スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

小鹿の雑感⑥&納骨

2018-08-26 19:16:25 | NOAH
 小鹿の雑感⑤でミスター・林の話が出た後,小鹿のパートナーであった大熊元司のことに話題が移ります。
 ザ・グレート・カブキによれば,大熊は酒屋の息子だったそうです。実家の酒の一斗の樽を盗んで売りに行き,売った金で居酒屋で飲むようなこともあったそうです。なぜ実家の酒をそのまま飲まず,売った金で飲むのかは分かりませんが,大熊はそれくらい酒が好きだったそうです。馬場も大熊は酒が好きだったという主旨のことを言っていますので,これは事実でしょう。ただ,酒癖はあまりよくなかったようです。これも馬場がいっていることと一致していますので事実でしょう。天龍源一郎は,大熊はほかの選手たちが食べているのをみながら飲むのが好きだったと言っていますが,この食事は大熊の奢りだったのではないでしょうか。馬場が大熊の酒好きおよび酒癖の悪さを知っているのは一緒に飲んだことがあるからで,そのときはさすがに馬場が支払っている筈だと思います。
 天龍は大熊の酒癖の悪さに関しては馬場は目を瞑っていたと言っています。何度かいっているように大熊は全日本プロレスの設立メンバーのひとりであって,馬場が可愛がっていたこととそれは無縁ではないように僕には思えました。小鹿やカブキの話は断定できませんが,天龍は全日本プロレス入りしてから大熊と知り合った筈なので,天龍の話はすべて全日本時代の大熊のことです。馬場と大熊が一緒に飲んでいたのは,日本プロレスの頃ではないでしょうか。
 天龍は選手としての大熊は,自分が見た中でも馬力があり,ナチュラルでレスラーらしかったと言っていて,カブキは頑丈で,思いきり蹴られても起き上がってくるような選手だったと言っています。これは僕の印象と一致します。大熊は対抗戦時代に駆り出されていますが,大熊が選ばれた理由も,そこにあったのだと僕は思っています。

 輸血が終了するとすぐに看護師が針を抜いてくれました。午後6時5分です。母はおそらく輸血の効果で,立ち上がるのは楽になったと言っていました。母が残したノートにも,しっかり歩けるようになったという記述があります。痛みの発現があった頃から,母は少し仕事をすると休息をとるようになっていたのですが,それには貧血も影響していたのかもしれません。僕などは余命が限られている母のような患者に,輸血という処置を講じるのは,血液が不足しているといわれることもある現況から,果たしていいことなのかという疑問がありました。僕はこうしたことも正直に母には話しますが,母も同じような感想を抱いていたようです。ですが実際に輸血をしてみれば効果は覿面でしたので,これはこれでよかったのだと今では思っています。精算を終えてタクシーで帰宅したのが午後6時45分でした。
 2月22日,木曜日。前日の通院で母には薬剤が処方されていました。前日は遅くなったために薬局に行かれませんでしたので,この日に行って受け取りました。なお,実際に処方されたのは鉄剤と鎮痛剤のほかに胃薬もありました。ただ母は胃薬は服用していません。また,鎮痛剤は適宜,つまり痛みを感じたら飲むようにと処方されたもので,鉄剤とは異なって,決められた時間に決められた量を服用するというものではありませんでした。この日,母は2階まで上がり,ピアノを設置してある部屋を掃除しました。これができたのも輸血の効果であったと思われます。
 2月23日,金曜日。妹を迎えに行きました。
 2月25日,日曜日。1月17日に死んだ従兄の四九日の法要と納骨がありました。まず最初に法要で,これは午後2時からお寺で行われました。通夜や葬儀も本門仏立宗で執り行われたように,僧侶はこのお寺の導師だったからです。その後で納骨。ここの家のお墓は上大岡にあります。上大岡駅は上永谷駅と同様に谷間にあり,鎌倉街道を挟んで東西が丘。妹のグループホームは西側の丘の上ですが,このお墓は東側の丘にあります。その後,従兄の実家の近くにある和風レストランで精進落としがありましたので,僕も参加しました。
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プロレス
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