今日は終戦記念日ですね。
今上陛下は近く退位あそばすので、戦没者慰霊の式典に臨席あそばされるのも今年が最後。
私の職場でも、正午に1分間の黙祷が捧げられました。
実際に戦闘を経験した軍人、兵士は、現在では90歳を超えていると思われます。
あと二十年もしたら、第二次大戦を戦った最後の兵士が亡くなった、なんていうニュースが流れることでしょう。
第一次対戦最後の兵士が亡くなったのは、2011年だったと記憶しています。
110歳くらい。
くらい、というのは、私の記憶が定かではないからです。
こうやって、どんなに凄惨な戦いも、自然災害も、人々の記憶からは消え去り、歴史上の出来事になっていくのですね。
戦争や災害に際して、記憶を風化させない、なんて、センチメンタルに大見得を切る人を時折見かけますが、それは無理筋というものです。
その人本人がいくら生涯かけてその悲惨さの語り部として活躍したとしても、後の世の人々は、毎日の生活に追われ、そんなこともあったのだなぁと、どうでも良いことになるであろうこと必定です。
なぜなら、過去の戦争や災害なんて、専門家の研究者くらいしか興味がないし、事実、「源平合戦(前九年の役でも関ヶ原でもなんでもよい)は悲惨だったから戦争は止めましょう」なんていう言説は聞いたことがありません。
これからは、第二次大戦に直接関わった人々がほぼいなくなるとともに、歴史研究の対象として、重要性を増すでしょうね。
それを経験した人々が大勢生きている時代には、聞き取り調査という貴重な手段がありながら、なかなか歴史研究の対象にはなりにくいものです。
100万人いれば100万とおりの経験があるわけで、それを全て聞いて記録に残すということは事実上不可能ですし、記憶が生々しいだけに、経験の個人差も大きいでしょう。
よくニュースなんかで、悲惨な経験を語り継いでいかなければならない、とか言いますが、それは無理なので、歴史研究によって、何が行われたのかを明らかにしていく作業をコツコツと進めていくことが肝要かと思います。
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