ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

地球市民

2010年10月26日 | 社会・政治
 昨日アップした人間である前にを読み返して、存在がゆらいでしまうような社会状況に置かれた人々のことに思いが至らなかったことに気付き、少々反省しています。
 
 例えば日本生まれ日本育ちで日本語しか話せない在日韓国人。
 彼らは海外旅行をするときは大韓民国のパスポートを所持するわけですし、外国で国籍を問われれば韓国と言うのでしょう。
 住まいがある日本に帰るときは帰国ではなく再入国。
 幼い頃から朝鮮民族の伝統文化を教わっても、日本に生まれ育った在日韓国人と、朝鮮半島に生まれ育った韓国人では、異なることでしょう。
 日本に帰化する、という方法もありますが、なかなか踏ん切りがつかないように聞きます。

 また、バングラディシュのお年寄りは、生まれた時は英国領インドの臣民。その後インド独立に伴ってインド人。パキスタンの独立に伴ってパキスタンの飛び地であった東パキスタンに住むパキスタン人。そしてバングラディシュ独立によりバングラディシュ人になったわけです。
 一生同じ土地に住んでいるのに、しょっちゅう国籍が変わるというのはどういう気持ちなのでしょう。

 ロシアは、ロシア帝国からソヴィエト連邦になり、ロシアになりました。

 中国4000年と言いますが、秦・漢・晋・隋・唐・梁・宋・金・元・明・清・中華民国・中華人民共和国と、国の名前が変化しています。ここに書かなかった戦国時代や三国志の時代を含めると、複雑多岐に渡るでしょう。
 人口は漢民族が多数なのでしょうが、支配者は女真族やら蒙古民族やら満州族やら、異民族に支配された時代も相当長いですね。
 第二次大戦前には列強に虫食いにされ、その恨みか知りませんが、今は尖閣諸島や南沙諸島を我がものにせむと狙っています。

 民族固有の伝統や文化は変化しにくいものだとしても、世界の過酷なパワー・ポリティクスの前に、自らのアイデンティティーを確立できない人々というのは存在するようです。
 言わば、精神の漂流を続ける人々。

 しかしそうかと思えば、ユダヤ人のように、国を失ってから2000年もの間、世界中に散らばりながらも民族の独自性を維持し続け、ついにはイスラエル建国に至った例もあります。

 それでもなお、我々は人間である前に○○人である、という言説に、深い真実があるように、直感します。
 強く同質性を求める本能とでもいうべきものが、恐らく差別や紛争を生むのでしょうね。
 
 私は多分、猿より毛が三本多いだけの人間には、この意識を超えて地球市民を名乗るのは不可能なのではないかと思います。
 地球市民という言葉には、家を喪って彷徨うホームレスのような響きを感じます。
 空恐ろしくすら思います。

 結局のところ、それぞれの伝統を背負いながら、他の伝統を背負った人々と付き合っていくには、まず互いに理解し合うことは不可能である、という前提を共有することが必要であろうと思います。
 理解し合うことは不可能なのだから、よく分からないけど、自分たちとは違うんだな、と認めることが肝要です。
 違うからといっておのれ一人の正義を押しつけたら、紛争になってしまいます。
 違うのは当然として、利害の調整に努めることが、紛争や差別を克服する道であろうと思います。

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