blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

3時間待ち

2009-06-20 23:20:38 | 日記
昨日のことだが、市内のハローワークを訪れた。
「ワークナビ」と呼ばれるコンピューターで一通り検索し、めぼしい求人票は印刷するのはいつものことである。
思いがけず条件のよいものを見つけたので、窓口で相談することにした。

ハローワーク富山は市内の中心にあって、人が本当に多い。
相も変わらずの混雑で、受付の際には2時間くらいの待ちと言われた。
狭い建物に長時間いるのもイヤなので、いったん外に出て別の公共施設に歩いていった。
1階が主に図書館になっていて、新聞なども読める。
自宅では新聞を取っていないので、各紙の読み比べができるのもいい。

さて、そんなこんなでヒマつぶしも1時間くらい経ったので、安定所に戻って待つことにした。
あと1時間もあればと思ったが、結局呼ばれたのは17時前で、受付から3時間近くが経っていた。
1つ相談するのに半日がつぶれる今の状況は異常だ。

4月あたりから、外部の施設なども使ってあらためて自己分析を進めてきた。
弁も立たず、お世辞やハッタリ的な言動も苦手な私は、接客やセールスにはほとほと向いていない。
どちらかといえば事務的な、なお言えば公に資するような仕事が合うというのが客観的にも分かってきたところである。
民間企業をいくつか経験した中では、会社の方針などというのはその時の収益状況によっていとも簡単にコロッと変動することがあった。
私の「特性」は柔軟性に欠け、激しい変化にはかなり戸惑いがちであるので、なるべく定型的・規則的にコツコツとこなしていく「お役所的」な仕事のほうがいいと思っている。
今回申し込んだ仕事も、その線に沿った形のものだ。

仕事探しとは別に、あと数日後には専門の医師に初めて会って私が抱える特性の分析に入る。
私の持つ特性がいわゆる「障害」に当たるのかどうかという線引きは医師にしかできないので、これからの数回の面談は非常に大切になる。
しかし、結果がどうあろうと、それは受け入れるよりほかはない。
仮に線引きされたところで、手足をもがれるわけでも、まして命が奪われるわけでもない。
何もできない人間ではないことを自分自身がいちばん認めてあげたい。
多少の欠陥があっても、人のためにできることはたくさんあるはずだ。
自分らしく生き生きと暮らしていくことが、今までさんざん心配をかけてきた周囲の人々に対する恩返しになる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする