スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流名人戦&第二部定理三八証明

2007-02-15 22:20:58 | 将棋
 女流名人戦五番勝負第二局。矢内理絵子女流名人の先手で、後手番・中井広恵女流六段の一手損角換り模様の立ち上がりでしたが、矢内名人が7手目に▲6六歩とこれを拒否。早く(3手目)に▲2六歩と突いてある形でしたが、相矢倉になりました。僕の印象だけかもしれませんが、矢内名人は女流棋士の中では最も序盤戦術に長けていて、この将棋も、組み上がった段階では先手がやけにうまくやったように思いました。神崎七段によると、36手目の△5五同銀が疑問手だったようです。これはたびたびいっていることですが、プロ将棋の相矢倉というのは難しく、一方が作戦勝ちを収めたとしても、大抵は激しい攻め合いになります。この将棋もそう。98手目、△6五銀と歩の頭に出る鬼手も飛び出し、本当に先手が優勢を保っていたのかどうか、僕には分からないです。解説だと101手目の▲6八桂が悪手で、ここから逆転ということのようですが、この局面は▲6七玉と逃げるより▲6八桂と打ってみたくなる感じがしますので、実際には先手が優勢といっても、この段階では微差だったのではないでしょうか。ともあれ、中井六段が勝って1勝1敗。改めて三番勝負です。第三局は3月5日。これは中国での対局です。
 王将戦も相矢倉になりました。こちらは先手の森下システム。封じ手局面の▲7五歩は、後手の攻めを呼び込む可能性がある、ちょっと怖い手のように思います。

 ここでは第二部定理三八を次のように証明します。すべての物体に共通の事柄をXと仮定し、ある人間Aが何らかの外部の物体と刺激し合う(ある物体的接触をする)ことによって、この人間(身体)Aと外部の物体に共通の事柄であるXの観念が、A(の精神)のうちに形成されるとします。いい換えれば、Aが一般性の最も高い共通概念を持つわけです。さて、ここで第二部定理九系に訴えれば、このXは、人間Aの身体のうちにある要素ですから、Xの観念は、Aの身体の観念、すなわちAの(人間)精神の本性をを構成する限りでの神のうちにあるということになります。ところで、Aの精神の本性を構成する限りでの神とは、Aの精神に変状した限りでの神の思惟の属性のことですから、要するにこれはAの精神そのもののことであるということになります。つまり、神がAの精神に変状したと説明される限りで、このXの観念は神のうちにあることができるわけです。そこで、第二部定理七系を援用すれば、この系の意味の中には、神のうちにある観念はすべて十全な観念であるということが含まれていますから、このXの観念も十全な観念であるということが分かります。したがって、Aの精神のうちにあるXの観念は十全な観念であり、また、こうした観念(共通概念)については、Aは必然的に十全に認識するということになるのです。
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