ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

人間である前に

2010年10月25日 | 社会・政治
 我々は人間である以前に日本人である。

 保田與重郎「述史新論」に見られる言葉です。

 何と重苦しい言葉でしょうか。

 私たちは、戦後教育のなかで○○である前に人間である、と教わってきました。
 私も今日の今日までそう思っていました。
 この言葉は今日の産経新聞の正論に紹介されていました。
 孫引きを承知で、ここに記事にします。

 この島国に生まれ育った人々は、否応なく日本人でしかなく、意識するしないに関わらず、長い日本の伝統を背負って生きています。
 日本語を話し、箸で飯を食い、味噌汁を飲んで、靴を脱いで家に上がり、ソファーがあっても床座りしてソファーの足の部分を背もたれにしてみたり。
 花鳥風月を愛で、何かと言うと酒を食らう。
 息の一つ一つが、人間である前に、日本人としての所作なのですね。
 これは逃れられない宿業とでも言うべきもの。
 
 それはどこの国、どの民族に生まれようと同じこと。
 自らが所属するコミュニティーが育んだ伝統から逃れることはできません。
 つまり、誰であっても、我々は人間である以前に○○人なのです。 
 
 保田與重郎というと、どんなイメージを持つでしょう。
 
 日本浪漫派の重鎮。戦後、著作のほとんどをGHQに焚書された反動右翼。または、伝統を重んじる純粋保守。
 
 こういったところでしょうか。
 
 私は日本浪漫派の古い文学者で終戦とともに終わった人、というイメージを持っていました。
 
 正論では、日本人という精神の堅固な岩盤を掘り当て、「保守の再生」を始めよう、と述べています。

 私は保守の再生ではなく、保守の新生ではないかと思います。
 再生だとしたら、過去のいずれかの時点の保守を再び蘇らせる意味にとれます。
 日本人の精神の堅固な岩盤を掘り当てたなら、そこから新たな伝統が始まりましょう。
 
 まずは特定の時代をあげつらって当時の日本人を貶めるような言動は慎み、いつの時代にも我がくにびとを日本人たらしめている核とでもいうべきものを見つめ、それを飲み干すことが肝要でしょう。

述史新論 (保田与重郎文庫)
保田 与重郎
新学社
保田與重郎文芸論集 (講談社文芸文庫)
川村 二郎
講談社
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