ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

絶対悪?

2017年08月06日 | 社会・政治

 今日は広島に原爆が投下された日。
 朝、平和祈念式典がテレビで中継されていました。

 その中で、広島市長が原爆投下を「絶対悪」と表現していたのが印象に残りました。

 絶対悪なんて、この世に存在するはずもないのに。

 米国民からしてみたら、原爆投下によってわが国は本土決戦を回避し、ために米兵100万人の命が無駄にならずに済んだ、いわば正義の行為だというのが、多くの見方だと聞き及びます。

 立場が変われば見方も変わるし、価値観も同じではないですから、米国民がどう思おうとどうでもよいですが、「絶対悪」とはねぇ。

 公職にある広島市長はもう少し言葉を選ぶべきだったような気がします。

 原爆が多くの民間人を殺傷したことは事実で、それはおそらく戦争犯罪なのだろうと、私は思っています。
 非戦闘員を狙った大量虐殺ですから。

 しかしそれでも、私は「絶対悪」という表現に非常な違和感を覚えます。

 では東京大空襲は「絶対悪」でしょうか。

 諸説ありますが、日本軍による南京虐殺は?

 ナチによるホロコーストは?

 ベトナム戦争時のソンミ村虐殺は?

 カンボジアのキリング・フィールドは?

 レッド・チャイナの文化大革命は?

 欧米諸国によるアジア・アフリカの植民地支配は?

 比叡山焼き討ちは?

 いずれも愚かで残虐な行為ですが、「絶対悪」などではありますまい。

 最新の兵器を開発し、しかもそれが総力戦の真っ最中であれば、それを使うことを躊躇する国などありますまい。

 わが国も原爆完成まであと一歩のところまで行っていたと聞きます。

 わが国がそれを手にした時、米国本土に落とすだけの制海権、制空権は無かったでしょうから、米国本土には落とせなかったでしょうが、例えば日本本土に向けて爆撃機を飛ばす米軍基地が存在する島に投下しようと、必死の努力をしたであろうと推察します。


 「絶対悪」など、存在しません。
 強いて言えば、わが国にとっての悪は、わが国が敗れたことでしょう。
 
 72年前の悲惨な出来事を思い起こすとき、ただ悲惨さを強調し、センチメンタルになって思考停止に陥るのではなく、なぜ米英という巨大な敵を相手に戦うことになったのか、開戦を避ける道はなかったのか、開戦が避けられなかったのなら、なぜ敗れたのか、どうしたら勝利できたのか、勝利できないまでも有利な条件で講和に持ち込む方法はなかったのか、という戦略的な反省が求められると思います。

 マスコミは、もういい加減、思考停止としか思えないセンチメンタルな報道は止したらどうでしょうね。

 私は母が長崎で被爆した被爆2世ですが、毎年8月に繰り広げられるこの種の報道に嫌気が差しています。

 あんな番組ばかり垂れ流していたら、私が母や祖母から聞いた残酷な光景を語り継ごうなんていう気持ちにはなれません。


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