スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&第三部諸感情の定義一八

2007-11-26 20:50:23 | 将棋
 王将戦挑戦者決定リーグ五回戦。持ち時間が4時間ですが,対局開始が10時ということで,終盤は観戦することができました。熱戦で面白かったです。
 リーグ戦というのは不公平をなくすためにあらかじめ先後が決まっていて,ここは佐藤二冠の先手。後手の森内名人が追随したので相矢倉。ただし先手は☗6七金右の前に☗3七銀と上がり,25手目に☗3五歩と仕掛けました。後手が☖7四歩を突かなかったからだと思うのですが,逆にいえば後手から誘ったといえるようにも思います。この後,43手目に銀交換となった辺りでは,先手の仕掛けはとりあえずは成功したといえるのではないでしょうか。
 60手目から☖9四歩☗9六歩☖1四歩☗1六歩☖9三桂と進みましたが,結果だけでいえば後手は1筋は突き合わずにすぐに☖9三桂と跳ねる方がよかったかもしれません。後手は68手目に☖8五桂といきましたが,すぐ銀と交換するのはむしろ先手に利ありというのが両対局者の一致した読みだったようで,☖9五歩と端から。対して先手も73手目に☗1五歩とこちらの端から仕掛け,攻め合いに突入しました。
 先に先手が端を突破しましたが90手目の☖4七銀成で飛車角両取り。すでにこの辺は観戦中でどうするのかと思っていたら,☗3七飛とぶつけました。☖同成銀と取るのは仕方がないのでしょう。ここから先手は4筋に拠点を作り対して後手は102手目に☖5九飛と取った飛車を打って詰めろ角取り。ここで☗9六歩はぬかりのない手。さらに☖同香に角を取れと☗6九歩。後手は迫る必要があるので☖同飛成ですが,攻め駒が不足している感じです。
 110手目に☖9二飛と詰めろで回りましたがこれに対して☗9三歩~☗8五桂が玉の逃げ道を作りつつ飛車取りとなって幸便。その間,113手目に☗4三銀と打ったのも大きく,どうやらここでは大勢が決したようです。投了の局面で飛車が逃げれば☗2一飛が王手角取りになってしまいますので,見込みはないようです。
 これでリーグ戦は佐藤二冠が3勝1敗,森内名人が3勝2敗となりました(人数が奇数なので対局数が異なっています)。最近の佐藤二冠の将棋からは考えられないような好内容での勝利で,明日は気分よく天童に向かえるのではないかと思います。

 今回の主題はあくまでもテーマとして設定した第四部定理五〇を証明するということにあります。で,今までは定理Propositioの証明Demonstratioというのは大抵の場合は1日で済ませてきました。しかし,本来の目的は,スピノザの感情論の基本的な部分を明らかにするということにありますので,ここでは時間をかけてゆっくりと証明していきます。その際,証明の本筋からは外れる部分もあるかと思いますが,それは感情論の方を明らかにするという目的のためですので,あらかじめご了承ください。 
 さて,この定理を証明する大前提として,そもそも憐憫commiseratioという感情affectusがどのような感情であるのかということを理解しておかなくてはなりません。これは第三部諸感情の定義一八に定義されています。
 「憐憫とは我々が自分と同類であると表象する他人の上に起こった害悪の観念を伴った悲しみである」。
 まず,同類というのはどう考えても構いません。同じ人間としてでも,あるいは仲間としてでもいいです。このことはこの定義Definitioにはあまり重要ではないと思います。次に害悪というのは,より正しくいうならば,悲しみtristitiaをもたらすようなもののことです。したがって,ある人間が,その人間と同類であるとみなすようなXがあり,このXにある何らかの害悪がもたらされることを表象するimaginariことによって,その人間自身も悲しみに刺激されるとき,この人間が憐憫という感情を抱いている,あるいはこの人間がXを憐れんでいるといわれるということになります。これは定義ですので,『エチカ』において,あるいは『エチカ』についての考察であるこの場では絶対的なことであり,これ以外の感情についてはそれを憐憫ということはないということになります。
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