3月13日から政府の方針に従って、私の職場でもマスクの着用は個人の判断ということになりました。
それでもほぼ全員、マスクを着けています。
ほぼ、というのは、私が着用を止めたため、全員では無いからです。
すなわち私以外の全員がマスクを着用していたわけです。
コロナが怖くないからマスクを外したわけではありません。
私は天邪鬼なところがあって、大勢が行っていることの逆に走ってしまいがちです。
もしかしたら、多くの人がマスクの着用を止めたなら、私は着用していたかもしれません。
私は同調圧力がかかると、それに反発したくなります。
みんな一緒というのが大嫌いなのです。
そもそもみんなという 言葉が胸糞悪い。
みんなとは、誰と誰のことなのかと問いたくなります。
少なくとも私は、これまで一度も、みんななる気色の悪い集団に加わったことがなく、孤高を旨としてきました。
それがマスクを止めた唯一の理由と言っても過言ではありません。
わが国民は、多勢に流される傾向があります。
何かをやれと言う時、
米国人はヒーローになれますよ、
英国人は紳士と呼ばれますよ、
日本人はみなさんそうされていますよ、
と言うのが最も説得力がある、というジョークがあります。
愚かなことです。
他人の行動に合わせるなんて馬鹿げています。
おのれ独りを信じれば良いのです。
そのせいで、私は多くの上司から煙たがられ、クセモノと呼ばれるおじさん達に気に入られる傾向があります。
私はそれを誇りに思ってきました。
最近はそうでも無いですが、かつては付き合い残業というのがあって、それを率先して行う者が評価されていました。
馬鹿々々しい。
遅くまで帰らない合戦でもやりたいのでしょうか。
もちろん、やむを得ざる場合には、私も残業します。
しかし、上司が帰るまで残るとか、あるいは逆に非正規職員が帰らないから帰れない、なんていうことは一切ありません。
あまり日本的ではないのかもしれません。
わが国の古典文学や古典芸能を好む者としては、珍しいのでしょうね。
変人扱いされることもあります。
しかしわずかしかいない変人がこの世を良くしてきたのだと思います。
変人が築いた新たな常識に多くの人が真似をして、今度はその新たな常識が同調圧力になったりします。
私は生涯変人と言われ続けたいものだと思っています。
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