T.NのDIARY

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葉室麟著『潮鳴り』を読み終えて! -3/6-

2013-12-25 15:26:23 | 読書

(5) 日田の掛屋・小倉屋が新五郎に5千両を貸した目論見は「明礬」の量産にあった。

 櫂蔵は、染子から屋敷に来るように呼ばれて、井形様の話は間違ってもお受けしないようにと言われた。ご重役方から借財の責任を押し付けられた新五郎を、死なせてしまったことを難じる声が上がるのを避けるため、伊吹家に恩を売ろうとしているのです。しかも、あなたを同じ役目に就けてしくじらせて、新五郎も同じ失態をえんじたが故に腹を切ったのだと思わせるためなのだから受けるべきでないと言う。

 櫂蔵は、しかし、しくじりを犯すとは限らないが、迂闊にのってよい話でないことは確かなので、時をかけて考えたいと言って辞した。

 櫂蔵は、お芳の店によって、咲庵とお芳に、新田開発奉行並としての出仕を受けていることや、断るべきだと継母上の話をした。

 お芳は、弟様が為さろうとしたことを引き継がれるのですから、亡くなられた弟様は喜ばれるだろうと思うと言う。櫂蔵はまさにその事で、貧乏藩に何故5千両もの金を貸したのか、何か裏があるように思う、そこを知りたいのだと言う。咲庵は厳しい顔して、商人にとって金は命より大事なものなので、何かの目論見があったものと思うが、それを知るには、小倉屋に聞くしかないと言う。櫂蔵は、その目論見を知るために禁酒を決心した。

 櫂蔵は、三日後に、湯治に行くと藩に届けて日田に行く。小倉屋との面談で、櫂蔵の真心が通じて「明礬」と言う言葉を引き出した。

(6) 櫂蔵は新五郎が為そうとしたことを自分の使命と決意する。

 小倉屋から、新五郎様が、「羽根藩内の納谷村では明礬作りが盛んになり、長崎に唐から大量に輸入される唐明礬の輸入禁止を、西国郡代を通じて幕府の許可を貰えば、藩の明礬作りは今の10倍ほどになり、商人からの運上金も1千両にもなるし、借銀にも応じてもらえるようになる」と言っていたことを聞かされた。

 

 櫂蔵は、新五郎が為そうとしたことを自分の使命として行うことを決意し、「日田から帰り、咲庵に、屋敷に同居して御雇となって援助してほしいと依頼する。咲庵は、自分の怠け心から商人の道を捨て女房を困窮のうちに死なせた男なので、お役に立てないと断る。櫂蔵は、そのように己を卑しめる人のために、女房殿は苦労をなされたのでしょうか、昔のように自分の力を振るわれるのを女房殿は喜ばれるのでないかと思うがと言う。お芳にも妻として屋敷に迎えたいと言う。海でお芳に助けられた折、おぬしを愛していることを知り、幸せにしたいと思ったのだと言う。おまえが言った落ちた花は二度咲かぬという世の道理に抗ってやろうと思うので、この闘いの行く末を傍にいて見届けてくれと言う。」

(7) 櫂蔵は弟の役職を引き継ぐことを決意して勘定奉行に伝える。

 翌朝、櫂蔵は、宗平を共に勘定奉行の屋敷を訪ねる。井形清左衛門は、殿は新五郎を憐れに思われ、そなたを出仕させてはとお慈悲で申し付けになられたが、そなたが受けるとは思わなんだと冷ややかな物言いだった。櫂蔵は、非才だが、殿の御仁慈を賜ったからには新五郎のためにもご恩に報いたいと言う。

 昼下がり、櫂蔵は、お芳と咲庵、宗平を伴って伊吹屋敷に向かった。継母上の染子に会って、亡き新五郎が為そうとして果たせなかったことを遂げるのが私の務めと心得て出仕することにしたので、この屋敷に戻りますと告げた。

 「染子は櫂蔵にお芳を妻としたいと申されたが、それはまかりなりません、妾であれば目をつむると言う。お芳は、私は妾にはなりません。私は泥にまみれた女ですから、人様からまともに扱ってもらえるとは思ったことはなく、それなのに伊吹様から妻にと望んでくださったので恩返しに女中をしたく、この屋敷までついて来たのですと言う。」

 染子は、汚らわしいそなたと顔を突き合わせて暮らしたくないと言う。宗平は、染子のあまりの言葉に、確かにお目障りだと存じますので、いっそのこと、私が娘の千代と一緒に奉公に上がりますので、お芳と顔を合わせなくてもお暮しできるようにしますと言う。

(8・9) お芳も屋敷に慣れ、櫂蔵と咲庵も新田開発方の内情を少しずつ知ってくる。

 10日後、櫂蔵は始めて出仕する朝を迎えた。櫂蔵は咲庵と朝食を共にしながら、咲庵に新田開発の帳簿を見て貰えないかと命じた。咲庵が、初めから帳簿などを調べたら憎まれるだろうと言うと、櫂蔵は、蔑まれ、誰にも見向きもされなくなるのに比べれば、憎まれるほうがどれだけましかわからんと笑う。

 

 染子は、最初の日と同じように、お芳がいないかのような態度をとっていた。でもお芳は、染子の身の周り以外のことに一日中こまめに働き、この屋敷で勤め上げることができたら私は生まれ変われるかもしれない、そうなれたとしたらどんなに嬉しいでしょうと、肌もみずみずしいくなり、目の輝きを増してきた。

 

 櫂蔵が、清左衛門に挨拶すると、小見陣内を呼んでいるので詰め所に案内してもらい、後のことは、小見に聞けと言われ、小見は私の目や耳でもあるので、全て小見を通じて私に伝えることを忘れるなと言われる。

 新田開発の下役には、陣内の他に、江戸で勘定方にいた長尾四郎兵衛、浜野権蔵、重森半兵衛と、初めて新田開発方に就いた20歳で山周りの笹野信弥がいた。

 新田開発といっても金がないため開発は全く手がつかずで、本来、隠し田を扱うのは郡方の仕事だが、見つけられると罰を与えられるので、新田開発方が郡方より早く見つけて新田だと証明して百姓に郡奉行に届けさすと報償が出るために山周りをしているのだと説明を受けた。

 この日、咲庵は、四郎兵衛が積み上げた帳簿10数冊を丹念に見た。「新田開発方は、この3年間、何も仕事らしいことはしておらず、それなのに商人から材木や石材を仕入れ、人夫の手間賃を支払っており、商人に支払った金額とほぼ同額が運上金として戻って来ておるのですが、その商人は播磨屋庄左衛門と記されていた。」咲庵は、その事を櫂蔵に伝えた。

(10) 櫂蔵は播磨屋の出店に出向き、新五郎が明礬のことを話ししたことを知る。

 出仕してひと月が経った。咲庵が御用達の商人の処へ顔を出してはと進めた。櫂蔵は、播磨屋への誘いだと気付いて、下役に播磨屋の出店に出向くと言うと、権蔵が、番頭がいるがすぐには会えないし、井形様の御意向も伺わねばと言うが、櫂蔵はそれを無視し、出向いたことが先方に伝わるだけで良いのだと言って出かけた。

 播磨屋の番頭と会うことができた。番頭が、新五郎様には手前どもの主人も大変お世話になりましたと言うので、どんなことだったのかと問うと番頭が言葉を濁した。部屋の隅に控えていた咲庵が明礬の事ではございませんかと言うと、さよう弟様に明礬で儲かる方法を教えてもらいましたと言った後、番頭の態度が変わった。供の方が手前どもの話に横合いから口を出すとは失礼な事だと言う。

 店を辞した櫂蔵は、咲庵に、播磨屋の番頭め、語るに落ちたな、明礬のことなど認めなければよかったのに、何か裏があるなと、咲庵と笑った。

(11・12) 新五郎を愛しく思いながら女郎になった村の娘・さとの事を聞いて、

      申し訳なかったと憐れむ櫂蔵。

      その思いの言葉に陣内以外の下役は櫂蔵を信頼した。

 

                          次章に続く 

 

 

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