ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

閨房哲学

2010年09月11日 | 思想・学問

 サド侯爵の作品は、文字通りサディズムに溢れており、ときにそれは滑稽なほどですが、話の合間に、登場人物たちによる長い哲学的な会話が交わされることを特徴とします。
 その特徴は、まずアンチ・キリスト、それに死後の不存在、さらに快楽至上主義、また人間の法より自然の掟、といったところでしょうか。

 「閨房哲学」はサド思想を知るうえでもっとも平易な作品ですが、そこで殺人を正当化する理屈が語られます。
 自然にとって、人間の命も動物や虫の命も等価値なはずで、人間が牛や豚を殺すのと殺人を犯すことは、どちらも残虐非道な犯罪か、あるいはどちらも取るに足らないことでしかない。人間は他の生物を殺害しなければならない宿命を負っており、牛や豚を殺すことは取るに足りないことだ。したがって殺人も取るに足りないことだ、というわけです。

 屁理屈みたいなものではありますが、幼児に「どうして人を殺しちゃいけないの?」と問われると、なかなかうまく答えられないのではないでしょうか。
 
 例えば絶対に捕まらないという保証があり、殺せば莫大な金が手に入る、という状況で、眠っている老い先短い老人を前に出刃包丁を持っていたとしたら、どうするでしょう。私は自信がありません。
 例えば自分が下っ端の兵隊で、大した理由もないのに上官から捕虜を殺せと命令され、逆らえば飯ももらえず、ひどく殴られるとしら、どうするでしょう。私は自信がありません。
 例えば回復の見込みなく、全身をチューブにつながれ、心臓だけは動いている老親から、生命を維持しているチューブを抜いてくれ、と懇願されたら、どうするでしょう。私は自信がありません。

 たくさん殺せば殺すほど英雄視され、王様になったり貴族になったりするのは、洋の東西を問わず、延々と続けられてきたことで、今も世界各地で行われています。
 かしこきあたりも、はるか昔に先祖が大虐殺をやったというに過ぎません。

 サド侯爵は肛姦の罪で投獄されますが、ときあたかもフランス革命。古い価値観を排し、新しい運動を起こすのは良いことだというわけで、サド侯爵は政治犯として釈放され、喝采をあびます。
 その後、過激な思想のゆえか、狂人として精神病院に入れられ、最期を迎えます。
 サド侯爵の作品はほとんど獄中で書かれており、監獄の中で考えは不気味に発酵していったものと思われます。
 なぜ殺してはいけないか、は、なぜ人は存在するか、くらい回答不能であると思います。
 ただ現代教育に洗脳されたせいか、殺人はおろかゴキブリですら、殺害することにためらいを覚えます。
 このためらうことが、サド侯爵が認めた自然の掟なのかもしれません。

サド侯爵の生涯 (中公文庫)
澁澤 龍彦
中央公論新社
閨房哲学
小西 茂也
一穂社



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