金曜の夜、小説を読んで過ごしました。
読んだのは桜井美奈の「幻想列車 上野駅18番線」です。
先般この作者の「私が先生を殺した」という上質なサスペンスを読んで気に入り、他の作品も読んでみようと手に取った1冊です。
内容は「私が先生を殺した」はサスペンス、「幻想列車 上野駅18番線」はファンタジーというか寓話というか、とにかくこの世の存在では無い者が登場します。
心に傷を持った者が上野駅の隅、人けの無いベンチに座っていると、不思議なことが起こります。
テオと呼ばれるぬいぐるみのように可愛らしい架空の生き物が、その外観からは不釣り合いな乱暴な口調で鍵を渡し、秘密のドアを開けるよう誘います。
ドアを開けるとレトロな一両編成の列車(一両で列車というのは変ですが)が止っています。
上野駅には存在しないはずの18番線
テオに促されるまま列車に乗ると深く真っ黒な瞳の車掌がにこやかに待っています。
この車掌、とんでもないくらいの美青年です。
そこで、誘われた者は不思議なことを聞かされます。
一つだけ、消したい記憶を消してあげる、というのです。
そして列車は記憶を消した後の近未来と消さなかった場合の近未来を見に発車するのです。
この物語では4人の登場人物が同じシチュエーションでそれぞれの記憶を消す旅が描かれ、連作短編集の体裁を取っています。
音楽家を目指し、目標のピアニストへの茨の道を進むか、安定を求めて教師になるかに悩む音大生。
彼は少年の頃小さな音楽祭で入賞した記憶を消せば音楽にさして興味を持たないで済んだのではないかと悩んでいます。
彼は記憶を消すのでしょうか。
事故で幼い息子を亡くし、さらに一年も経たずに愛しい妻まで病で亡くした男。
彼は息子の事故の記憶を無くしたいと思っています。
しかしそれは、妻との結婚をも忘れて、独身生活を続けてきた、という人生にならざるを得ません。
苦しい記憶とともに愛しい記憶までも無くしてしまうことを選ぶのか。
痴漢にあったことを忘れたい女。
幼い頃義父を突き飛ばし、頭をぶつけて亡くなったことを、自分が殺したと言って苦しみ続け、その記憶を消したいOL。
それぞれ心に闇を抱え、消してしまいたい記憶がありますが、それを消すと消したことに伴って良い記憶をも無くしてしまうという究極の選択を迫られます。
そしてエピローグにいたって、車掌こそ、50年以上前にすべての記憶を消してこの世の者ではなくなった当事者だということが示唆されるのです。
平易で読みやすい文章にそれぞれの主人公の葛藤が綴られます。
記憶とは何だろう。自分を作っているのは、記憶なのだろうか。
という登場人物のつぶやきは、記憶に拘束されざるを得ない人間の本性を突いていて秀逸です。
難を言えば平易であるがためにかえって子供っぽく感じられる文章でしょうか。