香港から3頭の遠征馬を交えて争われた安田記念。
毎度のことながらマルカシェンクは出遅れ。大外から果敢に飛ばしていったエイシンフォワードの逃げとなり,マイネルファルケ,リーチザクラウン,キャプテントゥーレ,トライアンフマーチと人気に推された馬たちが続く展開。前半の800mは44秒9とかなりのハイペースになりました。
とはいえ現在のコースは前もそう簡単には止まりません。このため直線は横に大きく広がっての熾烈な叩き合いに。そこから一歩抜け出したのが中団に構えて外目を進出したショウワモダンで,この馬が優勝。2着は最内から鋭く伸びたスマイルジャックとショウワモダンの外から追ってきたスーパーホーネットの争いとなり,写真判定の結果はスーパーホーネットが2着でスマイルジャックが3着。以下も8着まではほとんど差のない入線となっています。
優勝したショウワモダンはこつこつと勝ち星を積み重ねて一昨年の晩秋にオープン入り。時計面に限界があり,重馬場での活躍が目立っていたのですが,4月に良馬場のダービー卿チャレンジトロフィーで重賞初制覇。前走のオープンも連勝していました。ここにきて早い時計にも対応できるような成長をみせていて,本格化に合わせて大レースも制覇したという印象。このレースは日本でも屈指の総合力を問われるレースで,そういう意味では1800mのオープンをあえて使ってきたのも成功だったといえると思います。父は1999年のJRA賞最優秀短距離馬と最優秀父内国産馬に選出されたエアジハード。兄に2007年の新潟記念を勝ったユメノシルシ。
鞍上は後藤浩輝騎手。2006年のジャパンカップダート以来の大レース制覇で,安田記念は2003年のアドマイヤコジーン以来の2勝目。管理している杉浦宏昭調教師は2002年のNHKマイルカップ以来2度目の大レース制覇です。
本題に入る前に,これから使用する放尿の肯定という用語に関してひとつだけ注意を喚起しておきたいことがあります。
ここでの約束事では,もしもある人間の精神のうちに自身の身体の排尿という運動の観念が実在する場合には,この運動を否定するような思惟の様態が実在する場合の排尿についてそれを失禁といい,そうでない排尿の場合にはこれを放尿ということになっています。もちろん否定の否定はそれ自体で肯定を意味するものではありませんが,失禁が排尿の否定である以上,もしも排尿の肯定というものが思惟の様態として人間の精神のうちにあるならば,これは必ず放尿の肯定としてあるということになります。なぜそうなのかは後でもう少しだけ詳しく説明しますが,つまり一般的にいえば,人間の精神は失禁を否定し,放尿を肯定するということになるのです。
したがってもしもこの観点から考えるのであれば,放尿の肯定ということは実は排尿の肯定ということ以上の何も意味しないということになります。よって僕がわざわざ放尿の肯定という新たな用語をここに導入するということの意味がいっかなないということになるでしょう。注意しておきたい点というのはこの部分に関連しています。
僕がここであえて放尿の肯定といい,排尿の肯定とそれを分けるのは,これと関連するようないかなる例外も排除するというためです。では僕が排除しようとしているどんな例外がここに存在する,あるいは少なくとも存在し得るといえるのか,ここではふたつの例を考えてみます。
まず,排尿という運動自体は,人間の自己保存の法則に適した運動です。したがってこの運動は,人間の与えられた本性ないしは完全性を十全な原因として生じるということになります。よってこの完全性,人間の完全性という観点からみるならば,それがここでいう放尿と規定されようと失禁と規定されようと,そんなことには関係なくその人間の完全性を示す運動であるということになるでしょう。つまりたとえ失禁であっても,これを人間一般に与えられた完全性という観点からみるならば,これは肯定される現象なのであって,否定し得る要素はありません。これは第三部定理二の考察の補足でもいったことです。
僕が放尿の肯定というとき,まずこのような意味での失禁の肯定を排除しようという意図があります。
毎度のことながらマルカシェンクは出遅れ。大外から果敢に飛ばしていったエイシンフォワードの逃げとなり,マイネルファルケ,リーチザクラウン,キャプテントゥーレ,トライアンフマーチと人気に推された馬たちが続く展開。前半の800mは44秒9とかなりのハイペースになりました。
とはいえ現在のコースは前もそう簡単には止まりません。このため直線は横に大きく広がっての熾烈な叩き合いに。そこから一歩抜け出したのが中団に構えて外目を進出したショウワモダンで,この馬が優勝。2着は最内から鋭く伸びたスマイルジャックとショウワモダンの外から追ってきたスーパーホーネットの争いとなり,写真判定の結果はスーパーホーネットが2着でスマイルジャックが3着。以下も8着まではほとんど差のない入線となっています。
優勝したショウワモダンはこつこつと勝ち星を積み重ねて一昨年の晩秋にオープン入り。時計面に限界があり,重馬場での活躍が目立っていたのですが,4月に良馬場のダービー卿チャレンジトロフィーで重賞初制覇。前走のオープンも連勝していました。ここにきて早い時計にも対応できるような成長をみせていて,本格化に合わせて大レースも制覇したという印象。このレースは日本でも屈指の総合力を問われるレースで,そういう意味では1800mのオープンをあえて使ってきたのも成功だったといえると思います。父は1999年のJRA賞最優秀短距離馬と最優秀父内国産馬に選出されたエアジハード。兄に2007年の新潟記念を勝ったユメノシルシ。
鞍上は後藤浩輝騎手。2006年のジャパンカップダート以来の大レース制覇で,安田記念は2003年のアドマイヤコジーン以来の2勝目。管理している杉浦宏昭調教師は2002年のNHKマイルカップ以来2度目の大レース制覇です。
本題に入る前に,これから使用する放尿の肯定という用語に関してひとつだけ注意を喚起しておきたいことがあります。
ここでの約束事では,もしもある人間の精神のうちに自身の身体の排尿という運動の観念が実在する場合には,この運動を否定するような思惟の様態が実在する場合の排尿についてそれを失禁といい,そうでない排尿の場合にはこれを放尿ということになっています。もちろん否定の否定はそれ自体で肯定を意味するものではありませんが,失禁が排尿の否定である以上,もしも排尿の肯定というものが思惟の様態として人間の精神のうちにあるならば,これは必ず放尿の肯定としてあるということになります。なぜそうなのかは後でもう少しだけ詳しく説明しますが,つまり一般的にいえば,人間の精神は失禁を否定し,放尿を肯定するということになるのです。
したがってもしもこの観点から考えるのであれば,放尿の肯定ということは実は排尿の肯定ということ以上の何も意味しないということになります。よって僕がわざわざ放尿の肯定という新たな用語をここに導入するということの意味がいっかなないということになるでしょう。注意しておきたい点というのはこの部分に関連しています。
僕がここであえて放尿の肯定といい,排尿の肯定とそれを分けるのは,これと関連するようないかなる例外も排除するというためです。では僕が排除しようとしているどんな例外がここに存在する,あるいは少なくとも存在し得るといえるのか,ここではふたつの例を考えてみます。
まず,排尿という運動自体は,人間の自己保存の法則に適した運動です。したがってこの運動は,人間の与えられた本性ないしは完全性を十全な原因として生じるということになります。よってこの完全性,人間の完全性という観点からみるならば,それがここでいう放尿と規定されようと失禁と規定されようと,そんなことには関係なくその人間の完全性を示す運動であるということになるでしょう。つまりたとえ失禁であっても,これを人間一般に与えられた完全性という観点からみるならば,これは肯定される現象なのであって,否定し得る要素はありません。これは第三部定理二の考察の補足でもいったことです。
僕が放尿の肯定というとき,まずこのような意味での失禁の肯定を排除しようという意図があります。