何のために『気気』をするのか?それはわからない。わからないのが本当です。『何のため』というのはアタマの中だけの世界です。気気はアタマを超えているのだから、アタマ(言葉・文字)だけでそれを解釈することはできません。しかしアタマも含んでいるのだから、言葉でそれに近づこうとしても構いません。ヤヤッコシイ話ですが、気気を語るときに、そういう言葉の有限性を認識した上で、言葉を使うならば良いということです。
気持ちイイから気気をするのも良いし、健康のために気気をしても構いません。また新しく人と出会えるから気気をするのも良いし、自分らしくなれるから気気をするのも良いです。
大きな『わからない』の中に、小さな『わかる(言葉)』があります。