今日は12月8日。
1941(昭和16)年に日本軍が真珠湾に停泊していた米国艦隊を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった日です。
一般に敗戦のラジオ放送が流された8月15日のほうが戦没者慰霊の行事が行われ、よく知られていますが、始めなければ終わらないわけで、12月8日というのは重要な日です。
真珠湾攻撃で米国艦隊は壊滅的な打撃を受け、一時戦闘能力を喪失したと伝えられます。
しかし山本五十六連合艦隊司令長官は真珠湾に敵空母がおらず、したがって空母を叩くことが出来なかったことをもって、華々しい戦果を挙げた真珠湾攻撃を成功とは考えていなかったと伝えられます。
巨大戦艦と空母とどちらが強いか議論が分かれていた当時、山本指令長官は空母のほうが強いと考え、事実、開戦から程なくして、日本の空母群は航空機攻撃によって当時世界最強と謳われた英国の戦艦プリンス・オブ・ウェールズを呆気なく沈めてしまい、空母の優位性を証明しました。
それなのにわが国は武蔵だの大和だの、巨大戦艦を作っていたのです。
そんな暇と金があれば空母と軍用機を作れば良かったのにと、今になって思います。
ご承知のとおり、当初は大きな戦果を挙げてイケイケドンドンだった帝國陸海軍はその後負け続け、ついには1945(昭和20)年に無条件降伏することになります。
同盟国のイタリアもドイツもとっくに降参しており、最後の3か月くらいは世界中を敵にまわしてわが国だけで戦っていたのですから、勝ち目があろうはずもありません。
最後はソビエト連邦の不可侵条約破りのだまし討ちを以て、もはやここまでと、異例の御聖断を仰ぐことになりました。
あの時昭和陛下は耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世の為太平を開かむと欲すと述べ、降伏が決まりました。
素晴らしい判断です。
一部軍人による強硬意見を抑えたのは英断と言えるでしょう。
耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んで本土決戦を戦おうと言っても全然不思議では無い状況ですから。
結果的にインフラや命令系統の維持、植民地経営等、帝國は国家としての機能を維持したまま敗戦を迎えました。
占領軍は帝國が国家としての体を保っていたことに驚いたと伝えられます。
総統地下壕が落ちるまで徹底的に戦った第三帝国とは大きな違いで、連合国は日本の統治機構に乗っかることができて、占領はスムーズに進みました。
一度は滅びかけた帝國はその後民主主義の意匠をまとって再起を果たし、先進国の仲間入りを果たしたことはご承知のとおりです。
昭和陛下は昭和50年代に外国人記者から戦前と戦後で日本はどう変わりましたかと問われ、何も変わっていないと答えたそうです。
慧眼です。
大きな戦争に一度敗れただけでそう簡単に国民性が変わるはずもありません。
また、変わってはいけません。
太平洋戦争に敗れ、軍事的に米国の属国となったことは今思っても誠に残念ですが、少しづつ、軍事的独立に近づきつつあるように思います。
いずれ在日米軍は全てお帰りいただき、自国を自国の軍隊が守る真の独立国家になってほしいと願います。