国主義列強であり、わが国は有色人種の解放という目標を達成してしまったことになります。
それが意図しなかったことだとしても。
皮肉なものですねぇ。
それなのに数年前、サッチャーは植民地支配を指して、「我々は多くの未開の地に文明の光を与えた」なんて、面白い演説をぶっこいてくれちゃいました。
ブラックジョークですか?
それなら安倍総理は、「我々は多くの植民地の人々に独立のきっかけを与えた」とぶちかましても間違いではありますまい。
でも日本人がそれを言ったら大変な騒ぎになるでしょうね。
敗戦国の哀しさです。
だから言わなくてよろしい。
近現代史のなかで、この開戦の日ほど重要な意味を持つ日は他にありますまい。
敗戦の日よりも、わが国の在り方を変えるきっかけになった日です。
私たちは、大日本帝國が軍国主義の悪魔であったから戦争が起こり、敗れたのだなどという、思考停止のような考えに陥ってはいけないと思います。
それは国を誤る道でしょう。
当時、列強はそれぞれブロック経済を形成し、満州国建国などの無法を働いたわが国に経済制裁を与え、追い詰められたわが国が窮鼠猫を噛むの心境で戦争に突入していった過程を冷静に分析し、将来に渡って諸外国との円満な関係を維持しつつ、言うべきことは言うという態度を涵養するとともに、他国が簡単には手出しできない防衛力を構築せねばなりますまい。
歴史は勝者に都合の良いように描かれます。
わが国は常に勝者の立場にいられるよう努力しなければなりません。
現在、わが国は韓国や中国と必ずしも良好な関係にあるとは言えません。
しかし、少なくとも韓国に関してはあまり気にすることは無いと思います。
韓国とは米国を介した準軍事同盟国ですし、彼らは謝ろうが何しようがわが国にぎゃあぎゃあ文句をつけるので、放っておけば済むことです。
怖ろしいのは中国ですね。
中国の反日は意識的に作り出したもので、日中友好条約を結ぶ頃は、かの国はわが国に難癖をつけることはありませんでした。
戦略上必要と判断すれば反日にも親日にもなる異形の大国。
よほど気を付けなければなりません。
12月8日という日が持つ意味を静かに考えつつ、恒久平和への長い道のりを歩きださなければなりません。
昨日は自宅で読書などして静かに過ごしました。
読んだのは、篠田節子の小説、「聖域」です。
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聖域 (集英社文庫) |
篠田 節子 | |
集英社 |
これは、小説内小説である「聖域」という作品をめぐる物語です。
文芸雑誌の編集者、実藤は、退職した先輩の机の引き出しから、大部の、しかし未完の原稿を発見します。
それを読んだ実藤は、力強く、幻想的な、平安時代の天台宗の僧侶が東北の邪神に苦しめられながらこれらと対決する物語に深く心奪われます。
実藤は作者である水名川泉と面識のあった先輩編集者や老作家のもとを訪れ、作者の居所を突き止め、小説を完成させようと決意します。
しかし、水名川泉と関わりを持った者は、あるいは悲惨な末路を遂げ、あるいは心に深い闇を抱えており、みな一様に関わり合いになるな、と警告します。
それでも諦めきれない実藤は、物語の後半、ついに東北で巫女となっている作者に巡り合うことができるのです。
巡り合ってからがまた大変です。
この世とあの世の橋渡しをする宿命を持った作者は、続きを書くことを拒否。
それかあらぬか、最近事故死した実藤の恋人をあの世から呼び寄せてしまいます。
それがため、恋人との甘い記憶に溺れ、小説を書かせるためというより甘い記憶を何度でも味わいたくて水名川泉の元に通うようになる実藤。
この世とあの世の境目とは何か?
そもそもあの世は存在するのか?
単に甘い記憶を鮮明に蘇らせているだけではないのか?
東北の邪神とはそもそも邪しまなものなのか?
神々の領域とこの世との関係が深く描きこまれます。
答えが出ないまま、しかし小説は完成し、その原稿を持って実藤は出版社を退職してしまいます。
実藤は小説を出版する意思があるのか、あるいは自分だけの宝物として手元に置いていくつもりなのか、作者はその後どうしたのか、何も分からないまま、物語は終わります。
哲学的かつ幻想的な物語で、惹きつけられました。
その読後感は、気持ちの良いものではありませんでしたが、小説の持つ力というものを思い知らされた気分です。
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2日間、ブログ更新をおさぼってしまいました。
金曜日は朝から夕方まで八重洲の貸し会議室で会議。
その後打ち上げと言いますか、夜中まで痛飲してしまいました。
昨日は二日酔いの頭を抱えながら眼科で視野検査。
とりあえず緑内障は進行していませんでした。
昼はあわてて蕎麦をかきこんで、山武市へ。
コミュニティ・ラジオ、FMさんむに出演するためです。
今回は地元アーティスト、藤崎仁道さんと共演しました。
ユーチューブで配信されましたので、下に貼っておきます。
終ってから慌てて精神科へ行きました。
この一年、精神状態はきわめて良いので、雑談程度ですが、月に一度は診察を受けて薬を貰わないといけませんから。
今日は少しのんびりしたいものです。
私は待つことと坂道を上ることが大嫌い。
もちろん階段を上がることも大嫌いです。
従って、登山が趣味なんて、マゾヒストとしか思えません。
その私が、学生の頃、山岳信仰に興味を持ち、恐山や月山、大峰山のふもとまで、バスで登れるところまで行き、登山者向けの宿に泊まって麓から霊力を得ようとしたことがあります。
平地にある寺院でも通常、「○○山××寺」のように、山を名乗るのが通例です。
インドで言う須弥山など、仏教にも山岳信仰的な要素が残っています。
役小角が始めたとされる修験道、山岳信仰と仏教、とくに密教とが融合した、不思議な宗教というか儀礼ですが、もともと山がちの国土で、我がくにびとが、恵みを与えてくれるとともに時にはひどい災厄をもたらすお山を畏れ敬ったのは謂わば当たり前とも言えるでしょう。
その昔は、サンカと呼ばれる山の民がいたそうです。
定住せず、山や山里を移動して暮らす人々で、被差別民とも盗賊とも言われ、未だに明確な定義は無いとか。
昭和30年以降、ほぼサンカは姿を消し、定住するようになったと言われます。
そういうわけで、私は登山をしたことがなく、今後もする気はありませんが、山への畏怖を抱き続けた人々の精神性には深い興味を持っています。
従って、エベレストをはじめとして、地元の人々が霊山として敬い、登ることを禁忌としてきた山に登る登山者に、不快感を抱いています。
お山はスポーツの場ではなく、多くが信仰の場なわけですから。
1970年代に、その名も「ホーリーマウンテン」というタイトルの映画が製作されました。
私の知る限り、最もカルト色の強い、性的で狂的で、すこぶる面白い映画です。
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アレハンドロ・ホドロフスキー,ホラシオ・サリナス,ラモナ・サンダース,アリエル・ドンバール,ホアン・フェラーラ | |
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しかし人によっては、その強烈さに吐き気を催すかもしれません。
9人の賢者が住むという聖山で錬金術の力を得ようとする男の物語ですが、物語がどうこうというよりも、映像の強烈さに圧倒されます。
聖山を描いてグロテスクとも言える強烈な映像が製作されなければならない所以のものは、そこにこそお山に対する人々の意識の根底があるからであるように思います。
私は生涯を平べったい関東平野の首都圏に住みながら、はるか霊山に思いを馳せる、怠け者に過ぎないのです。
そんな私に、霊山がその霊性を見せる瞬間など、到底あり得ないのでしょうねぇ。
永遠の片思いを続けなければならないようです。
今日は休暇を取りました。
年に20日間ある年休ですが、残したら今年いっぱいで消滅してしまいます。
で、今月は休暇取得強化月間というわけ。
千葉市郊外のシネコンに映画を観に行きました。
Jホラーの名匠、中田秀夫監督の「劇場霊」を観て来ました。
20年前、「女優霊」という佳品でメジャーデビューした監督が新たに挑む製作現場での恐怖。
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女優霊 [DVD] |
柳ユーレイ,白鳥靖代,石橋けい,大杉 漣,根岸季衣 | |
バンダイビジュアル |
「女優霊」は映画の撮影現場で起こる怪奇現象がメインでしたが、「劇場霊」は芝居。
「劇場霊」は、ハンガリーに実在した伯爵夫人で、若い女の生き血を飲んだり、生き血の風呂に入ったりすれば、永遠の若さが保てると信じ、領民のなかから若い女をさらっては殺したエリザベートを主人公にした芝居の稽古が繰り広げられる中、劇中に登場する永遠の美貌の象徴である生き人形が、重要な役割を果たします。
生き人形は、若い出演者の生気を吸い取ってしだいに人間化して、最終的には生きた人間になることを望みます。
若くして亡くなった自分の娘を模った人形作家が作った人形で、これが今回のダーク・ヒロインということになります。
永遠の若さを求めて殺人を繰り返したエリザベートと、永遠の美を捨てて生きる人間になることを望んだ人形の対比がなんとも哀切です。
「女優霊」、その後の大ヒット作「リング」くらいまでは中田監督の演出は抑え目ですが、「クロユリ団地」、「劇場霊」と、だんだん演出過剰気味になってきたように感じます。
それでも、滑稽にならず、しっかりと怖くて美しい映画を撮るのは見事と言う他ありません。
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前田敦子,成宮寛貴,勝村政信,田中泰生,高橋昌也 | |
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鈴木光司,高橋洋 | |
角川映画 |
平日の朝一番で観に行ったのですが、到着が遅れ、予告編が始まっていたため、劇場は真っ暗。
映画が終って明るくなったとき、250人は入る大劇場に、客は私一人だけだったと気付いた時が一番怖かったですねぇ。
大劇場にたった一人で、劇場を舞台にした恐怖映画を観ていたのですから。
ほんとにぞっとしました。
ほとんど人間になりかかった生き人形が、主人公の少女に刺し殺され、出るはずの無い鮮血が噴出するシーンは出色の美しさでした。
怪物の哀しみを見た思いです。
美的で怖ろしい映画を平日に堪能できて、こんな幸せなことはありません。
水木しげる先生が93歳で逝去されました。
妖怪を題材にした漫画、戦争体験を元にした漫画、どれも印象深いものです。
私がこの人に深いシンパシーを感じるのは、かつて日本社会において実際に存在するものとされてきたこの世ならぬ存在への予感を、堂々と表明し、それを面白く描き出した点にこそあります。
第六感だか霊感だか、名前はどうでも構いませんが、私は、現在存在しないとされている何者かが、確かに在ると思っています。
それは日本に限らず、どこの社会においても、神話や怪談などで語り継がれてきたことで、それらが在るからこそ、人々はそれらの存在を近しいものと感じ続けてきたのであろうと思っています。
ただし、それらは恐怖すべき対象では無い、あるいは恐怖すべき存在はごくわずかでありましょう。
水木先生が描き出した妖怪の類も、どこかユーモラスで、人間と共生する存在とされており、おそらくはそれが実態に近いものと思われます。
また、芸術家などが感じるインスピレーションは摩訶不思議なもので、それこそまさに、この世ならぬ者との感応が生み出したものでしょう。
水木先生が示された、この世ならぬ者との親和性を、今こそ取戻し、もって人間を人間たらしめている所以のものを復活せしめねばなりません。