ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

刹那

2023年12月10日 | 思想・学問

 今朝は午前10時からかねて予約してあった歯医者に行きました。
 歯のクリーニングのためです。
 コロナ流行の間、全く歯医者に行っていなかったのですが、三か月前に歯のクリーニングを再開しました。
 これからは三か月に一度歯医者に通う予定です。

 昨日と同様によく晴れて師走とは思えない暖かさでしたが、今日は歯医者に行った以外は家でのんびり日向ぼっこなどしながらダラダラ過ごしました。

 人生暇つぶしという言説は時折耳にしますが、生まれてしまった以上死ぬまで生きなければならず、生きるということになんらの意味が無いのだとすればまさしく人は暇つぶしのみで人生を終えることになります。

 生きるということに価値を見出そうとしても、それは切ないことだと思います。
 出世欲が強くて出世したとしても、スポーツや芸術、学問の世界で成功したとしても、大金を稼いだとしてもそれはわずか70~80年、せいぜい100年のことです。
 訳も分からず生まれて、訳もわからず生きて、ただ死んでしまうのが人というものです。

 うつ状態の時、精神科医は私が自殺でもすると思ったのか、人間は生きているだけで価値がある、と言いました。
 その時、この医者は嘘をついていると思いました。
 そしてその思いは今も変わりません。

 また別の精神科医は人間はハッピー感を得るために生きている、と言いました。
 こちらは概ね正しいと感じました。
 ただしそれは刹那のことでしかありません。
 刹那が生じ、その刹那は一瞬にして終わり、また刹那が生まれる。
 その繰り返しこそ生命が辿る運命だと、お釈迦様は述べています。
 刹那滅などと呼ばれます。

 刹那の喜びを追求するしか生きる術が無いとは、考えるだけでも怖ろしいことです。
 50代も半ばを迎えようというのに、いつまで経っても青臭い小僧のように生きているのが悔しく感じます。


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