気を感じながら暮らす

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「透明を観る」・・①「わたし 透明」

2024-08-03 07:05:13 | 透明を観る
「透明を観る」では、三つのイメージをします(ココロの中で唱えます)。
  
  ①「わたし 透明」
  ②「あなた 透明」
  ③「すべて 透明」

 今回は①「わたし 透明」について解説します。
 ここでいう「わたし」には、肉体と意識(精神)のすべてが含まれます。意識の中には現在考えているものだけでなく、過去の経験や記憶、未来の計画や夢なども含まれます。そのような「わたし(自分)」を透明にするとはどういうことか。
 いうまでもなく私たちの「肉体」には色がついています。肌には肌の色、髪には髪の色。それを透明だと考えるのです(最初は透明人間だと考えると、イメージしやすいです)。普段私たちはいつでも何らかの意識をもっています。それを「透明」だとイメージする。「意識が透明」だというのは、たとえれば様々な意識の上に「透明」という無色の色を塗っていく感じです。気功ではその練功中に雑念を排除すると言いますが、それを上の例に当てはめれば、「色を抜く」感じです。ここでは「色を抜く」のではなくて、「透明(無色)を塗る」のです。「わたし 透明」とイメージするのはそのためです。
 もちろんそのようにイメージしようとしても、すぐにはできないかもしれません。それでもカラダは変わります。変化の程度に個人差がありますが、「透明を観る」ことによって変わります。このカラダの変化によって、今度は意識もまた普段のものと変わってきます。このココロとカラダの変化こそ、「透明を観る」意味(目的)なのです。

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