12月25日といえば、言わずと知れたクリスマス。
老いも若きも無邪気にこの異教の祭りを祝っています。
この日は、大正天皇が崩御せられた日でもあります。
戦前においては、先帝の崩御の日を休日とする慣例があったことから、12月25日は休日であり、戦前のわが国においてクリスマスが広がるきっかけになったとも言われます。
大正天皇といえば、病弱で暗愚な、脳病を患った天皇ということになっています。
大正期には、鉛が入った白粉を上流階級の者が愛用し、鉛の毒のために多くの皇族・華族が脳病に罹患し、幼くして命を落としたと言われます。
大正天皇も、白粉の被害者であったのでしょうか。
また、大正天皇はいわば押し込めのような形で政治の表舞台から隔離され、昭和陛下が20歳の若さで摂政宮にお就きあそばされ、政務を司ることになりました。
昭和陛下は、父帝について、後に記者会見で、皇太子時代は究めて快活にあらせられ極めて身軽に行啓あらせられしに、天皇即位後は万事窮屈にあらせられ(中略)ついに御病気とならせられたることまことに恐れ多きことなり、と評しています。
事実、明治大帝や昭和陛下が雲の上の人だったのに比較して、行啓や行幸啓の折りなどには、身分に関係なく気さくに庶民に声をかけ、またこっそり蕎麦屋などに出入りしていたそうで、今では考えられないことです。
大正天皇の自由で気さくな魂が、大正デモクラシーという時代の精神に影響を与えたであろうことは想像に難くありません。
大正デモクラシーの世には軍人の肩身が狭かったそうで、軍服で外出することを嫌がる将校がたくさんいたと聞きます。
今の世と似ていますね。
自衛官が私用なのに制服で外出するという話は聞いたことがありません。
それが昭和の御代になってほどなく、軍国主義の猛威が吹き荒れたことを思うと、大正デモクラシーこそは、戦前期のわが国に花開いた、自由な時期であったと言えるでしょう。
今、わが国には軍国主義や全体主義の傾向はほぼ皆無で、誰もが自由と民主主義を謳歌しています。
しかし、大正デモクラシーという花が、呆気なく軍靴で踏みにじられたことを思えば、私たちは現在の平和と自由を守るべく、覚悟して日々を送らなければなりません。
時代の空気は一夜にして変わるものであり、現在の平穏は保障されたものではないことを肝に銘じて。