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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スポニチ盃アフター5スター賞&Fさん

2018-08-30 19:13:52 | 地方競馬
 昨晩の第25回アフター5スター賞。クルセイズスピリツが左の前脚の跛行で競走除外になり14頭。
 最も発馬がよかったのはサトノタイガーでしたがこの馬は逃げ馬ではありません。サマーダイアリーとスアデラが並んで後続を引っ張る形になりました。3番手もタイセイラナキラとコーリンベリーで併走。5番手もキャンドルグラスとアピアの併走でこの後ろにプリサイスキング。さらにゴーディーとキタサンミカヅキが並んで続き差がなくスウィープアウェイとサトノタイガーの2頭。後方の3頭はやや離れてマルモリロイヤル,キスミープリンス,ミヤジマッキーの順。前半の600mは34秒1のハイペース。
 3コーナーを回るところではスアデラが単独の先頭に。タイセイラナキラ,コーリンベリーと続いて下がったサマーダイアリーの外にアピア。スアデラは直線の入口までは粘りましたが楽な手応えで外からアピアが先頭に。しかしさらに外からキタサンミカヅキが抜け出したアピアを楽々と捕え,最後は目一杯には追わずに3馬身の差をつけ優勝。アピアが2着。アピアが前を一掃する形になったため2馬身差の3着争いは差してきた5頭の争い。この争いを制したのは内から2頭目のキャンドルグラス。大外のマルモリロイヤルがクビ差で4着。真中のスウィープアウェイがアタマ差で5着。外から2頭目のサトノタイガーはやや遅れをとって4分の3馬身差で6着。最内のゴーディーがアタマ差で7着。
                                
 優勝したキタサンミカヅキプラチナカップから連勝で南関東重賞は3勝目。アフター5スター賞は第24回に続く連覇。重賞も制したように大井の1200mは最も能力を出せるコースで,能力面だけでいえば負けようがない相手関係でした。課題は斤量で,ほかの馬との相対的な差は気になりませんでしたが,59キロというのは絶対的な意味において厳しく,これを克服できるかだけが焦点。この斤量での激走は疲れが心配ではありますが,レース内容は楽なものでしたから,大きく響くことはないようにも思えます。そうであるなら東京盃でも期待がもてるでしょう。父はキングヘイロー。母の父はサクラバクシンオー。母の8つ上の半兄に1998年に埼玉新聞杯を勝ったキタサンシーズン
 騎乗した船橋の森泰斗騎手サンタアニタトロフィー以来の南関東重賞28勝目。アフター5スター賞は初勝利。管理している船橋の佐藤賢二調教師は連覇でアフター5スター賞2勝目。南関東重賞は34勝目。

 3月3日,土曜日。この日はの友人ふたりが来訪し,帰宅中の妹と合わせ5人での夕食になりました。
 来訪した友人のひとりはKさんです。そしてもうひとりはFさんでした。母の友人に違いないですが,FさんはKさんと親しいようで,KさんとFさんはふたりでよく外出する仲のようです。
 Fさんも元は中学校の教諭で,かつて母の同僚だったことがあり,そこで知り合いました。ただ,僕はKさんは子どもの頃から知っていますが,Fさんのことは,たとえば電話の取次ぎで話すくらいで,あまりよく知りませんでした。母は僕が3歳のときから小学校を卒業するまで,僕の家からかなり近い中学校に勤務していました。小学校の入学前,あるいは小学生の低学年の頃は,夏休みなどに母が所用で出勤するとき,一緒についていったこともありますし,教職員の慰安旅行に行ったこともあります。なのでこの当時に母の同僚であった方は僕は知っているのです。Kさんのことを知っているのはそのためで,Fさんは母がその前に勤務していた学校の同僚だったのです。
 Fさんは旦那さんが認知症になってしまいました。在宅で看護していたのですが,Fさん自身が癌を患ってしまったため,旦那さんは老人ホームに入所させたとのこと。Fさんの癌も母と同様に完治の見込みはないのですが,抗癌剤による延命治療は受けています。僕は会って長く話をしたのはこのときが初めてでしたが,母のこともありその後も何度かお会いする機会がありました。僕が見た感じだけでいえば化学療法によるひどい副作用が出ているようには思えませんが,本当のところはどうか分かりません。外出するのも億劫にはなっているようです。
 この日の夕食は出前の寿司でした。さすがに母も5人分の夕食を作るだけの体力や気力は残っていなかったようです。また,Fさんは自身で拵えた煮物を持ってきてくれましたので,それがおかずになりました。僕はこの晩は少し食べ過ぎてしまい,血糖値が高くなってしまいました。母もやはり楽しかったのでしょう,いつもの夕食に比べればずっと多くの量を食しました。寿司はこの時期の母にとって食べやすいものだったのです。
コメント
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