性分化疾患という病気があるそうですね。
生殖器が未発達だったり、精嚢と卵巣が両方体内にあり、外形的には未発達な膣があったり、60パターン以上の症状があるそうです。
性同一性障害とは違い、ジェンダー・アイデンティティで悩むことは稀だそうで、むしろ肉体的には曖昧でも、精神的には自分は男だとか、女だとかいう意識がはっきりしている例が多いそうです。
なかには結婚して数年たち、30歳を超えた主婦に精嚢があることが発見された、なんていうこともあると聞きます。
昔だったら半陰陽とかふたなりとか言われたのかもしれませんが、それほどはっきりと両性の性器が外形を整えていることはまずないそうです。
スポーツ選手なんかで、あれは女じゃないんじゃないか、なんていう疑惑が持ち上がることがありますが、おそらくは性分化疾患なんじゃないでしょうかね。
そういう場合は、その人のジェンダー・アイデンティティを尊重するしかないでしょうねぇ。
性同一性障害にいたっては、肉体的には完全な男や女を、その人のジェンダー・アイデンティティに合わせて手術までして肉体の性を心の性に合わせてしまうんですからねぇ。
強引というか、なんでもありというか。
それで心底救われる患者がいるんでしょうから結構なことですが、そこまでするか、と思ってしまうのは、私の性が肉体的にも精神的にもオスであって、そこに自分自身も、他人も疑いをはさむ余地がないからでしょうねぇ。
世の中は多様なもので、自由民主主義の神髄は、様々な価値観や多様性を認め、極論すると自由民主主義そのものを否定するような主義主張(暴力によるものを除く)をも尊重しなければならないところにありましょう。
これはなかなか大したものです。
大抵は自分と違う価値観や文化を持った人々を否定したくなるものです。
その上自分たちを否定する者の考え方まで認めるというのは驚愕の事態です。
性分化疾患にせよ性同一性障害にせよ、誤解されやすい疾患だと思います。
そんなときこそ、わが国が戦後一貫して守ってきた自由民主主義の神髄を思い出し、それら障害を持つ人々の声に耳を傾けなくてはなりますまい。
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