T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

葉室麟著『潮鳴り』を読み終えて! -4/6-

2013-12-26 17:09:22 | 読書

(13) 染子がお芳の他人に尽くす人間性を認める。

 染子が気鬱で倒れた。しかし、医師が精のつくものを食べさせなさいとのことで、お芳が作り千代が作ったことにして卵粥を食べさせ、10日ほどで回復した。

 床払いした夜、染子はお芳と千代を呼んで、粥はお芳が作ったのですね。何故、私の許しを得ずに粥を作ったのですか。武家の奉公人ならば主人の指図もなしに何かをなすことは許されませぬ。これからは、酌婦上がりだからといって容赦せずに私が厳しく躾けますよと言う。

 千代がお芳に、これからもっと叱られるのでしょうと言うと、お芳は、奥様は私が目障りなのかもと思うが、私は、あの襤褸蔵様が世の中に出て行こうとされて何事かを為そうとしていることが気になり見届けたいとのですと答え、どれほど厳しく辛くあたられても諦めないと自分に言い聞かせた。

(14) お芳の己を偽らぬ生き方に、染子もお芳を見直していく。

 翌日、お芳は、漆塗りの大小の器の手入れを申し付かり、ようやくに仕上げた後、植え込みの陰で胃の中のものを吐いた。その様子を染子に見られて、お芳は粗相をしたことを謝り、子供のときに漆にかぶれ、その匂いが苦手だったことも告げた。しかし、染子から、夕餉の後で聞きたいことがあると言われた。

 

 染子から身籠ったのではないかと疑われた。お芳は、決してさようなことはございません。信じてくださいと言っても、すぐに信じていただけれるものではないと思いますがと言い、次のような話をした。

 「さるお武家に弄ばれ、身を持ち崩し汚れた身ですので、奥様にどんなに蔑まれても仕方のない下賤な女です。だけど、わたしを弄び捨てたそのお武家は嘘ばかり言いましたので、嘘をつけばあの人と同じになってしまう。わたしは、あんな男と違うと思い、決して嘘は言わないと思い定めました。その時から、他に守ることが無い私は、嘘をつかないという一つのことだけを守って生きてきました。」

 宗平も千代も心からそう思いますと言う。

 染子は、「嘘をつかぬ女かどうかはわからぬが、嘘をつかぬとは、己を偽らぬと言うことです。それは大変良いことです。」と呟くように言って、自室に戻って行った。

 お芳は涙ながらに見送った。

(15) 新田開発方の下役の過去と、江戸への送金方法。

 櫂蔵は、陣内を除いた下役から話があると、小料理屋に誘われた。

 四郎兵衛が話をし始めた。

 我々は江戸詰めの勘定方にいたが、藩主の吉原通いの遊興に耽るなどの江戸屋敷の乱費で、藩の財政は窮乏をきたしたので、訴え出た。

 その訴えは僭上の沙汰だと切腹を命じられたが、江戸屋敷の用人格だった清左衛門の助命が通り、国許の新田開発方に戻された。そして、その新田開発方は名ばかりの組織で、藩主の費用として江戸屋敷への多額の送金を、藩主の実母の妙見院様の眼から逃れる為の送金機関の役を為していた。

 新五郎様は、貧困の村を救おうとして、明礬の輸入差し止めを願い出ようと小倉屋に掛け合って借銀した5千両はいつの間にか江戸送りになったと告げられ、殿と井形様によって責めを負わされ自害するはめとなったのだと。

 櫂蔵は清左衛門のはかりごとがはっきりと見えてくると憤りが募ってきた。

 その時、部屋の隅にいた咲庵が櫂蔵の了解を得て自分の考えを話し出した。

 「殿さまは、今、国許に戻られている。そんな時期に5千両を江戸に送る必要があるでしょうか。また、城下の大商人は播磨屋だけだけど、播磨屋は江戸には出店が無く両替商でないので、両替商を使って大金を為替や手形で送金するとしても、大阪の播磨屋の出店に金を送って、大阪の両替商を利用しなければならず、それでも、江戸の両替商と播磨屋の取引がないので、信用がなく、容易に換金できないし、間違いが起きやすいので大変なことです。そのため、送金する場合は、播磨屋の蔵から入用分だけその都度現金を送金されるのでしょう。別の見方をすれば、播磨屋にとって、5千両という大金が手元にあるというのは商売上大変うま味のあることですから、現金を容易く動かさないと思います。」と。

(16) 5千両の行方。

 四郎兵衛と権蔵、半兵衛がこっそりと5千両の行方を、勘定方の詰め所で調べると、5千両が播磨屋の手形に換えられたが、その後が不明だし、何故、今回に限って手形にしたのか分からないことだった。

 

 咲庵から、櫂蔵が最初に小倉屋に会った時、何を聞きだされたかの問いに、新五郎が唐明礬を国内に入れぬように、西国郡代を通じて幕府に願い出るつもりでいたことを告げられた。もう一つは、新五郎には力を貸すつもりいたが、あなた(櫂蔵)には力を貸すつもりはないと言われたと言った。

 咲庵は、そのような場合、然るべき手いわゆる賄賂を贈るが、多分、3千両は、そのための金だったのでしょうが、そのあたりの図を描いたのは小倉屋でないかと思うと言う。今となっては小倉屋の胸の内を聞いてみないと分からないが、小倉屋の心を開かせるには、伊吹様の覚悟が必要だと言う。但し、切腹の覚悟では商人の心は動きませんと助言した。

 四郎兵衛が、日田に行かれるなら、小見殿に用心してください。元々、小見殿は横目付で、今は井形奉行の目と耳となっていますからと言う。

(17) 小倉屋の心を開くためのお芳の助言。

 櫂蔵は、小倉屋の心を開かせる覚悟が思い浮かばず縁側に出て月を見ていると、お芳が顔を出した。

 櫂蔵が継母上は相変わらずかと問うと、奥様からは、行儀作法や文字まで教えて頂いています。人の心が解る優しいところもおありですと言うと、櫂蔵が、儂はいつも突き放した物言いしかされたことがないと言う。お芳が、それは旦那様が奥様に心を開かれなかったからでしょうと言う。櫂蔵が継母上の態度がどうして変わったのかなと問うと、分かりませんが、ひとつ言えることは、嘘をつかぬことを心に決めていることを奥様に申しあげると、己を偽らぬということは良いことだと言われましたと答えた。

 「櫂蔵が、商人の心を開かせたいことを考えているが、嘘をつかぬではと言うと、お芳が、わたしは、嘘で誤魔化したいことばかりだったので、嘘をつかぬことは一番辛かった。だからその方のために、旦那様が一番辛いことを為さるといいのではありませんかと言う。櫂蔵は、いかなる時でも生きるということが自分にとって一番辛いことに思い当たった。

 翌日、櫂蔵は、清左衛門に、弟の不始末を詫びるために日田の小倉屋まで参りたいと願い出た。

 許されて、櫂蔵は咲庵を連れて日田に出向き、「借銀の事 五千両 右の条無相違候」と書いた文章に新田開発奉行並の役名と伊吹櫂蔵と書いた書状を、小倉屋の前に差し出した。

(18) 小倉屋の心を開くことができた。

 櫂蔵は、小倉屋に、この証文を使って借銀を踏み倒されたと幕府に訴えてください。藩が知らぬ存ぜぬを通そうとしても、それがしが幕府のお調べに対し、借銀が間違いなくあったことを申し立てます。いくら殿の命であっても、いわれない切腹は致しません。但し、幕府の取調べが始まってからこの証文を利用してくださいと念を押した。それがしは、新五郎が借銀した5千両は、領内の播磨屋の蔵にあると思っています。その5千両が播磨屋の蔵から引きずり出した暁には、ご老中方へ唐明礬の差し止めを願い出る手助けを、ぜひとも小倉屋殿にお願いしたいのでござる。そのため、ある者の言葉から、武士にとって一番辛いのは生きることで、小倉屋殿からの借銀を証し立てるため、何があろうとも決して死なずに生きようと決意しましたと言う。

 さらに、櫂蔵は、小倉屋殿には、貸金を踏み倒されたのに、その事は一言も口にされず、弟の死を悼んでくだされた厚情をかたじけなく思っていると、頭を下げた。

 小倉屋は、それに応えて、私も生き抜かねばならぬと常に心に定めています。手前どもと同じ覚悟を示されたからには、もはや知らぬ顔は(唐明礬輸入禁止の件を西国郡代に取り次ぐこと)できませんと言う。

 

 日田から帰ってきた咲庵を長男の長次郎が訪ねて来ていた。女房と子供を捨てて俳諧師として放浪の旅に出たので、会い難い立場にあったが、お芳の言葉で、長男の待ち合わせ場所に行った。

 長男が、長崎の薬種問屋に雇われて、長崎に行く途中で、親父の顔を見ていくかと思って立ち寄ったのだと言う。咲庵は、「一生に一度の願いだ。生まれて初めて、人の役に立つための願いなので聞いてくれ」と言うと、長男は手前勝手だと咲庵の顔を蹴り上げ、咲庵の頬から血が滲んだ。しかし、父親が言う、長崎での播磨屋の扱い商品と取引内容(唐明礬との関連)の調査を承諾した。

 

                           次章に続く

 

 

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