「白石君には構えがあるね」とある時、先生に言われた。
確かにそうだと思った。ここで言う構えとは、武道や野球のバッターが取る外形(姿勢)のことではなく、精神的なものだ。人と対峙するときに初めから準備する気持のことである。
そう言われても、私は構えを無くそうとは思わなかった。構えの不自然さを感じながらも、構えは自身そのものでもあり、たとえ無くそうと思っても出来なかっただろう。構えは意識しても外れるものではなく、一定のレベルに至らなければ外れないものだからだ。たとえば太極拳は、型を数限りなく繰り返すと、型を考えなくても動けるようになる。重心や腕の高さ、方向などを自由に変えるという応用も出来るようになる。
今でも私の構えが外れないのは、レベルが低いからだろう。しかしこの構えを外すには、単に何かを繰り返すだけではなく、発想(価値)の転換のようなものが必要だ。
「ただ立つ」練習を通して、どういう意識が身体に良いのか(自然なのか)を考えている。