スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

書簡での言及&定期入れ紛失

2013-03-28 18:44:39 | 歌・小説
 僕が所有している『漱石書簡集』に収録されている書簡のうち,キリスト教への言及として最も興味深く思えたのは,1906年の元旦に鈴木三重吉に宛てたものに,追伸のように最後の最後に書かれている部分です。
                         
 漱石は1900年に留学に旅立った後,1903年1月に帰国。熊本時代を過ごした第五高等学校教授は辞職し,東京の第一高等学校の教授と東京帝国大学の英文科の講師を兼任,さらに1904年には明治大学の講師も兼任し,1905年に『吾輩は猫である』を発表して本格的に小説家としてデビュー。この年の後半頃から漱石を慕う人びとが集まり始めたようで,鈴木三重吉はそのひとりでした。
 日付は1906年の元旦ですが,書いたのは前日,つまり1905年の大晦日だったよう。上野を散歩していたら,キリスト教の戸外演説,漱石はそう書いていますが,おそらくこれは宣教でしょう,があったけれども,大晦日では聞く人などひとりもないということを述べ,人間は衣食のためには狂気じみたこともすると結んでいます。
 狂気云々に関しては,そういう例がたくさんあるとしていて,とくにそれをあげつらうような書き方はしていません。ただ,少なくともこの内容から理解する限り,漱石は宣教師の宣教を,純粋な布教のためではなく,宣教師の衣食住のため,もっとはっきりといってしまえば金のための行為であると考えていたということになります。書簡というのは,自分を別とすれば宛てた相手だけが読むということ,いい換えれば公にはされないということを前提に書かれている筈で,おそらくより本音に近い部分が表出しやすいように僕には思えます。とくにこの場合,書簡を出した相手というのが親しい間柄であるわけですから,なおのこと本心を明らかにしやすい状況であったと思います。したがって,その宗教の内容に関しては何も言及してはいないのですが,少なくとも布教という活動については,漱石はそれをややいかがわしい,あるいは胡散臭いような行為であると理解していたといっていいのではないかと思います。

 かつてブリッジの隙間に食べかすが残っているので,歯間ブラシでよく落とすように歯科助手から指示されたことがありました。しかし,この部分はブラシを通すことが難しかったのです。たぶんブリッジの中で虫歯が進行してしまった要因のひとつには,このことがあったのだろうと思っています。
 この日はこれで終了ですから,帰ることになったのですが,定期入れがポケットに入っていないということに気付きました。来るときは確かにありましたから,どこかで落としてしまったようです。もしかしたらI歯科で落としたのかもしれないと思い,戻ってみたのですが,ありませんでした。通り道もよく注意して歩きましたがありません。すでにだれかに拾われてしまったか,そうでなければ来るときにバスの中で紛失してしまったかのどちらかです。I歯科は根岸駅のすぐ近くで,家まで歩いて帰ることができない距離ではありませんので,とりあえずは徒歩で帰宅しました。つまらないことで時間を使ってしまい,家に着いたときには12時40分頃になっていました。
                         
 もしもバスの中で落としたのだとすれば,運転手が発見する筈で,その場合は営業所に届けられているでしょう。バスの定期券は今でも更新していて,実は前日に更新したばかりでした。さらにこの定期入れにはPASMOが入れてあり,こちらも毎日のように使用しますから,残金がありました。ですから絶対に見つけ出したかったのですが,営業所に届けられているとすれば,急ぐ必要はありません。先に昼食を済ませてから,最寄りの滝頭営業所へ赴きました。バスの中で落としたとすれば,そのバスは横浜市営の滝頭営業所管轄のバスでしたから,ここに届けられている筈だったのです。予想通り,どうやらI歯科へと向うバスの車中に落としていたようで,ここに届けられていまして,事無きを得ました。この日から,ポケットにチャックがあるならば,きちんとそれを閉じるようによく注意するようになりました。午後は本牧に出ましたので,取り戻した定期券をすぐに使用しています。
 翌日,1月19日の土曜日は妹のピアノレッスン。この日は午後3時からでした。そして週が明け,1月22日の火曜日の夜から,前回の通院で入手した新型の血糖値測定器の使用を開始しています。
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