15年前の9月6日、私は社会人1年目で、ちょうど支店の新築開店日であった。
新しい店舗の前で、全員で記念写真を撮った。
笑顔の中で、やや緊張ぎみの表情でうつっている私がいる。
仕事や環境になじめず、戸惑いばかりの毎日が思い出される。
それでも世間から見れば、いっぱしの会社員であったし、少なからず誇りも持っていた。
今年の9月6日を人生最悪と言っていい日にしてしまったのは、誰あろう私自身である。
この前日、先月の心のショックもまだ癒えないまま、長年付き合った職場の同僚から事実上の「NO」を突きつけられた。
私は、人が入れ替わっても職場のみんなを好きだったし、それはこの職場を離れる決心をした今も変わらない。
好きだったからこそ、その反動は大きかった。
自室でチビチビ飲んでいるまではよかったが、いい気持ちになり、魚津市内に出かけたのがまずかった。
強い酒を浴びていつの間にか酔いつぶれ、無理やりタクシーに乗せられ、タクシーの中で、いい年の男が「寂しい、寂しい」と言って泣きわめいた。
気がつけば、深夜、アパートの駐車場で転がって動けない自分がいた。
スーツを着込んで写真におさまっている自分と、メガネの行方すら分からず地べたに転がっている自分。
とりあえずは大企業の一員であった自分と、ようやく引っかかっている職場でもなお拒絶される自分。
15年も過ぎれば、人間ここまで変わってしまう。
15年前と比べて、今は多くのものを失った。
収入、社会的信用、そして多くの人間関係。
ただ1つ、15年前になくて今あるもの、それは「夢」か。
ただ1つ、私を生かし続けるもの、それが「夢」なのか。
夢の終わりはあるのか。
果たしてその先には何があるのか。
新しい店舗の前で、全員で記念写真を撮った。
笑顔の中で、やや緊張ぎみの表情でうつっている私がいる。
仕事や環境になじめず、戸惑いばかりの毎日が思い出される。
それでも世間から見れば、いっぱしの会社員であったし、少なからず誇りも持っていた。
今年の9月6日を人生最悪と言っていい日にしてしまったのは、誰あろう私自身である。
この前日、先月の心のショックもまだ癒えないまま、長年付き合った職場の同僚から事実上の「NO」を突きつけられた。
私は、人が入れ替わっても職場のみんなを好きだったし、それはこの職場を離れる決心をした今も変わらない。
好きだったからこそ、その反動は大きかった。
自室でチビチビ飲んでいるまではよかったが、いい気持ちになり、魚津市内に出かけたのがまずかった。
強い酒を浴びていつの間にか酔いつぶれ、無理やりタクシーに乗せられ、タクシーの中で、いい年の男が「寂しい、寂しい」と言って泣きわめいた。
気がつけば、深夜、アパートの駐車場で転がって動けない自分がいた。
スーツを着込んで写真におさまっている自分と、メガネの行方すら分からず地べたに転がっている自分。
とりあえずは大企業の一員であった自分と、ようやく引っかかっている職場でもなお拒絶される自分。
15年も過ぎれば、人間ここまで変わってしまう。
15年前と比べて、今は多くのものを失った。
収入、社会的信用、そして多くの人間関係。
ただ1つ、15年前になくて今あるもの、それは「夢」か。
ただ1つ、私を生かし続けるもの、それが「夢」なのか。
夢の終わりはあるのか。
果たしてその先には何があるのか。