今日は晴れて気温もわりあい高かったようです。
世間ではお正月に初詣と称して神社仏閣にお参りするのが慣例となっていますね。
私も数年前まではお正月にお伊勢様の東京分社、東京大神宮に詣でるのを慣例としていました。
ところが昨今のパワー・スポットブームと、縁結びの神様ということで婚活中らしき女性グループが大挙して押し寄せるようになったため、混雑を嫌って初詣を断念していました。
しかし、大晦日なら空いているのではないかと思い立ち、ガラガラの首都高を飛ばして東京大神宮にお参りに行きました。
案の定空いてはいましたが、深夜に行われる初払えの儀式に出るためにやってきた人々がお昼前から並んでおり、驚きました。
彼らは境内には入らず、駐車場のあたりでじっとその時を待っていました。
気の長い人々です。
じつは平成10年、私は浮世の義理に従って、この神社で私の親戚と同居人の親戚を集めてくだらぬ儀式を執り行いました。
縁のある神社というわけです。
それかあらぬか、隣接するマツヤ・サロンという宴会場で、親戚に加えて友人や同僚・上司まで招いて宴会を開きました。
馬鹿馬鹿しい話です。
マツヤ・サロンのロビーに飾られた鏡餅です。
私は徹底的に和にこだわり、ケーキ・カットなどという南蛮・紅毛の人々の習慣を真似る気などさらさらなく、黒紋付できめて一斗樽の酒の鏡開きを行いました。
乾杯もシャンパンなどという舶来の酒を用いる気が起きず、全員一合枡で枡酒。
そのためだけに30万円もよけいに出費する羽目になりました。
なるほど、世間でケーキ・カットやシャンパンが多く用いられるのはコスト・カットのためであったかと、気付かされたしだいです。
宴会場も加賀前田家の大広間を移築した古式ゆかしい雰囲気です。
料理はもちろん、懐石。
儀式はもちろん、宴会も荘厳な雰囲気が漂い、緊張感すら感じました。
過ぎし日の馬鹿げた一日を回顧しつつ、東京大神宮で今年の詣で納めを行い、神社を後にしました。
その後、飯田橋駅を素通りして神楽坂あたりをぶらつきました。
この辺りはどことなく品がありながら飲食店も多く、住んでみたい町の一つです。
大晦日と言っても昔とは違い、普段とたいして変わりません。
これから天ぷらをつまみに一杯やって、年越しそばでも食うといたしましょうか。
末筆になりましたが、このブログをご愛読くださった皆様に本年の御礼を申し上げるとともに、新年が皆様にとって幸多い年となるようお祈り申し上げます。
また、来年も変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
いよいよ平成24年も大晦日を迎えました。
今年もとてつもなく長い日々でした。
世に10大ニュースなるものがもてはやされる日でもあります。
政権交代とか山中教授のノーベル賞受賞とか中国との尖閣問題とかが取り沙汰されていますが、私はおのれ一人の心中を安らかならしめる力さえ持たない愚か者ゆえ、世の中の出来事に対し、あえて大晦日にコメントする資格を持たないのです。
せめては個人的な出来事を少しばかり振り返ってみるとしますか。
今年、私にとって最も大きな出来事は、それはあまりに大きすぎて今も冷静に語ることが不可能なのですが、3月5日の父の死でしょうね。
一年前、73キロあった体重は、今朝量ったら51.4キロにまで落ちてしまいました。
風呂あがりなど、裸でビールをごくごく飲んでいると、同居人は私の裸体を見つめ、「ガンの人みたい」と嘆くのです。
やたらと寒がりになり、硬いベンチなどに座ると尾骶骨が直接あたる感じで痛みを覚えます。
このようなことが起ころうとは、父が亡くなった日には全く予想していませんでした。
しかし人間はどんな出来事でも忘れるようにできているはず。
父の存在やその死を完全に忘れる日が来るはずはありませんが、少なくとも悲しみは少しずつ小さくなっていくでしょう。
次は10月の担当替えでしょうか。
あり得ない失敗を繰り返し、部下の非正規雇用の女性職員と修復不可能なまでに関係性が悪化した前任者が担当していた仕事に深く関わる複数の教育研究職員からの強い要望で、私が引っ張り出されました。
逆に私が担当していた仕事に深く関わっていた研究教育職員はこれに抵抗し、綱引きのような状態になりましたが、ことここにいたってはやむを得ない、ということで、私は自ら担当替えを志願しました。
予想はしていましたが、スケジュールはタイトだは、イベントは多いは、規則は複雑だは、で、気楽だった仕事が一挙にしんどくなってしまいました。
しかしそれでも精神をやられることなく3ヶ月間を過ごすことができました。
来年のことは考えたくありませんが、まぁ、仕方ありません。
それと、NHKの番組に出たことですかねぇ。
かかりつけの処方箋薬局の薬剤師に「見ましたよ」と言われて穴があったら入りたいと思ったり、職場の人たちにも事前には知らせていなかったので、ずいぶん驚かれました。
長いこと音信普通だった友人から電話がかかってきたり、テレビというメディアはすざまじい威力を持っているのですね。
しかし別段不利益をこうむるようなことは無いので、まぁ、良かったかなと思っています。
思いつくのは以上の三つですかねぇ。
平凡に思える毎日であっても、子細に眺めれば様ざまな出来事が起こり、日々、それに対処しなければならないのが生活だということを実感します。
安心して暮らせる社会を実現しよう、なんて言う政治家がいますが、人類史上安心して暮らせる社会などいう絵に描いた餅のようなものが現出したことがあるんでしょうか。
それはユートピアとも言うべきもので、この世に現出することは、人間が人間である限りあり得ないでしょう。
人間に限らず、生物というものは根源的に不安を抱えているものです。
むしろ生きるとは不安なものだと肝に銘じ、綱渡りのようなその日その日を、誤魔化しながら生きていくより他、生きる術はありますまい。