気を感じながら暮らす

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ラブレターはいつ書くのかではなく

2024-08-25 06:14:30 | 透明を観る
「夜にラブレターを書かない方が良い」というような話を聞いたことがあります。日中は理性が感情を抑制するが、夜は感情が出過ぎるということらしい。酒を飲むと感情が出やすくなるから、そういう感じと少し似ているのかも知れない。しかし感情が乗った方が、気持ちが相手に伝わるかも知れないし、受け手側が理性的な文章(人)よりも感情的な文章(人)を好むこともあるので、何とも言えません。

 ラブレターの成否も一大事には違いありませんが、もっと大事なことは「自分らしい状態で書かれたものなのかどうか」ということです。私の考える「自分らしい」とは、身心が一番整った状態です。そういう「自分らしい状態で書かれたもの」であれば、結果の如何に関係なく後悔はしないものです。人は環境によって自分らしくなれたり、なれなかったりします。親しい人やリラックスできる環境にいれば、比較的自分らしくいられます。職場や公共の場など第三者が多いところでは、多少なりとも緊張して、自分らしくというわけにはいかないかも知れません。苦手な人と一緒にいるときには、自分らしさを失うかも知れません。
  
 「理性的」なことと「自分らしい」ことは、現れ方は似ていますが、そこに至る過程が違います。「理性的」というのは、意識的な働きによるものです。常識や法律や経験などをもとに自分の行動を決めます。「自分らしい」というのは、そういうことを考えなくても、言動が常識の範囲内に収まります。それは身心が整っているから、そうなるのです。 

 常に「自分らしく」いるのは難しいかも知れませんが、ある程度「自分らしく」いるためには、自分を整える術を持っていれば可能です。私は「透明を観る」で、「自分らしさ」を保持しようとしています。
 
 最初の話に戻りますと、ラブレターはいつ書いても良いのです。問題は夜か日中かということではなく、自分らしくあるかないかということなのですから。

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