南三条は⑥の最後,すなわち楽曲の全体の最後の部分で,許せなかったのは自分自身であると歌い手が歌うことによって,その前の部分の意味合いに変化が生じているように僕には感じられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/88/c0dc1d1fff3a2b55d6593cb669ce2db6.jpg)
楽曲の流れからいうと,目の前にいる女の夫,女がおんぶしている赤ん坊の父親が,かつて自分と別れた後でこの女と付き合うようになった男とは別の男であり,歌い手が思っていた男と目の前の女との交際はとっくに終っていたということが,歌い手はその女をずっと憎んでいたけれど,実際に許せなかった,いわば憎しみの対象であったのは自分自身であったということに思い至った原因であるというように解せます。つまり「南三条」で歌われているこの場での出来事が,歌い手に,歌い手自身が自分の憎しみの対象であったと思い至らせる要因となったというように解せます。
ですが,僕の解釈はそれとは少し違います。ここでそれに思い至ったというのは,あくまでもそれを意識できるようになったということではないかと思うのです。むしろ無意識のうちでは,歌い手は実は自分自身のことをずっと憎み続けていたのであり,この出来事が契機となって,その無意識が意識に上るようになったということだと思うのです。スピノザの哲学で説明すれば,このときの歌い手の精神mensのうちに発生したのは,自分自身を許せないと思う,あるいは憎んでいるという感情affectusないしはその観念ideaではなく,むしろそうした感情や観念は,かつて男と別れたときには歌い手の精神のうちに発生していて,それがこのときに観念の観念idea ideaeとしても歌い手の精神のうちに発生したのだと思うのです。
この解釈を採用すると,次のことが帰結します。歌い手は無意識下では自分自身を憎み続けていて,意識の上ではその憎しみの対象を目の前の女に代替させていたのです。つまり目の前の女は歌い手にとって,本当の憎しみの対象である自分自身の代償であり得るような女だったのです。だれでも自分の代償たり得るわけではないでしょう。でもこの女はその代償たり得たのです。
糖尿病に関する診察が終わった後,主治医から合併症の検査をしてほしいという依頼がありました。血管超音波,血圧脈波,神経伝導の検査です。これを次の診察のときの午前に受診すれば,その日の診察の時間内に結果を伝えることができるということでした。
合併症の検査を受けることについては僕も異存はありませんでした。ですが,診察は必ず月曜で,その日の午前中ということになれば妹を作業所に送って行くことは不可能です。もちろんその前週末をグループホームで過ごすようにすればクリアできますが,必ずそのようにできるというわけではありません。ですからこの検査は診察とは別に受けたいという旨を申し出ました。もちろんそのようにしたい理由というのも主治医に伝達しました。それで主治医は,翌週の火曜日にすべての検査を行えるように手配してくれました。また同じ理由により,次回からは診察の開始時刻を遅らせてほしいということも伝えました。これは午後3時になっています。この日は診察の開始が早かったこともあり,午後3時に帰宅することができました。
1月17日,水曜日。僕の従兄,父の最も上の姉の長男が死亡したという連絡が入りました。肝臓癌だったそうです。父は8人きょうだいの末っ子で,長女というのは父の両親,僕の祖父母からみて最初の子どもでしたから,年はかなり離れています。この従兄も60代後半で,僕が幼い頃にはすでに大人になっていましたから,一緒に遊んだというような間柄ではありません。ただこの従兄が癌であるということは,母は知っていたそうですが僕は知らなかったので,僕にとっては驚きの報知でした。
1月19日,金曜日。妹を日野の施設に迎えに行きました。
1月20日,土曜日。帰宅していた妹と母が美容院に行きました。母は12月にも美容院に行っていますので,2ヵ月続けて行くことができたことになります。
この日が従兄の通夜でした。これは午後6時から瀬谷にある式場で執り行われました。相鉄の瀬谷駅からそこそこ歩いていかなければならないところで,母が行くにはちょっと無理がありましたから,僕がひとりで行くことになりました。
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楽曲の流れからいうと,目の前にいる女の夫,女がおんぶしている赤ん坊の父親が,かつて自分と別れた後でこの女と付き合うようになった男とは別の男であり,歌い手が思っていた男と目の前の女との交際はとっくに終っていたということが,歌い手はその女をずっと憎んでいたけれど,実際に許せなかった,いわば憎しみの対象であったのは自分自身であったということに思い至った原因であるというように解せます。つまり「南三条」で歌われているこの場での出来事が,歌い手に,歌い手自身が自分の憎しみの対象であったと思い至らせる要因となったというように解せます。
ですが,僕の解釈はそれとは少し違います。ここでそれに思い至ったというのは,あくまでもそれを意識できるようになったということではないかと思うのです。むしろ無意識のうちでは,歌い手は実は自分自身のことをずっと憎み続けていたのであり,この出来事が契機となって,その無意識が意識に上るようになったということだと思うのです。スピノザの哲学で説明すれば,このときの歌い手の精神mensのうちに発生したのは,自分自身を許せないと思う,あるいは憎んでいるという感情affectusないしはその観念ideaではなく,むしろそうした感情や観念は,かつて男と別れたときには歌い手の精神のうちに発生していて,それがこのときに観念の観念idea ideaeとしても歌い手の精神のうちに発生したのだと思うのです。
この解釈を採用すると,次のことが帰結します。歌い手は無意識下では自分自身を憎み続けていて,意識の上ではその憎しみの対象を目の前の女に代替させていたのです。つまり目の前の女は歌い手にとって,本当の憎しみの対象である自分自身の代償であり得るような女だったのです。だれでも自分の代償たり得るわけではないでしょう。でもこの女はその代償たり得たのです。
糖尿病に関する診察が終わった後,主治医から合併症の検査をしてほしいという依頼がありました。血管超音波,血圧脈波,神経伝導の検査です。これを次の診察のときの午前に受診すれば,その日の診察の時間内に結果を伝えることができるということでした。
合併症の検査を受けることについては僕も異存はありませんでした。ですが,診察は必ず月曜で,その日の午前中ということになれば妹を作業所に送って行くことは不可能です。もちろんその前週末をグループホームで過ごすようにすればクリアできますが,必ずそのようにできるというわけではありません。ですからこの検査は診察とは別に受けたいという旨を申し出ました。もちろんそのようにしたい理由というのも主治医に伝達しました。それで主治医は,翌週の火曜日にすべての検査を行えるように手配してくれました。また同じ理由により,次回からは診察の開始時刻を遅らせてほしいということも伝えました。これは午後3時になっています。この日は診察の開始が早かったこともあり,午後3時に帰宅することができました。
1月17日,水曜日。僕の従兄,父の最も上の姉の長男が死亡したという連絡が入りました。肝臓癌だったそうです。父は8人きょうだいの末っ子で,長女というのは父の両親,僕の祖父母からみて最初の子どもでしたから,年はかなり離れています。この従兄も60代後半で,僕が幼い頃にはすでに大人になっていましたから,一緒に遊んだというような間柄ではありません。ただこの従兄が癌であるということは,母は知っていたそうですが僕は知らなかったので,僕にとっては驚きの報知でした。
1月19日,金曜日。妹を日野の施設に迎えに行きました。
1月20日,土曜日。帰宅していた妹と母が美容院に行きました。母は12月にも美容院に行っていますので,2ヵ月続けて行くことができたことになります。
この日が従兄の通夜でした。これは午後6時から瀬谷にある式場で執り行われました。相鉄の瀬谷駅からそこそこ歩いていかなければならないところで,母が行くにはちょっと無理がありましたから,僕がひとりで行くことになりました。