今日は読書をして過ごしました。
読んだのは佐藤亜紀の「吸血鬼」です。
吸血鬼とはいっても、ヴァンパイアが出てきて活躍するわけではありません。
1845年のポーランド。
その当時、ポーランドはオーストリア帝国の支配下にあります。
ポーランドの片田舎の村にオーストラリアの行政官が赴任します。
因習的で気味の悪い村です。
ここで続いて3件、不審死が起こります。
村民は動揺します。
村民の不安を鎮めるため、行政官は村に伝わる因習的な方法を採ることを決意。
それは棺を掘り起こし、遺体の首を切断するというもの。
行政官は当然そんな迷信を信じているわけではありません。
あくまで民心を安んじるための方便です。
時を同じくして、ポーランド全土でオーストリア帝国打倒のための反乱計画が密かに進められます。
この村の地主もこれに呼応するため、大量のライフルを調達して納屋の地下に隠します。
反乱と因習が結びついて、大きな事件を予感させます。
私はかつて、佐藤亜紀の小説を2冊だけ読んでいます。
日本の内乱を描いた「戦争の法」という作品がとにかく面白くて、続けて「バルタザールの遍歴」というのを読みました。
「戦争の法」は日本の話でしたが、「バルタザールの遍歴」はヨーロッパが舞台でした。
そうすると、当たり前ですが人物名も地名も横文字で、これが読みづらく、この作者の作品の多くがヨーロッパの歴史小説だと知り、その後読むことを止めてしまいましたが「吸血鬼」というタイトルに魅かれて久しぶりに読みました。
オーストリア帝国に支配されていたポーランドでは、オーストリア人がポーランド人を差別し、ポーランド人は少数派のウクライナ系住民を差別するという構図が出来上がっています。
さらには地主と農奴との関係などが描かれ、物語は重層的な趣を醸し出します。
「吸血鬼」というのは、ポーランド系やウクライナ系の農奴の血液を吸うがごとくに搾取する支配層を指しています。
石川淳を思わせるような精神上の暗闘が描かれます。
物語は非常に面白いものでしたが、やはり地名や人名がよく分からなくなるという読む上での困難を感じました。
精神の暗闘を描くことこそ、小説の醍醐味の一つです。
暗闘というのが大袈裟なら、精神の漂流と言っても良いかもしれません。
私も少年の頃から精神の漂流が始まり、50代半ばを迎えてなお、その漂流が終わることはありません。
この漂流が終わることは決して無く、それが人間というものなのだろうと思います。