今、自室の机(兼食卓)の上には、ある学者さんが書いた本が置いてある。
本の帯には、「日本的常識への挑戦状」という触れ込みが書いてある。
タイトルも刺激的だが、内容も触れ込み通りのかなり非常識な(?)ものである。
ざっくり言えば、一般的に「明るい」とか「いい」と言われる人や振る舞いが容赦なく批判の対象になっている。
内容をそのまま説明してもしょうがないので、私なりに共感できた箇所をいくつか挙げたい。
本の冒頭には、スポーツ中継に関する記述がある。
要約すれば、どうも日本の報道は無理やりにでも好成績を期待するほうに走っていってしまう。
客観的な分析はさておいて、とにかく明るい方向に予測しなければならない。
そして結果が惨敗であっても、あっさりと「次に期待しましょう」となる。
惨敗という事実を突きつけられても、明るさだけは保たれる、と。
また、日本では、商売人がやたらに感謝する。
商売は本来、よいモノ、よいサービスを提供すれば済むはずで、客と商売人とは対等であるべきだが、日本はそうではない。
欧州に行ったら、店員などみんな無愛想で威張っているのが当たり前だぞ、と。
この本の筆者は欧州で暮らす機会も多いようで、いささか欧州びいきの面はあるのかもしれない。
ただ、書いてある内容は、ほかにも共感すべき部分が多くあった。
この本は、読む人によっては5ページも読まないうちにイヤになるだろう。
今この国では徳目とも言える「明るさ」や「感謝」といったことに徹底的にメスが入っているのはなかなかに痛快だ。
つまりは、常識人と言われる方にとっては、到底認めることができないようなものとなっているのである。
そんな本にけっこう共感し、学ぶ面すら見つけることができたのは、私自身もこの国においては「マイノリティー」の1人であるということかもしれない。
当ブログを通して読んでいただければ、けっこう私が「日本的でない」(=集団嫌い)ことが多少は分かっていただけるはずである。
どうせマイノリティーなんだからそれらしく生きていってやろうじゃないの、などと考える今日である。
本の帯には、「日本的常識への挑戦状」という触れ込みが書いてある。
タイトルも刺激的だが、内容も触れ込み通りのかなり非常識な(?)ものである。
ざっくり言えば、一般的に「明るい」とか「いい」と言われる人や振る舞いが容赦なく批判の対象になっている。
内容をそのまま説明してもしょうがないので、私なりに共感できた箇所をいくつか挙げたい。
本の冒頭には、スポーツ中継に関する記述がある。
要約すれば、どうも日本の報道は無理やりにでも好成績を期待するほうに走っていってしまう。
客観的な分析はさておいて、とにかく明るい方向に予測しなければならない。
そして結果が惨敗であっても、あっさりと「次に期待しましょう」となる。
惨敗という事実を突きつけられても、明るさだけは保たれる、と。
また、日本では、商売人がやたらに感謝する。
商売は本来、よいモノ、よいサービスを提供すれば済むはずで、客と商売人とは対等であるべきだが、日本はそうではない。
欧州に行ったら、店員などみんな無愛想で威張っているのが当たり前だぞ、と。
この本の筆者は欧州で暮らす機会も多いようで、いささか欧州びいきの面はあるのかもしれない。
ただ、書いてある内容は、ほかにも共感すべき部分が多くあった。
この本は、読む人によっては5ページも読まないうちにイヤになるだろう。
今この国では徳目とも言える「明るさ」や「感謝」といったことに徹底的にメスが入っているのはなかなかに痛快だ。
つまりは、常識人と言われる方にとっては、到底認めることができないようなものとなっているのである。
そんな本にけっこう共感し、学ぶ面すら見つけることができたのは、私自身もこの国においては「マイノリティー」の1人であるということかもしれない。
当ブログを通して読んでいただければ、けっこう私が「日本的でない」(=集団嫌い)ことが多少は分かっていただけるはずである。
どうせマイノリティーなんだからそれらしく生きていってやろうじゃないの、などと考える今日である。