スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

小鹿の雑感⑤&副作用

2018-07-12 19:03:19 | NOAH
 小鹿の雑感④の続きです。
 僕のプロレスキャリアが始まった頃,全日本プロレスの前座で試合をしている選手に,ミスター・林がいました。百田光男,百田義浩,そしてこのミスター・林の3人には,若手の選手たちはなかなか勝てなかったように記憶しています。後にレフェリーも務めるようになりましたが,この林については僕はよく知りませんでした。
 林は旗揚げメンバーではなく,グレート・小鹿などと同じように,日本プロレスの倒産後の合流組です。僕が驚いたのはザ・グレート・カブキによると,林が日本プロレスに入団したのは馬場より早かったということです。つまり林は馬場より先輩なのです。天龍源一郎は,林は試合会場から旅館に戻った後,馬場より先に風呂に入るということがあったそうです。基本的に外国人サイドの控室にいて,外国人選手たちと話していることが多かったといっていますので,全日本では居心地の悪さを感じていたのだと思います。
 レフェリーをやるようになったのは馬場に言われたからだと小鹿はいっています。全日本プロレスで同じようにレスラーからレフェリーに転向した選手にはマイティ・井上がいますが,これはリストラの一種であったと僕は思います。選手としては引退させなければならないけれど,退団はさせず,働き場所は与えるということでしょう。これはレフェリーという仕事に限ったことではなく,引退してスタッフになるように説得したケースもあります。寺西勇はこのケースだったのですが,寺西は固辞して全日本を退団しました。
 林にとってレフェリーはあまりいい仕事ではなかったようです。小鹿によればレフェリーはレスラーより動かなければならず,それがきついと林は愚痴を言っていたそうです。最初の頃は動いていたけれども何ヶ月後かにはコーナーの角に立ちっ放しになったと小鹿は言っています。どういう経緯で退団になったかは不明ですが,大きな要因は『読む全日本プロレス』を書いた和田京平の成長ではないでしょうか。和田は親馬場でしたから,馬場としても使いたかったし,使いやすかったのだと思います。

 10月21日,土曜日。退院の当日です。9時に来るようにということでしたので,その時間に間に合うように病院に向いました。大腸癌を切除する手術をした後の退院は祝日で,一切の支払いがなかったのですが,この日は食事代の支払いだけはありました。
 この日は妹のピアノレッスンもありました。これは木曜日の夜に先生から連絡があり,午後2時半から。僕たちは午前10時10分には帰宅していました。
 10月22日,日曜日。衆議院議員の選挙の投票日でした。僕は午後から投票に行きましたが,母と妹は棄権になりました。
 10月23日,月曜日。この日は伯母が妹を通所施設まで送りました。これは前日から台風の影響が懸念されていたため,ガイドヘルパーによる送りを断ってあったからです。しかしこの日の朝になってみると,出勤できる状態まで天候が回復していました。僕が送ってもよかったのですが,伯母が行かれるということでしたので,依頼しました。
 母は抗癌剤治療の副作用と思われる症状が出ていました。布団の上に横になっている時間がほとんどでしたし,起き上がってくるだけでもかなり辛そうでした。本来は母はこの治療はしたくなかったのですから,この状態で治療を続けていくのは無理ではないかと僕には思えました。
                                     
 10月26日,木曜日。母はずっと下痢気味であったのですが,この日には吐き気も催すようになり,実際に嘔吐することもありました。家には血圧計がありますが,それで計測したところ196mmHgという高い数値も出ました。治療は飲み薬もあるといいましたが,母はその飲み薬を目にするだけで身体が拒絶反応を起こすようになっていて,それを飲むこと自体も困難になっていました。僕はこの日になって,この治療は中止した方がいいだろう,少なくとも母にとってはその方がいいだろうと強く思うようになりました。
 10月27日,金曜日。副作用が辛すぎるので病院に行きたいという申し出が母からありました。ということでみなと赤十字病院に電話をしますと,診察を受け付けてくれるという返事でしたので,午前9時20分に,タクシーで母と病院に向いました。
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