私がイメージの練習のときに使う「透明」という言葉は、「有」と「無」の両方を持ち合わせている特別な言葉です。「透明」には色(物質的な手応え)がないから、「無」といえます。しかし「透明」という名前とそれにともなう意味(概念)があるから「有」ということもできます。要するに、「モノは無いけれども透明が有る」のです。
普段はモノが無ければ(不可視・不可触であれば)「無い」というだけで、「透明がある」とは考えません。しかし私は、積極的に「透明がある」と考える。「有」と「無」の両方を意識するのです。そうすると普段のカラダとは違って、「有」と「無」の両方を意識したカラダになるのです。