blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

日没近し?

2024-10-06 22:54:05 | 休日

今週は休みが日曜だけ、貴重な休日だが家にはこもらず富山市内に出て買い物などをして帰った。

自宅の駐車場を管理するおじさまから大量のサツマイモをいただいたので、富山からの帰りにはいったん実家に寄った。

何かを持っていっても必ず何かを持っていくように促されるのはありがたいの一言である。

親がまだ健在のうちにもっとしてあげられることはないか考えたりもする。

 

明日からまた仕事の日々が始まるが、1年以上経ったからこそ見える景色というものもある。

1年も在籍すれば現場がどういった力学で動いているのかに加え、各人の作業レベルや仕事に対する取り組み方や考え方まで見えてくる。

私自身は半ばひとり部署と言っていいところに担当が変わって、日々の段取りや在庫の整頓はもちろん休憩や食事のタイミングなど、仕事に関わるあらかたの部分を自分で管理する日々である。

ただただ指示を受けて動かされるばかりだった時期とは違って気分的には余裕も生まれているが、当然ながら責任も伴うので緊張感は増した。

それでも「誰にでもできる仕事ではない」という気持ちは持っているし、在籍まる1年経つ前に私がわずかなエリアとはいえ「任される」状況を想像できた人はいないだろうから自信をもって日々にあたっていっていいのだと思う。

 

私が今の担当になったのは前担当者がしばらく病欠したのがキッカケであった。

私は当人のことは長らく同じエリアを守ってきた功労者だと思っているが、当人自身は復帰後に熟知していたエリアを去る形になって内心は寂しい思いも持ったかもしれない。

それでも後任の私にあれこれ指図するようなことは一切なく与えられた仕事に集中して取り組んでいるのには頭が下がるし、私は私で仕事にまつわるアレコレを休憩時間などに話すこともある。

他のメンバーを眺めても、今のエリアの担当として「気持ちが分かる」のは当人しかいないからだ。

 

当人以外にもごくわずかとはいえ通じ合える相手ができてきて、最初はいろいろあったが辛抱してここまでやってきてよかったと思える。

全員になじむ必要はみじんも感じない。

残念ながら人間の集団、こちらがどんな行動をしたところで何から何までアタマから否定したい人間もいる。

そういう人間のレベルは、作業はもちろん人としても多寡が知れているから無理をしてなじむ努力はせず内心で見下ろしていればよい。

仮に目に見える攻撃をされればこちらにはいくらでも反撃できる余裕と根拠はある。

プライドだけは高いポンコツほど文句を言おうとして盛大に噛んでしまうこともあるのは気持ちに余裕がない証拠であって、ハナから勝負になっていないのである。

 

個人レベルでは気になることはほとんどなくなったが、組織としては高齢化著しい中で病欠者がこのところ多数出て人繰りクルマ繰りが非常に苦しくなっているのは心配である。

事務方にも苦労はあるだろうが、現場サイドの人間としては日ごろ先頭で采配を振るう若い社員の精神的な疲労が気にはなる。

どう計算しても「かなり足らない」中で日々を無理やり回しているのが現状で、無理やりが長く続けばほどなくパンクする。

人は入れたいのだとは思うが応募がなければ永遠に来ないし、仮に来ても定着するとは限らない。

新しく入って事情が分からないうちにと一挙手一投足にダメ出しをしてつぶしてしまおうとする不届き者も現に存在する以上、人手不足が一朝一夕に解決するようには思えない。

 

人手不足はジワジワと組織の力を奪ってしまうものだが、見る人が見れば組織が一瞬で倒れる可能性もあるのは「安全」に対する取り組みである。

仮に所管の役所が抜き打ちで我が現場に入ってくれば間違いなく大目玉を食らう。

およそ現場と呼べる場所で、一般社員、上席者、外部のお客さんも含めて、およそ9割がたがヘルメットをかぶらないのは異常というよりない。

安全第一の看板もむなしく今我が社に第一に必要なのは売上であり利益であるということなのだろうか。

目の前の業績の方が現場の社員よりも大事ということなのか。

ある日一日を切り取って全日を動画に収録し外に流せば間違いなく我が社は「飛ぶ」。

晩秋の夕暮れのように「つるべ落とし」という事態になってからでは遅いのである。


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