スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

黒への挑戦&力の現実性

2007-07-19 21:23:04 | NOAH
 シリーズ中に挑戦権の獲得に成功したの王者である志賀賢太郎選手と川畑輝鎮選手。この大一番を控え,川畑選手は単独で山篭りに入りました。秋山選手はいまどき山篭りといっていましたが,いかにも昭和のレスラーの香りを漂わせる川畑選手らしく,僕などはいいのではないかと思いました。
 いつもは北島三郎の兄弟仁義で入場してくるふたりですが,この日は鳥羽一郎の兄弟船。試合の方は前半は志賀選手が捕まってしまい,ほとんど一方的といえる内容でしたが,その後,力皇選手が脳震盪を起こすというアクシデントがあったようで,秋山選手が孤立。それもあって,僕が想像していたよりはずっと試合らしくなりました。少なくとも僕が心配していたように,武道館の雰囲気に飲まれてしまうということはふたりともなかったように思います。とくに川畑選手の奮戦は目を瞠るだけのものがありました。
 ただ,最後は力の差を見せ付けられる形で力皇選手の変型の無双の前に川畑選手が轟沈。それでも,今後に期待を抱かせるだけの内容はあったように思え,この点は収穫だったといえる一戦であったと思います。しかし川畑選手は試合後に救急車で病院に運ばれたとのことで心配です。

 明日からは2日制のGⅡ,サマーナイトフェスティバル。今年は松戸です。

 小倉優子の精神のうちにあるこりん星の表象も,棋士の精神のうちにある読み筋の局面の表象も,その表象が混乱した観念であるという認識と共にある限り,力という観点からは,力の同一性を有しているということは,力と実在性についての考え方からしても,これでよいと僕は思います。しかし,これらをそれぞれにとっての力であるとみなす場合に,もうひとつ,注意しておかなければならないことがあると僕は考えています。スピノザの哲学においてにはもうひとつの性質,いわば,力の現実性という性質があるからです。
 スピノザは力というものを常に現実的なものと解し,可能的なものとしては認めません。したがって,棋士,たとえば羽生三冠に局面を読む力があるというとき,これは実際に局面を読んでいるときの,もちろんこれは対局しているという場合には限らず,将棋について考えている場合であれば構わないわけですが,そのときに実際に読んでいる場合の羽生三冠にそういう力があるという意味であって,そうでない場合の羽生三冠にその力があるということはできないということになります。なぜ力はそのように現実的なもので,可能的なものと考えられてはならないかということはまた別の問題なのでここでは扱いませんが,僕がここで棋士にとっての力とか,小倉優子にとっての力とかいう場合には,このような意味を含んでいるということは理解しておいてください。
コメント
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